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NO RUNNING , NO LIFE “走ること”を続けると、色々なものが得られるという話

私は、学生時代(19歳の頃)から走り続けています。自分の中でこんなに継続している取り組みは他にありません。今ではしばらく走らない日があると、体が疼くほど染みついています。自分がなぜ“走ること”を習慣にできたのか、そして、“走ること”の意味や効用って何なのかについて、自らの年齢とその時おかれた環境や境遇を振り返りながら綴っていきます。

◇まとめ
走り続けることで得られるもの
1. スマートな体形
2. 早寝早起き
3. 食の美味しさ
4. ストレス解消
5. 仕事の成果
6. 自己理解(自分はどんな生き方が好きか)

走り出したきっかけ(目的はスマートな体形)

私が定期的なランニングをはじめたのは、19歳の(大学生の)時です。もともと、中学時代に陸上(長距離)を行っていたのですが長続きせず、高校時代は帰宅部だったので、ほぼ運動とは程遠い学生生活を送っていました。

その後、大学に入り一人暮らしを始めました。しばらく自由気ままにアルバイト(家庭教師や飲食関係)をしながら、ぶらぶらと生きていたのですが、ある時、自分自身の体が少しずつ弛んでいることに気づき焦りました。

そして、昔買った服がやや窮屈になっていたり、鏡で見る自分の顔や体がふっくらしてきたり、という事実を目のあたりにして“やばい”と感じ、夜な夜な走り始めたのがきっかけです。

習慣化に向けて(小さな目標をゆっくりと少しずつ)

はじめは、30分ほどのランニングだったと記憶しています。昼間は誰かに見られるのが(当時は)恥ずかしかったのと、夜型の生活が馴染んでいたので、その時間帯(たしか22~23時頃)に走ることにしました。

計測していないですが、30分間で4~5kmほど走っていたと思います。そして、もう1つ、毎日体重計にのることも行いました。すると、不思議なもので体が絞れてくるのが定量的にわかり、走ることの効果を認識することができました。

学生時代は時間にゆとりがあったので毎日走っていました。次第に30分では物足りなくなり、1時間くらい走るようになったと振り返ります。1時間だと、走行距離はおそらく9~10kmくらいですかね。

体を動かさないのは、健康に良くないという漠然とした認識に加え、汗をかく爽快感と手軽さ(いつでもすぐに走り出せるし、途中でやめるのも簡単。さらにランニングシューズとTシャツ&短パンさえあれば実現可能でお金もかからない)から、大学院を修了するまでの6年間、夜時間を利用して走り続けました。

今思い返せば、アルバイトと遊びに明け暮れた生活に1つ規律を設けるという意味で、毎日1時間のランニングは良かったんだろうなあと考えますが、当時はスマートな体形維持が主目的でした。

ただ、6年間継続すると不思議なもので、卒業間近になって、社会人として勤務した後も走れるかどうかを気にする自分がそこにはいました。

社会人になっても(手軽で身近だから続けれた!)

社会人として1社目に勤めた大手メーカーでは、4月末まで東京で導入研修を受けることになりました。さすがにこの時は初めての東京ライフ、ホテル暮らし、さらには新入社員という立場もあり、走ることより別のこと(友人との再会や観光、同期入社メンバーとの時間共有等)を優先したため、いっさいランニングはしませんでした。

その後、GW明けから地方への配属が決まり、その地域にある社員寮に住むことになりました。社会人になると平日がクタクタで、学生時代のように毎日走るということは叶いませんでしたが、週末を利用してランニングしていました。

ここで、走る時間帯が夜から夕方に変わったと記憶しています。たまたま、寮のお風呂場が日中は掃除等で使えなかったので、そこに入れるタイミング(たしか17時以降)を見計らって、15~17時くらいに走るようにしていました。

寮の近くのグラウンドを利用しながら距離でいうとやはり9~10kmくらいですかね、汗を流していたと思います。既に学生時代から体に根付いていたので、特に走る目的を設定していたわけではないですが、走り終えてから食べる寮の夜ご飯がとても美味しかったことは覚えています。

そして、1年ほど勤めた後、私は転職を試みます。次の職場(勤務地)は東京です。

転職しても(仕事の息抜きと飯がうまいので!)

転職(2社目)を経て、私は初めて東京に住むこととなりました。家賃が高いというのもあって当初は川崎市内の賃貸アパートを借りました。ここでも、1ヶ月ほど経過したのち、週末を利用して走り始めました。

2社目は、とても仕事が楽しく充実していたので、平日はけっこうな時間帯まで無我夢中で仕事をしており、週末はだいたい昼くらいまで寝る(いわゆる爆睡する)生活が定着していました。

ゆえに、土日・祝日の午後をランニングに充てていました。まだ20代という若さも相まって、走行時間・距離は以前より少し延びて、14~15km@90分間くらいだったと思います。

ここでも、体型維持を主目的としつつ、仕事モードから多少の息抜きを兼ねて走っていました。ほとんど自炊をしない生活を送っていましたが、走った後の食事は何を食べても充実していたように振り返ります。

同棲しても(早寝早起きと飯がうまいので!)





30代に入り、生活スタイルが一気に変わります。都内(世田谷区)の賃貸マンションへ引っ越し、いずれ結婚する(今の)妻と同棲することになりました。

ランニングが私の趣味の1つであることは付き合っていた頃から公言していたので、同棲してからも週末&祝日は以前と変わらず走っていましたが、日中は二人で出かけたりしたかったので、時間帯を朝に変えました。

また、彼女が早起きだった故、週末でも早く目覚めて走ることを心がけるようになりました。おかげで金曜日は少し仕事をセーブして早寝するようになったと記憶しています(それ以外のweekdayは相変わらず仕事に夢中でしたが)。

ただ、同棲する以前の一人暮らしでは、朝晩が逆転(朝方に寝て、昼過ぎに起きる。日曜の夜はほぼ寝ずに月曜日出社)していましたが、早朝に走り出してから、その日の夜21~22時くらいになると体の疲労もあってか、すぐに眠れるようになりました。

食事は相変わらず美味しく感じていたので、食べる量も増え、その分走る時間も長くなり、また食べる、その分走る、ただし体重は変わらず、という循環を繰り返していました。その後しばらくして、結婚とほぼ同時期に大阪転勤が決まりました。

結婚・子供が生まれても(お金と手間がかからず!)

大阪転勤に伴い、二人で住む場所は奈良県にしました。妻が大阪に住むのが初めてで関西弁・大阪気質にやや抵抗を感じていたことと、勤務地までの交通の便、電車の混雑具合、家賃等の複数要素を加味して最終的に住むところを決めたと回想します。

他に候補場所もいくつかありましたが、時間的な余裕もなかったので即決しました。今、思い返すと、将来の子育てや住みやすさという側面も踏まえ、私の意向が強く働いていたと振り返ります。

奈良県に移住し、すぐに子供が生まれました。妊娠から出産まで、そして、出産後しばらくは、走ることよりも(生まれてくる)子供優先で過ごしていたように思います。月に数回程度くらいですかね、ランニングしていたのは。

子育てがはじまると、週1くらいのペースに増えましたが、私生活も慌ただしくなってきたため、時間を作るのが難しく、走っても(子供が寝静まった夜か早朝)1時間以内に抑えていました。

あとは、自分だけが走りに行って妻や子供をほったらかしにしているという罪悪感を抱くのが嫌だったため、自分から主体的に子育てや家事を手伝い、その分、心身とも思い切りランニングに向かうようにもなりました。

そして、子供が大きくなり、習い事を始め出すと、その裏番組を走る時間に充てるような工夫も試みました。結婚・出産を機に、学生時代から継続していた趣味を変えることが多いと聞きます。

私も、そのうちの一人です。学生時代はスノーボードにサーフィン、釣り、バイク、車、ファッション等、その都度自分の周りで流行ったことに手を出し、定期的に取り組んでいたりしたのですが、社会人になり、転勤・結婚し子供が生まれると1つずつ捨てていくこととなりました(継続する費用や時間といった手間暇が、現実的ではなかったので仕方なく)。

その中で唯一残ったのがランニングです。いつでもどこでも取り組め、維持費もそこまでかからず、リーズナブルな“走るという習慣”が最後に生きました。

仕事が大変でも(走れば成果につながる何かが!)

30代半ばになると仕事の面でも、プレイヤーからマネジャーへ昇格することが叶い、自分の目標達成だけでなく、組織成果を上げるための様々な手立て(≒マネジメント)が求められるようになりました。

これが、想像以上にプレッシャーとなり、知らず知らずのうちにストレスを抱えながら仕事を遂行する日々が増してきます。そんなとき、週末のランニングで汗を流しながら、マネジメントの悩みや自身の考えを整理したり、無心になって走ることでアイデアが閃いたりすることが多々ありました。

感覚的な現象ですが、走っている前半はあれこれと頭が比較的働き、複雑な事象を改めて考え直す行為が自然と行われます。後半になると疲れが増し、頭を働かせるどころか、何も考えずに無になります。そして終了後、一瞬忘れたかと思っていた迷いや問題・不安に対する解決の方向性がふと頭に浮かんだりします。

また、ランニングアプリを使いだすと、走行時間、距離、心拍数、高低差等、走る過程でのすべてのプロセスを定量的に提供してもらえます。数字で表すことで、次はここを改善しようという心がけやこの水準を目指そうといった意識づけにつながります。

これは仕事やマネジメントにおいても同じです。目標とプロセスが曖昧だと、成果を出し続けることが難しくなります。属人的なパフォーマンスやラッキーパンチで結果が出ることはあるでしょうが、継続的に再現していくには至らない場合が多いと推察します。

当たり前かもしれませんが、すべての工程を数字で表すことは、どんな分野であれ、あらゆる取り組みのベースになることを“走るという習慣”から再認識させられた気がします。

アラフォーになったら(自分の‘’好き‘’がわかった!)

40代になると、いよいよランニングが好きになってきました。いや、好きになってきたというより、もともと好きだったことを改めて自覚したという方が正しいのかもしれません。

具体的には、「走るコースを自分で考えて決める、そして、実際に走ってみる。その結果・プロセスを振り返りながら、次に向けて試行錯誤する。もし、マンネリしてきたら別のコースを考えて走り出す」という、シンプルかつ自由なアプローチと走るかどうかを決めるのは自分自身という思想が自分の生き方にとても合っていることを理解しました。

また、子供の成長とともに、自分の時間が少しずつ持てるようになり、走る距離も徐々に延びてきました。時間の余裕をもってランニングすると、今まで無意識だった走る途中における様々な情報が目に入ってくるようになりました。

これまでは単に走ることとその中で頭を働かせていただけだったのが、山の風情や川の流れ、動物の動きや昆虫のなき声、ロードのアップダウンや名所等、自分が選んだランニングコースには、それらを見たり、聞いたり、感じたりするところがたくさんあることに気づきました。実は、奈良県はランナーにとって、とても魅力的な場所だったんです。

現在とこれからの展望

そして、“好きこそものの上手なれ”という言葉があるように、自分の走りをもっとアップデートしたい、ロードだけでなくトレイルにも挑戦したい、マラソン等の大会にも参加したい、さらに、自分が好きなランニング・プロセスを誰かと共有したい、加えて、走るという楽しみを味わい深く提供してくれる奈良県のすばらしさを広めたいという思いが溢れてきました。

ちょうど、奈良県にある会社へ自ら転職することを決めたのもこの頃です。奈良県に在住し大阪へ勤務する生活も悪くはなかったのですが、もっと自分らしく、自ら考えて決めたことを実行し、そのプロセスを内省しながら成長していけるような働き方を奈良県で実現したいという気持ちが次第に高まっていきました。

転職活動する中で、タイミングよく偶然そのような風土・カルチャーの会社と巡り合え、40代半ばを目前にして思い切って決断しました。今は自宅からランニング圏内の勤務地を往復する日々です。先日、会社までの距離を計ったらちょうど片道7kmくらいだったと思います。

私はこれから先もずっと走り続ける予定です。若い時に色々な物事に手を出しては時間とお金を使ってきましたが、最後に残ったのが最も簡単で身近なランニングです。

しかし、走り続けてきたことで、はじめは表面的な体づくりをねらいとしていましたが、今となっては自分の人生を左右するくらい大きな影響を及ぼすものとなり、結果として年齢とともに成長・成熟する上でたくさんの気づきを与えてもらったと振り返ります。

今は走ることを習慣にして、趣味として、さらに奈良で走るというプロセスを発信する日々に生きがいを覚え、ますますランニングの虜になっていますが、走り続けることが自分の人生を充実させることにつながるように、1つの取り組みを長年継続することの意義や大切さを感じてもらえると幸いです。

おまけ、”走ること”を習慣にするためのポイント

大原則:3か月間継続できることを前提に考えること
ポイント①短い時間・距離でも良いので“まずは走る”
ポイント②アプリを使う、体重計にのる等、成果が数字で見えるようにする
ポイント③小さな目標を立てて取り組む
ポイント④ゆっくりとスローペースからはじめる(走るスピードや頻度)
ポイント⑤成果が少し出たら、それを自分で認める

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