少女の心臓は一つしかない。例えば美術室、彫刻刀でさせる距離にいたのに刺さなかった。それは不自然。 莫大な劣等感は、膨大な努力と肥大化したプライドと小さな笑顔だけをおいていって遠くの海に流れていった。近所の池に流れてくれなかったことを恨んだ時期もあったが、今ではそれすらも思い出。嘘をついてはいけないと物心つく前からわかっていたのに俺は毎日当たり前に嘘をついてきた。 「about a girl about a girl about a girl」 これも嘘。 今俺は自分の才
俺には「面白い」しかない どいつもこいつも好きだからさ、その好きな奴を奪うやつも好きだけどそういうやつってムカつくじゃん。 だからよ、顔の形変えたいんだけど、それなら殴るより笑わせる方が早いってだけ
恥を捨てたのは恥をかかないためだ。 小学生の3から4年、いや、2年生の頃に開き直るということを覚えた。 小学生のころはたくさん失敗をするし、他人の失敗を沢山責める。 僕は失敗を責められるのがとてつもなく恥ずかしかったし、 「スケベ」だとか「女好き」とかそういう悪口には人一倍恥ずかしさをかんじていた。 だから薄ら笑いを浮かべる同級生が、僕が公園でうんこをしたことをいじってきたときに僕は開き直った。 「徳川家康もうんこを漏らした。僕は天下人だ」 こんなよくわからない返しももう小学
学校で全裸になるやつは馬鹿だ。 これは間違いない、誰がどう考えてもバカだ。今やればtiktokに名を刻み学校から名が消えるのがオチだろう。でもまぁ、全裸とまではいかなくてもそんぐらいの馬鹿なことをやっているのを見たことがあるだろう。僕らは指をさしてピクリとも笑わず冷たい視線を馬鹿に向けるだろう。 「やっている側」は知らんが、こちらからしたら悪ノリでしかない。 では、「やってる側」はどうなんだろう。 たぶん絶対馬鹿なだけじゃない物語の前半は佐々木の思い出話や佐々木との高