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あくまで両極端な話だけに搾って考える

なぜ同性同士は結婚できないんだろう。
自分は同性も異性も恋愛対象だからこそ、不思議で仕方がないのだ。

自分が同性とも恋愛ができると気づいたのは結構最近である。4年前だろうか。とっくに成人していたが、社会のイロハを学んでいた、そんな青臭い時期である。

なんと既婚者の同性からアプローチされましてね。自分は恋に落とされて付き合う直前まで既婚者って知らなかったわけなんですけど、なぜかその既婚者のパートナー公認で付き合うことになりましてね。いみふ~~~。
と、ご近所さんに一週間分のうわさ話を提供できそうな付き合い方をしたのである。そりゃつい心の中のIKKOさんも出てしまうというもの。というか、異性にしろ同性にしろ、初めて付き合った相手が既婚者ってどうなんだろうか。間違いなく酒の肴にはなる。

なぜ、パートナーが快く公認したのか、この理由は簡単だ。「同性同士ってやっぱ結婚できないし、ただにゃんにゃんするだけでしょ?そっち系の趣味あるし想像だけでお腹いっぱい胸いっぱい夢いっぱいになるからオッケー!」だそうだ。純粋に腹立つ。
結局この恋愛は3か月も続かなかった。振られたのである。自分は既婚者と言われずに恋に落とされ、落とされてから「既婚者だけど付き合えるよ」と暴露され、落とされたもんだからやっぱり付き合いたくて、付き合った結果振られたのである。意味が分からない。ちなみに別れた理由もめちゃくちゃ簡単だ。付き合った相手曰く「やっぱ結婚相手が一番だし、飽きた」意味が分からない(2回目)だったら最初から手を出すなよこの尻軽が。

まああとパートナーと子供を産む計画を立ててたらしい。それならちょっとわかる。ちょっとね、傷つきもするけど。

既婚者だとわかったうえで付き合った自分にも非があるが、おかげでどれだけ既婚者からアプローチされてもスンっと熱が冷めるようになった。にもかかわらず、既婚者からのアプローチ数が異常である。

そんな経験から同性との恋愛についてよくよく考えるようになった。まあ結果別れたわけだし、既婚者相手だったが、真摯にお付き合いさせていただいた上での、「なぜ同性同士は結婚できないんだろう」という感想である。

付き合ってみて思ったのだが、自分にとっては同性と付き合うことの方が自然だ。
そもそも、異性の体が自分と違うことに結構な違和感と拒否反応がある。盛られると蹴り飛ばしたくなる。体の構造や大きさが違うからこその恐怖感がある。
同性の方が安心感と安堵感が桁違いだ。だって体は一緒だし。盛りたくなる雰囲気もわかる。考えていることがわかりやすいのも安心感がある。

「でも異性とじゃないと子供が生まれないじゃないか、子供が生まれないと少子化が進むんじゃないか。子供がいる家庭の不義理をなくすために、結婚は必要だ」
この意見はわかる。わかるが、自分は子供時代の自分がだいぶ嫌いである。子供時代の自分を子育てしたくない。多分したら発狂するし、最悪の場合虐待してしまうかもしれない。だからたぶん、異性と結婚しても子供は望まないと思う。
また、今は同性同士でも子供に恵まれる方法が増えている。増えているのだ、自分たちが知らないだけで、着実に。

となると、本当になぜ結婚できる、できないの差がうまれるかわからない。
そもそも結婚したら子供を産み育てなければいけないという法律はない。結婚とはやめるときも健やかなる時も2人で頑張れますか?という、紙一枚の約束事である。自分はただ1人、まったく血の繋がっていない人と出会って、ただの生活を一緒に面白可笑しいものにできたら幸せだろうなと、その幸せを周りが喜んでくれたら嬉しいのになと、願ってるだけなのである。

ちなみに「そんなに結婚したいなら養子縁組になればいいじゃない」という説もあるだろう。だが、自分はできたら養子縁組を結びたくない。
養子縁組と結婚は明確に違う。養子縁組は親子になるが、結婚はパートナーになる。養子縁組では年長者の姓が自動的に採用される。また「親子で肉体関係を結んだのか?」と親族から訴えられる可能性もなくはない。ちなみに一度養子縁組を結んでしまうと、今後同性同士が結婚できる世の中になったとしても、養子縁組を解消して結婚できる保証はない。

また巡ってきた、この問い。なぜ同性同士は結婚できないんだろう。
たぶん、結婚できる世の中になるまで、自分はじっと考え続けると思う。

熱量高めのエッセイを続々更新予定です。お仕事の依頼はなんでも受けます。なんでも書きます。ただただ誠実に書く、それだけをモットーに筆を執ります。それはそれとしてパソコンが壊れかけなので新しいパソコンが欲しい。