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材木屋の、おじさん

 私が以前勤めていた職場の最寄駅周辺は、だいぶ前に区画整理の為、元々あった古本屋さんや喫茶店や色々な店が移転などを余儀なくされた。

 そこには材木屋さんがあって、自転車を預かってくれるという副業(?)も行っている店があった。私の職場は駅前から離れた場所にありバスや公共の乗り物よりも自転車が便利だったので、そこに自転車を置いておいて職場まで通っていた。

 おじさんは毎日元気いっぱいで「明日は何時だ?」と聞いてくれた。私は毎日定時ではなく色々な時間帯の出勤だったので「明日は7時半です」「明日は9時です」と伝えておく。すると、おじさんが必ず時間少し前になると自転車を道路側に出しておいてくれた。

 それは、他の人にも同様で同僚やその他の人にも時間を聞いて自転車を出しておいてくれ毎日寸分狂わず丁寧に行われていた。不思議なのは、様々な人が居て出勤時間も多種多様なのにも関わらず一つも間違える事なく、「必ず」その人の自転車をそこに置いておいてくれるのだ。

 そういう丁寧な仕事をするおじさんのおかげで、山のような自転車の中から自分の自転車を引き出す事はしなくて済む毎日だった。しかも毎朝「行ってらっしゃい!」と元気よく送り出してくれる。帰りも「お帰り」と出迎えてくれた。もちろん、おじさんの本業は材木屋さんであるので、自転車の出し入れだけが仕事ではなかったはずだ。

 そんなおじさんから材木屋がなくなる、という話を聞いたのはいつだったか。「俺も国に帰ろうと思ってよ」彼は何歳ぐらいだったのか。60歳か70歳くらいに見えていたが、案外若かったのかもしれない。たまに「かあちゃん」と奥さんの話をしたり、腰がしんどいな、とか「あの子は多分安産だと思う」とか女性の腰に対する蘊蓄や独自の分析を聞かせてくれたり、毎日喋る事が楽しかった。私はP◯学園のようなスパ◯タ、パ◯ハラ職場で働いて疲れたこころが癒されて行くのを感じた。

 とてもお世話になったので、最終日にお菓子とバナナ(どうしてバナナをあげたのか、私。)と手紙を渡した。

 毎日会っていた人に突然会えなくなる寂しさと、仕事振りの完璧さに敬意を表するのと、おじさんがずっと健康で幸せで居て欲しいなと思いながら、さよならをした。

 今頃おじさんはどうしているだろうか。
あの材木屋さんを知っている人は皆
「すごい人だったよね」と口を揃えて言う。
決して有名ではなくても、色んな人の記憶に残っているって凄い事だ。毎日の働きと積み重ねが色んな人の脳裏に焼きついているという事だ。「おじさんが居るから、休みの時は必ず休みますって電話したなあ。」と先輩が懐かしそうに言った。

 おじさんが「腰」について話した時の笑顔が目の前に浮かんできた。

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