フィリップとオーロラに注目してみたマレフィセント2の感想

Twitterで評判が芳しくない『マレフィセント2』を観てきた。

確かに詰め込みすぎだったりいろいろすっ飛ばした急展開だったりして観客がうまく乗り切れず楽しみづらい感があるのは否めない作品だったけれど、部分的には笑えるところとか、「こういうことをやりたい/言いたいんだろうな」と意図を感じさせるところが結構あり(というか、そういうのを詰め込みすぎたんだと思う)、私にはなんだかんだ面白かった。

マレフィセントが主人公であるこのシリーズだが、オーロラ姫とフィリップ王子に注目してみると、今作は二人が結婚するまでのすったもんだを描いている。この記事ではそこについて書いていきたい。

オリジナルである1959年のディズニー映画『眠れる森の美女』はオーロラ姫を王子がキスで目覚めさせ、そのまま結婚してハッピーエンドという感じだったと思うが、前作『マレフィセント』では一転して王子の役割があまりに小さく出番も少なく、目覚まし装置として期待したマレフィセントらに運ばれて姫にキスしたのに目覚めさせることもできない。ちょっと会ってこの人いいなって思ったぐらいじゃ真実の愛は芽生えないという今時のディズニーの厳しさが示された作品だった。

ここでオリジナル版ディズニー『眠れる森の美女』でのフィリップ王子の話をちょっとすると、彼はディズニープリンセス映画で初めて名前らしい名前をもらいかっこよく活躍する王子様だった。名前がなく最初と最後にしか出てこない白雪姫の王子様、舞踏会のシーンとラストしか出てこないシンデレラのチャーミング王子とは異なり、フィリップ王子は妖精たちの助力を得て、ドラゴンに変身したマレフィセントと勇ましく戦い見事に倒してオーロラ姫を救う。『眠れる森の美女』は王子に人格と活躍の場が与えられた一方で、姫は物語の後半を眠りながら助けを待って過ごさなければならない作品でもあったわけだ。『マレフィセント』はその王子を再び背面に押しやって完全にマレフィセントが主役という印象の物語になり、オーロラ姫はやはり影の薄さが否めなかった。

そんな前作で今一つ強い印象を残さなかったオーロラ姫とフィリップ王子のカップルをもう少しどうにかしようとしたのが今作なんじゃないか……と思ったのだが、そのわりに冒頭で突然プロポーズするので、ちょっとびっくりする。前作からは(作品外の現実と同じく)5年経ったという設定らしく、その間にさらに仲が深まったのだろうと推測するしかないが、その辺りがあまり語られないので今一つこのカップルに親しみが持てず感情移入しづらい感じは否めない。「真実の愛」は今回は特に問われないし問題にしてないからいいのかもしれないけど、それにしてもやけにあっさりしている。
(というかこの映画、そもそもマレフィセントが主人公なのでこの二人をどうみればいいのかがちょっと難しいのだ。)

あんまり序盤であっさり婚約されると、アナ雪のハンス王子とかそれこそマレフィセントのステファンみたいにフィリップも裏切るんではと思っちゃうけれど、意外にもフィリップはひとまず大丈夫だった。よかったね。

なんでこんなにフィリップ王子の話をしてるかというと、『マレフィセント2』のいろいろな要素の中で一番新しいなと思ったのがフィリップ王子のキャラだったから。マレフィセントはもうキャラとしては「周囲に誤解された、癖はあるけど本当は良い人」に収まってしまった感じがするし、オーロラ姫はすごく綺麗で可愛くて自立した心を持っててアクティブにも動ける最近のディズニーヒロインという感じなのでそんなにキャラに意外性はなかったけど、王子のことは(前作でよくわからなかったこともあり)興味深く観た。

オリジナル版で勇ましくマレフィセントを倒すフィリップ王子と違い、終始平和主義で優しくて、ちょっと間が抜けてていかにもおっとりしてるこちらのフィリップ王子は頼りないヘタレに見えなくもない。少なくとも今までのディズニープリンセスの相手役にはいなかったタイプだと思う。今まではだいたい素敵でかっこいい王子様か、ちょっと問題があるけどなんらかの強みがあっていざとなったら頼れる男のどっちかだったと思うので。

でも王子様がそういう男でもいいというのは面白い。フィリップ王子はすごく今っぽい男の子だと思う。悪い意味ではなく、いわゆる有害な男性性から解放されつつある新世代の青年に見えるのだ。男は強く攻撃的であれという圧力は今でも社会にあるのだろうけれど、それでも一昔前とは状況が違ってきている。
男=戦争、女=平和というジェンダーの固定観念に基づくイメージは未だ社会に溢れているけれど、この作品はそれをひっくり返そうとしているのだろうなと観ながら思った。王と王子が平和主義で王妃が侵略戦争を目論んでいるというのはたぶんそういうことだよね。

まあ王妃が王を殺して国を乗っ取るというの自体は最近の映画ではたぶんそんなに珍しくはない。パッと思い出したのは『スノーホワイト』とか。それ自体がアンチ家父長制を打ち出してるとも思うけど、今作は最後に王様生き返って王妃がヤギにされちゃうから徹底はしてないか。
なんだか随所でゲームオブスローンズみを感じる映画だった。オーロラが初期のサンサとかデナーリスとかとちょっと印象被ったのかも。(GoT初期しか観てないので深入りはできない)

今回のオーロラ姫とフィリップ王子が気になったのにはもう一つ理由がある。それは『眠れる森の美女』では二人の結婚は二人の父親同士が決めた政略結婚でもあり(フィリップ王子は嫌がっていたが父の決めた相手が偶然自由恋愛の相手と一致したということになっている。オーロラは全く知りもしない)、その辺を今回はどうするのかなということが気になっていたからだ。

結論から言うと、今回もそのテーマには少し触れていた。フィリップ王子は結婚が政治的理由ではなく愛によるものだということを強調するが、両親はそれぞれに息子の結婚を政治的に受け止めて喜ぶ。そりゃ王族同士の結婚なので当然なんだけど。興味深いのはオーロラ姫自身が自らの政治的立ち位置を理解し、それを利用して二国家の融和を果たそうとしていたところである。世馴れているというほどではないが、ロマンチストなフィリップ王子よりよっぽど統治者的な感覚は備えている気がする。

二人の結婚が政治的であることはもう仕方がなくて、ただ双方(特に姫)がそれに自覚的であるよう描くことで、二人が父王たちの手の内のコマのように見えるオリジナル版よりは良くみえるようにしたのかなと思う。姫の父親(母親もだけど)が前作で死んでいて、彼女の親がマレフィセントしかいない状況なのも大きい。バージンロードのシーンは象徴的だったけど、マレフィセントがオーロラをフィリップに引き渡して結局オーロラが「嫁入り」する形なの?とは思う。オーロラは彼のお城に住むのか?

あとちょっと気になったのは、人間であるオーロラが妖精の代表みたいに扱われるのはいいのかな?前作では父親の王国とマレフィセントの妖精の国を統一してそこの女王になったみたいな感じだったけど、今作ではほとんど妖精の女王といった風情だった。イングリスから「人間を裏切った」とは責められてたけど、そもそも妖精たちには人間の女王を戴くことに反感はないのかな……。いくらマレフィセントが育てた子とはいえ。「生まれより育ち」ってことを強調したいんだろうけど、そんなにさっぱり割り切っていいんだろうか。
オーロラ姫とフィリップ王子が結婚して妖精と人間が共生する国を作ると言っても、そのトップにいるのは二人とも人間だし、マレフィセントはなんか自分の種族のとこに去っちゃうみたいだし、いいのかなあと首を傾げてしまう。

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