愛嬌とそれから
目的と手段を間違えそうになっていたことに今日気づいたからnoteを書く。
いつかまた忘れたときに思い出すきっかけになりますように。
最近はかわいくなりたい、スタイルよくなりたい、ばっかり思ってた。sns依存してかわいい子見ては、「わたしも!!うお〜!!」って躍起になってたの。
でもそうやってかわいい子に憧れたのは容姿もあるけど、""理想の自分になるために努力している姿""に何よりも憧れてた。
「わたしも努力出来る子で結果を出せる子なんだ」
って思えるようになりたかった。自分に自信がほしかった。これが本当の目的だった。
ボディメイクをがんばるのも、似合うメイクやお洋服を研究するのも、ただの手段でしかない。それでかわいいを更新できたとしてもそれもまだ手段。
本当の目的はその先にあるのに
目的達成のためになぜ容姿に関することだけ??sns見てたらどうしてもみんな美意識に目がいくし、それを持ち続けてないと怠慢だと自分で決めつけてしまってた。
でもそうじゃなくてもいいよね?
お仕事のための資格の勉強とか、英会話できるようになるとか、そういう方法もあるじゃんね。
そうはいいつつ、素直に容姿が美しくなりたいはある。
それでそれについてももう1回考え直してみた。
結論、わたしがなりたいのってパーツが整ってるとか、とっても痩せてるとかじゃなかった!!
笑った顔がひまわりみたいにきらきらしてて、所作が上品で、やわらかい言葉遣いで、字が綺麗で、人のやさしさにも不安にも気付けて、また会いたいなって思ってもらえるような人になりたい。
画面越しじゃなくて、面と向かったときに伝わるものを磨きたい。
画面越しが嘘偽りと決めつけているわけではなく、実体こそ本物だからその事実になりうることを最優先で大切にしたいと思うの。
「ほんとうのことはほんとうすぎるから嫌いだ」
ってだいすきな安吾くんはいうけど、わたしはほんとうのことすきだよ。
この嘘ばっかりの世界でもわたしが経験してきたことだけが唯一""ほんとう""で信じられる。
そんな感じでなりたいことクリアした先に、わたしがいっっっっちばん欲しい『愛嬌』が待っている気がするのですよ。
目標は最強の愛嬌もんすたーになること
あと、「手段と目的」について思い出したのは朝井リョウくんの『死にがいを求めて生きているの』を思い出したからです。出版されたときタイトルに引き寄せられてすぐ買った本。
トラウマ級にこれからも一生忘れられなくて、みんなこれ読んで自分の嫌なとこ洗いざらいにされてください。今までやってきた後悔の5つや6つ思い出してわたしと苦しんでください。今とっても良い評価の話してるよ!!この本の中で『手段と目的が逆転してるよな』って何度もでてくるのが忘れられなくて。わたしは間違ってないか?って何度も考え直させられた作品。手元にあるのがこわくてもう譲ってしまったけど、わたしの中にはもうめっためたに刻み込まれてる過去一嫌なきもちになった作品。
そんな背景があって今日のお話。
結局、最後にもっかい整理すると、、
1.努力できることを自分で証明して自信をつける
2.最強の愛嬌もんすたーになる
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