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「きく」ということ

昨今の世の中では「傾聴力」だとか「リスニングテスト」だとか言われてるがそもそも「きく」とはどういうことなのか。今回はこの問いに対し思索をする。

音を理解する

例えばあなたがAさんの見えないところで道端で拾ってきた石ころを落としたとする。場所は屋内。Aさんは音のした方を振り返るがあなたは落とした石ころをすぐさまポケットに隠す。

A「なんかおとした?」
あなた「ああ、遠くでなんかきこえたな」

ここでAさんが「落とした?」と「音した?」と実に巧妙な掛詞を用いていることは置いておく。
あなたが話した後にAさんがあなたを疑うか、そうでないかは人それぞれだと思うがここで肝心なのはいずれにせよAさんは音を解釈するということである。
「あなたが本当は何か落としたがそれを隠した」という解釈。
「遠くで音がなった」という解釈。

そして音を理解する。それはAさんにとっての真実となる。

音楽はなぜ心地よいのか

一定の範囲内でおよそ規則正しく奏でられる音に対して我々はそれが音楽であると理解する。スーパーで買い物をしている時も雑音が流れているとは考えない(スピーカーが故障していれば別だが)。

我々は古くから音楽に親しんできた。現在でも先に挙げたスーパーだけでなく様々な所で音楽は親しまれ、今や一産業と化した。

なぜ音楽を心地いいと思えるのか。
もっと踏み込むとなぜ好きな曲が人それぞれで異なることがあるのか。
流行の曲を好ましく思う人とそうでない人がいるのか。
一昔前の曲が好きなだけで「渋いねぇ」と言う人がいるのか。

あぁっと。話が逸れた。
私は脳科学者ではないため明確な回答は彼らに任せるが、音を解釈すること(正確には志向性)がアプリオリなものならば一定の範囲内でおよそ規則正しく奏でられる音を聞いているうちに楽しむようになることは想像に難くない。ある規則性を見つけることで人は音楽を理解するのだろう。そうして人間は「音楽」という言葉を貼り付ける。

では結論。

結論

Q.「きく」ってなんやねん。

A.「きく」ということは「音を理解する」ということ
これが私の拙い思索の結論である。

Column:テレパシィ

未来の話をしよう。何てったって夢想人だからね。
仮に未来でテレパシーが使えるようになったとする。(あら、大胆)
そうなった瞬間耳の重要性は低くなる。
音楽だってテレパシーが使えるくらいなのだから、意識内に音楽をインプットすることは可能であろう(多分)。

けれどもそうなったとしても人は耳できくことを続けると私は考える。つまり娯楽のために耳は使われると。もっというと声も。
音楽とは合理性を超えた美の極致である。
美声や秀逸な楽曲を耳できくことに意義を感じる人は少なくないはずだ。

脳の解析がうまいこと進んでいけばこの話も夢ではなくなる日が来るかもしれない。





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