ペット

動物が好きだ。
子供の頃から実家では犬、猫を飼っていたので一般家庭でペット飼うという環境には馴染みがあると思う。
でも、現在はペット不可の借家に一人住まいなのでペットを飼うという選択肢はない。

では、ペット可の借家だったとして。私はペットを飼うことをするのだろうか?

現状動物を飼っている人々のペットとの生活を見たり聞いたりするのが好きでよく見聞きするけれど。
すればするほど、私にはそこまでの覚悟と責任を負えないのではという思いが大きくなってしまう。

動物は好きだけど、動物愛護愛が深い人をみると「え?そこまで?」となってしまうこともあるのだ。
動物にそこまでする?とひいてしまう。
自分が責任をもって動物を飼ったことがないからかもしれないけれど。

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私の住むアパートのすぐ隣に大家さんが住む一軒家がある。
そこには自分の父親と同い年の大家さんがいて室内犬の犬をよく散歩させていた。大家さんが犬を木陰に繋いで私の住むアパートの植木の剪定をしているときに、挨拶を交わしたのをきっかけに大家さんと犬とよく話をするようになった。

元々犬好きなのもあって犬はすぐ私に懐いてくれた。
大家さんも愛犬が懐く私にとても愛想よくしてくれた。
2階に住む私が洗濯ものを干している時に二人が散歩で下を通ると互いに手を振ったり、私が階下に降りるのをまっていてくれたりして、この4年ぐらい大家さんと犬と私のご近所付き合いを楽しませてもらっていた。
互いの生活に踏み込むまではしない、当たり障りない世間話をするだけの関係が心地よかったし、大好きな犬と戯れられる癒しの時間でもあった。

そんな日常がずっと続けばいいなぁと思っていたけど。
今年の初夏あたりから目に見えて犬が老いてきているのがわかった。
食欲はまだあると言っていたし、自力でスタスタ歩いていたから今すぐどうこうな感じじゃないけど、これから暑さが増すから心配だなと思っていた。

夏休み前久しぶりに二人にあったとき。かろうじて自力で歩いているけれど、体を包み上げて支えるようなハーネスで支えられていた。
もう食欲もないし水も飲まないと話す大家さん。いよいよかなと思って更に2週間経ったこの連休。
早朝、散歩にでたら新聞をとりに外に出ていた大家さんに遭遇した。
ふらふらしているけどまだがんばっているよ。と状況を教えてくれた。
昼前ぐらいには外に連れ出していると思うと言ってくれたので、涼しいのもあって窓をあけていつ二人が通ってもわかるようにしていた。
〇〇ちゃーんと私を呼ぶ大家さんの声がしたので顔を出すと犬を抱っこした大家さん。
急いで外に出た。

元気だった頃から比べるとびっくりするぐらい痩せてしまっている。
私とわかってひざまづく私の足に顔をのせてきたけど、長く立っていられずゴロンと横たわってしまった。
あんなにふかふかしてたのに、背中の骨がくっきり浮き出てしまっている。
見ているのが切ない。
毎日大家さんが点滴をしているんだそうだ。
点滴をしたあとだけ少し元気になると。

自分で餌を食べることができず、毎日点滴。
きっと点滴がなかったらもたないだろう。
24時間介護だよ。看護日誌を毎日つけいているよ。
点滴ができることを病院の先生に褒められたよ。
等々、笑って話す大家さんに、私も笑顔で答えてはいたけれど。
無理矢理死期を先延ばしさせているだけではないのかって思いが生まれてしまい、何とも言えない気持ちになった。

大家さんを責めたいわけでもない。
こんなことを考えてしまった自分を薄情と思う。

もう会うのは最後かもしれないねとも言われ、大家さんが一番今の現状をわかっていて辛いんだろうなとも思った。

仕事休みで家にいる日にあえたこと、私が色々考えてしまったこと。
もろもろ今に意味があるのだろうか。






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