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美術の本を読みました(2) 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』

美術の本を読みました。『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。美術館巡りが好きな全盲の白鳥健二さんと、著者の川内有緒さんやその友人が様々な美術展へ訪れるノンフィクション旅行記(なのかな?)。

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(表紙画像は集英社インターナショナルの書籍紹介ページより拝借致しました https://www.shueisha-int.co.jp/publish/%E7%9B%AE%E3%81%AE%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E7%99%BD%E9%B3%A5%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%8F)

美術鑑賞についてや”障害”に対して考えさせられる一冊でとても面白かったです。私自身、過去に美術館での視覚障害を持つ方(と盲導犬)を受け入れる特別鑑賞のお手伝いや、自分の展覧会で聾者の方を招き手話通訳の方を交えた作品鑑賞会を企画してみた経験があります。「美術館に様々な人がアクセスできるように」という昨今では珍しくなくなってきた取り組み。ルーツを辿ると、白鳥さんに辿り着くのか!、と本書を読んで思いました。

それこそ本書で行われている美術鑑賞のように、自分の体験談を語ってしまうと、以前ある美術公募団体が視覚障害を持つ子供に向けた「作品に触れられる」彫刻鑑賞のイベントを実施していて、そのお手伝いをした事があります。毎年行われているプログラムだったようで、参加した子供さんはきた時からウキウキ。とても楽しそうに作品を手先で鑑賞していたのが印象的でした。正直羨ましかった…

本の中で著者は白鳥さんとの交流を通じて、“障害”を持っている人に対する先入観や、障害を持っている分”健常者”よりも秀でた感性を持っているだろうといった、期待といった「偏見」に幾度も向き合います。彫刻鑑賞イベントに参加した私も似たような動機を持っていました。実際には、確かに秀でた人もいるけれど、秀でていない人もいる。今にして思うと「当たり前」だなと思うのですが、その「当たり前」になかなか気付けない。「持っている」のが「当たり前」な人は、「持っていない」事に勝手に同情したり期待してしまいがち。そのバイアスを取り去って「持っていないが当たり前」の視点にはなかなか立てません。そんな事を語る私は、今はもう“障害”への偏見を払拭できたか、というと怪しいです。そもそも障害の有無関係なく、人間は誰に対しても偏見なく生きる事など不可能なのではと思います(偏見を持つ事への擁護ではありません)。

美術鑑賞に答えはない(まるであるかのように振る舞う事はできますが)と私は思うし、そこが面白い点だと感じています。体験された事ない方にはぜひお試しいただきたいのですが、複数人(美術館慣れしていなくてOKです)で作品鑑賞してみると、どれだけみんなが「身勝手に」鑑賞しているのか実感します。私はときどき自分の作品を用いて、対話型鑑賞を実施するのですが、それは自分の作品に対して「身勝手に」話してもらうのが面白いと思うからです。当然作品解説しようと思えばそれっぽく話せますが、他人の身勝手な深読みにより、作者の想定を超えて作品の見え方が変わる方が創作冥利につきます(あくまで私の場合。当然好き勝手解釈されるのが嫌な人もいます)。

鑑賞を通じて好き勝手言い合う事で「思い込みまみれ」な自分に気付く。「普通」だと思っていた自分は、案外凸ってたり凹ってたりしている。他の人もどこか凸凹してる。年齢や環境、”障害”以前に、人はみな凸凹でことが「普通」である事を楽しむ。それは美術鑑賞の持つ面白さの一つだなと本書を読んで改めて感じました。


美術鑑賞は適切な導き手(ファシリテーター、またはそれに相応する仲間)がいれば、とても間口の拓けた体験だとも思います。私の頭の片隅に常にある関心ごとは、その間口に立てない人。様々な事情で「美術館まで出かけられない人」と美術鑑賞を楽しむ方法です。現在その解決に繋がりそうなプロジェクトにも関わっているので、いずれ成果をご報告できる機会が来ればと思います。

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