劇光すずめのスケルツォ・オン・アース(映画と漫画諸感想)
いま逆噴射文体で着飾らずとも、僕の心は鳥取の木枯らしに吹かれて荒んでいる。
風呂に入るのも億劫だし、あまり夜中に起きていると何故か外へ出たくなってしまう、最悪の状態。
解決策は何もない。この荒天の下、洞穴に身を潜めて日が差すのを待つしかない。
それまでの間、手を動かすのを止めるわけにはいかないのでこの1ヶ月くらいの諸感想を短くまとめることにした。
(各作品のネタバレを含みます)
劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ
売りである戦闘アニメーションと音楽が小気味よく、話も前作よりは明るくてこれなら二度三度でも観れるなと思った。
中盤のアスナとミトが決闘する際の「初撃決着ルール」という用語がかっこよくて、うちのニンジャスレイヤーTRPGソロ卓でも真似したいと思った。……まあ、アニメのような身のこなしや剣戟のすごい駆け引きを文章にしようと思うとそれはそれで大変なのだが。
リメイク劇場版のオリジナルキャラクターとして、あまりメアリー・スー的になってもよろしくないとはいえ、回を追うごとに仲が深まっていくアスナとキリトに対してミトはひとりぼっちで祭り会場から遠くにいて、なんか切ない。
すずめの戸締まり
ネコが一丁前に人間さまをおちょくっていると腹が立つ。けど人柱で地鎮してきた歴史的にダイジン元人間説(それも子供の)は腹落ちがする(まあ例によって岡田仮説だが)。
後ろ戸がだいたい山中にあるのにすずめの体力が無限という野暮なツッコミも含めて、日本映画というよりはちょっとゲームっぽい趣きのある映画だと感じた。
自分なりに「ハウルの動く城」「千と千尋の神隠し」「魔女の宅急便」あたりの引用からなるポストジブリっぽさを読み取ったが、クライマックスのすずめの長セリフには「ふーん」という気持ちでいた。でも自分がもしもあの立場だったら、やっぱりなんだかんだ言っても「11年いろいろあったけどそれでも生きてきたよ」という意味のことしか言えないだろうな。
後でパンフなどを読んで、欠けたものが埋まる話にはしなかった──椅子の足が元通りになったり、あの世から母親が何か呼びかけたりしない──という演出意図があったこと自体には「それで良かった」と思った。途中まで見ていて、もしやそうなるのかな、と無粋な予測をしたからだった。だからある意味冒頭の常世のシーンがひねったミスリードになっていた。
劇光仮面
柳田某批判に目を輝かせるところと、特撮ヒーロー番組をビジネスとして捉えるという現実的なところなど複雑な視点が絡み合っていて読めば読むほど続きが気になる。
それは別の漫画家だが徳光康之マンガにおける「グレイシーショックに、ノンフィクション本にプロレスファンはどう向き合うのか」という命題にも似ていると感じた。
見る側の一方的な妄想だけではダメで、作り手の表に出さない生々しい真実だけでもダメだ。プロレス賛歌も特撮ヒーロー賛歌も、その両輪を偏りなく走らせてこそではないだろうか。
抉られた眼球の生々しさが印象に残る。単に架空の特撮キャラクターやその受け手も含めた過去のエピソードを追うだけではない大きな事件が起こるとして、劇しい光とともに現れる真実と正義と美のヒーローたちへ、応援の声を届けたい。
ニンジャスレイヤー キョート・ヘル・オン・アース
いきなり最新11巻から買って、後で「リブート、レイブン」は10~11巻であることを知り、1巻、2巻と手に入れて、もう完全にニンジャスレイヤー第2部の虜になっていった。
どうも最寄りの書店では在庫が店頭にあるだけしかないことがわかったので、近日中に買い占める予定でいる。
第1部(それも大半はフロムアニメイシヨンの知識)でずっとフジキド・ケンジのストイックな面魂を見てきたからか、それともいきなりシキベ=サンとのお別れのシーンを見てしまったからか、ガンドー=サンの人情味が心に沁みた。
「遥かに良い」。
以上で終わり。