願い

 私をいじめていた女たちはきっともう結婚している。

 インスタのストーリーを見ながらそう思った。いじめていた女たちとは勿論フォローし合う関係でもないから、そいつらの現状なんて分かるはずがないのだけれど、そう思った。
 類は友を呼ぶ。そんな言葉に従ったような私のインスタは多分、同年代にしては結婚や出産を見かけることが少ないんだと思う。たまに見かけてもそれはずっと関わってきた友人のものではなくて、惰性で繋がっていた5年ほど前の縁だ。
 幸せそうに笑う(多分)友人と知らない男。大きなお腹をさする動画。知らない生まれたての人間の写真。これを、わかりやすい幸せのテンプレートをそいつらもやっているんだろうと思う。

 それを妬む訳ではない。私をいじめていたのに幸せになりやがってなんて思わない。自分の行動で掴んだ幸せなんだから好きにすればいい。それに多分、向こうはそんなこと忘れているから。
 ただ思うのは、私はいじめられる苦しみや辛さを何となくわかっているが、そいつらはこれから私が知らない苦しみを味わっていくのだということだ。マタニティブルーに育児疲れ、離婚危機なんて今の私には体験する予定がない。トントンだと思う。それぞれ知らない苦しみを知って生きていくのだ。

 ひとりひとり違う苦しさを背負って生きていく。変な感じだよね。そんなんで人の気持ちを考えて生きていきましょうなんて無理だよね。でもやっぱり考えちゃうんだ。どうか私より辛く苦しく生きていますようにって。考えてしまえるんだ。
 これは恨みじゃない。願いです。妬みでもない。祈りです。どうかどうか、私に嫌なことをしてきた人間全てが、私より苦しんでいますように。って。


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