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層雲峡

これは2019年2月に層雲峡に訪れた際、書き上げた下書きを掘り返し再編集して、2021年に公開したものだ。

ひとり旅。

音が良く聴こえる。
自分の身体と向き合う。
どんな人もいい人に見える。
昔々の人々の温泉旅行に想いを馳せる。
自分は不思議な空気を纏っている気がする。

氷瀑まつりの花火が上がる頃、層雲峡に着いた。
目を開けられないほどの吹雪の中、空に咲く灯だけが鮮やかに輝き自分の声が響く。

いつかの夢で見たような、危なげな橋を降り、冷たい風がくるくると踊りながら足下を通り抜けていく。

ライトアップされた氷の洞窟に入るとみんなが写真を撮り合っている。
誰かが名前を呼んだ気がした。 

ポケットに手を突っ込み、顔面に雪を浴びながらひとりでずんずん進んでいく。
こけそうになっても、声をかけてくれる人はいない。
きっとみんな自分の歩みに必死なのだ。 

ずっと行きたかったホテルへ着く。
「HOTEL KUMOI」

旅館に来たのだなぁと思うあの香りと、リノベーションをしても残されている古い造りが、ふとしたところに垣間見える。

その度に、以前のホテル雲井を想う。

湯気が立ち込める温泉を独り占めして、のびのびと満喫する。

いつもより念入りに髪を洗い、洗顔し、撫でるように体を洗う。

私以外、誰もいない。

のっぺりとした乳白色のお湯に浸かり、本来の旅行とはこういうものなのだと思う。

観光のために旅行に行くのではなく、体を休めるために旅行に行くのだ、たぶん。(ひとり旅好きのお父さんが言っていた)

だんだんと自分の白くぶよぶよした肌はピンク色に変わっていく。
肌を触ると心持ち、するするとなめらかになった気がする。

お風呂から上がり、鏡の前で自分の身体を見つめる。
少しお腹のあたりが膨張したかもしれない。

この前一緒に温泉に行った友達の「綺麗な体だね」という言葉を思い出す。

温泉は苦手だ。
人の裸を見ることも、自分の裸を見られることも気恥ずかしい。

あまりにも現実的で生々しく、メルヘン脳内野郎の自分には受け入れられない。

でも今日は、たっぷりと自分の体と向き合う。
20歳の自分の体。

白くて細くて、今はお腹と頬に少し脂肪が目立つ…。ほくろがこことここにあって、腕が少し長すぎて、撫で肩がひどくて、膝下が短くて太ももが長くて、相変わらず胸は無くて。

コンプレックスが過ぎる。

それでも、今はこの瞬間の自分の体を記憶に残しておきたい。

いつか誰かから毎日自分の裸を写真で撮っていた女性の話を聞いたな。


一人部屋に戻り、なんとなく浴衣を着て、洋服よりは似合うじゃんと自分を励ましながら布団を敷き(旅館の女中のバイト以来)電気を消す。

隣には誰もいない。

好きな人が隣にいておやすみと言ってくれたらいいのになと思う。


朝。

部屋にはあまり陽の光は入らない。
外はまだ吹雪いている。

ロビーに降りてもお客さんはいない。

一人で深く深呼吸をして、シーシャを吸う。

好きな人が昔よく聴いていた曲が流れる。

当時のことはよく思い出せない。
彼の歌声だけははっきりと覚えている。

煙は私の口からもくもくと生まれ、ゆっくりと目の前で消えていく。

体の中から良い香りがする。 

いつのまにか吹雪は止み、青空が見える。

夜には見えなかった、日の光を浴びた物々しい層雲峡の山々は、切り立つ厳しい稜線をやわらかく見せようとする。

これが、層雲峡。

人は来ては行けない。
人が暮らしている山には到底見えない。

恐い。

剥き出しになった岩は、雪で包ませてくれないほどの力を持っている。 

「近寄りがたい大自然と、入っていきたくなる農業景観って違うのよね」

美瑛の人は言った。

層雲峡は、時々訪れたくなるところ。
美瑛は、ずっといたくなるところ。

層雲峡では、生きる恐怖と体に安らぎを。
美瑛では、穏やかな日々と小さな幸せを。

ふたつの場所は、どちらもいつもいる世界とは異なる空間にある。

だけれども、その空間を作り出す自然は、そのままの荒々しく厳しいものと、穏やかで人の手入れがされたものとで全く異なっている。

自然。

バスの窓の外を見ながら、少しずつ、現実の世界へ戻っていった。



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