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美の資本主義と社会主義 『シニアイヤー』と『アメリカン・ビューティー』

Netflixで配信されているオリジナル作品『シニアイヤー』。
月曜の憂鬱な夜を吹き飛ばそうとなんとなく見始めたコメディーだったが、これは面白い、面白いぞと夢中になってしまった。

主演はレベル・ウィルソン。

舞台は90年代と現代。オーストラリアからアメリカに転校してきた“イケてない子”の主人公ステファニー。彼女はなんとしてでも“イケてる”集団に追いつこうと必死に努力し、見事高校ではチアリーディングの主将にまで上り詰める。初恋のイケメンを意地悪な元カノから奪い取り、高校生活は順風満帆。残る夢はプロムクイーンになって、幸せな家庭を築くこと…!そんなステファニーだったが、チアのパフォーマンス中に落下し、昏睡状態に陥ってしまう。ようやく目覚めたらそこは2022年、37歳。
見た目はアラフォー、中身は17歳のステファニーはもう一度プロムクイーンの夢を叶えるため、母校へと戻る。

イケてた高校時代の気持ちのまま、ばっちりキメてノリノリで登校するステファニー。
90年代のリアルクローズも可愛い。

しかし戻った先の母校はプロムも廃止。チアリーディング部ではまさかの全員がチアーリーダー、衣装はみんな長ズボンで社会問題への注意喚起を呼びかける。
チアに所属していることがイケてるステータスだった頃から、時代はソーシャルグッド、そしてSNSへ。フォロワー数こそ人気の証。戻った母校では、高校時代の彼氏の元カノで宿敵であるティファニーの娘がインフルエンサーとして天下を取っていた。
チアの立て直しとプロムの復活を目指し奔走するステファニー。

“Oh my god. What happened to my high school?”

あらすじはざっとこんな感じだ。
とっても笑えるコメディーなのだけど、何より胸熱なのは90年代要素たっぷりなこと。ステファニーの部屋には『Clueless』のポスターが貼ってあって、何よりあのアリシア・シルヴァーストーンも出演している!

今も昔も、全女子の憧れの詰まった映画『クルーレス』。
何不自由なく暮らして見えて憧れだったプロムクイーンは、
キャリアを目指し夜も働くタクシードライバーに(アリシア)。

ブロンドでチアリーダー、スタイル抜群でかっこいい彼氏がいる。
そんなステファニーが目指した理想はまさに90年代アメリカそのものだ。
踊るステファニーを見ながら私は、ある一つの映画が脳裏をよぎって離れなかった。『アメリカン・ビューティー』、そしてその登場人物のアンジェラ・ヘイズである。

映画『アメリカン・ビューティー』

『アメリカン・ビューティー』はアメリカンドリームと現実の溝、その美しさの表と裏を描いた映画である(と私は解釈している)。そして、こと恋愛において鬱屈とした女子校時代を過ごしていた私のバイブルでもある。

90年代、アメリカ経済の雲行きは怪しくアメリカンドリームの栄光にも影が差し始めていた。誰もが夢を叶えられるわけでもない。プレッシャーに苦しめられるだけだ。
映画の中でアンジェラは“誰もがヤリたくなる”ホットな女の子で、中年男をたぶらかす。学校ではチアにも所属しているし、モデルをしていると言っていて周りはチヤホヤしてくれる。自分の魅力を十分に理解して自信に満ちている。けれど実際はモデルでもないし、本当の恋人のいない自分を惨めに思う気持ちもある。そして実は処女だ。

男性の妄想を生きるアンジェラ

美しく完璧であることが全て。それはいわば、“美”が資本主義のもとに行き着く果てであると思うのだ。富める者は富み、持たざる者は永遠に持たざるまま。壮絶な格差社会。そこから脱却するには、努力しなければならない。美も同じだ。
でもその到達点は永遠になく、虚構の闇が広がるだけ。みんなが美の犠牲者となってしまう。
女性は男性に“視る/視られる”の関係の中に置かれ、ジャッジされるかのようでもあった。そんな中では、自分の性的な魅力で異性を凌駕する、性的な魅力の前にひれ伏させる、そんな自分への自信が鎧となり、男性に対抗する武器でもあったような気もするのだ。
だからアンジェラは鋭く、美しく、危うく、そしてもろい。美を追いかけているかのように見える彼女は同時に、美に追い詰められているのだ。

「“普通であること”以上に最悪なことはない」と語るアンジェラ。

2020年代、“美”はそんな資本主義的フェーズから抜け出して、競争を嫌うようになった。それが映画『シニアイヤー』で描かれている世界だ。
2010年代後半から、ファッション界でもボディポジティビティーの動きが生まれ、過剰なセクシーさは排除されてきた。例えばヴィクシーのショーが終わってしまったように。LGBTQのムーブメントも盛んになり、ルッキズムや性的な差別は今やタブーである。
だから『シニアイヤー』では男子もチア部に入っているし、そこではセクシーな露出やダンスもなし。平等を実現するために皆がチアリーダーだ。

In 90s
In 2022

でも私がこれを見て感じたのは、形容し難い違和感である。もちろんこれはあるべき姿なのだろう。だけど、こうなってしまってはチアの衣装はただの囚人服のようにも見える。
競争もなく、皆んなが平等で傷つかない世界。性的アピールのない世界。「それってすごい社会主義的じゃない!?」。言葉を選ばずに率直な思いを口にするならば、私は思わずそう思ってしまった。

皆んなの個性を尊重し、皆んなが平等。誰も傷つかないように。
もちろんそれは理想的だし、正しいことだと思う。でもなんだろう、この心に沈殿する違和感の正体は…。

もしかすると“美”は平等たりえないものかもしれない、と思う。なぜなら“美”は排他的だからこそ成り立つものかもしれないから。というよりも、これまで“美”はそのようにつくられてきたからだろう。
そして大衆は、その特権的な“美”に反乱を起こした。革命である。
今までの美の定義、美の基準に反旗を翻し、人口の大半である“普通”の自分たちが覇権を握る。そこで、誰もが平等な理想の国を作り上げるのだ。

けれど、“美”にはある程度の競争、というよりも努力は必要であるべきだと思う。そしてもっと言うならば、往年の名女優が体現してきたような女性らしい美しさだって存在するし、それに夢中になる男性もいる。性的な視線の関係において、恋愛とセクハラの境界線を引くのは難しいけれど、恋愛に繋がる<駆け引き>の余白は残されていていいはずだ。
こう思う私は、古い時代の人間なのだろうか。

『シニアイヤー』では、ステファニーの指導によってセクシーでHOTな振り付けがカムバックし、部員も溌剌と踊っている。性的同意の注意喚起のパフォーマンスでそんなセクシーなダンスをするなんて!と校長には怒られるが、「自分自身が同意してるってこと」と切り返す。
ブラボー、それこそ私が求めていた言葉だ。

37歳だろうが、そのままの自分に自信満々のステファニー。
そこがとってもチャーミングでセクシー。

別にセクシーでいることは悪いことじゃない。
“視られている”構図を作り上げることが問題なのであり、“視返す”強さを持つことは賞賛に値するとも思う。
そして、新しい時代のセクシーは、90年代のブリトリー・スピアーズのような、男性による妄想を体現するものではない。
『アメリカン・ビューティー』でも、アンジェラはチアダンスをしながら主人公のレスター(40代男性)の妄想の化身として描かれる。
けれど、そんな時代はもう終わったのだ。
これからは私たちも世界を視返すし、私たちは自分自身で“美”を見つける。

90年代は第3波フェミニズムの生まれた時代。まだまだ男性支配的な社会であり、その中で女性たちは自身のあり方を模索してきた。
そして第4波フェミニズムの台頭とも言われるこの2020年代、私たちの性(Sex)、セクシュアリティー、そして“美”はどこへ向かっていくのだろうか。
2022年の今17歳の少女がステファニーと同じように20年後に目覚めた時、そこはどのような世界になっているだろうか。

“美”には資本主義でも社会主義でもなく、新しい民主主義こそが必要だ。


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