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◎あなたも生きてた日の日記㊼踊りを初めて観た人に教わったこと


2022年は、コロナの影響もあって様々な芸術祭がぎゅぎゅっと開催された年だった。瀬戸内国際芸術祭、あいち2022、越後妻有 大地の芸術祭 2022、Reborn-Art Festival 2021-22、みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2022…。

その中でも、特に印象に残っている「越後妻有 大地の芸術祭 2022」のある作品についての思い出を、今年が終わる前に書き残しておきたい。


ある作品と言っても、私はその作品を観ていない。チケットが取れなかったからだ。

それは森山未來のパフォーマンス作品『The Pure Present』だ。普段はクリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン「最後の教室」として公開されている室内で、森山未來がパフォーマンスを行うという。チケット発売前から、関係者が「まじで枚数が全然出せないので争奪戦になります」と言っていた通り、発売開始すぐに空しく惨敗した。画面はあっという間に「完売」の文字を叩き出していた。無念…。

それでも、せっかくなので宿を取り、芸術祭には行くことにした。初めての「越後妻有 大地の芸術祭」である。

広大な越後妻有の土地を移動しながら、「あーこれがよく写真で見る作品かあ」とか「実際に人が住んでいた住居を作品として使うのってなんでこんなにいいんだろう」などと思いながら様々な作品を回った。中でも、その所々で現地のボランティアの方と会話が弾み、越後妻有ならではの文化や食生活を知ることができ楽しかった。

そして、とうとうあの作品の元へ着いた。「最後の教室」である。
その夜にパフォーマンスがあるため、通常は公開しているクリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン「最後の教室」の作品自体もその日は見れなくなっていた。受付に行き、他の展示の案内を受けている時、つい「いや~本当はこの作品観たかったんですけど、チケットが取れなくて…」と言葉が口をついて出てきた。すると、案内をしてくれた女性が「あれ本当にチケット一瞬で売り切れたらしいですよ!」と笑顔で答えてくれた。「スタッフの私でも見れないですもん!」。そうなんですかあ、やっぱりすごい人気ですねえと話していると、女性の隣に座っていた高齢の男性スタッフが、にやにやと笑った。

「僕はねえ、観たんです、実は」
それから、こらえきれないというくらいに笑いをたたえて、こっそり教えてくれた。

「いやね、本番前のやつを、関係者だけ特別に見れますって案内が回って来たんだわ。僕はダンスなんて観たことないし、森山未來は知ってたけど、特別好きかって言われるとそうでもないからね、どうしようかなって思ったんだけど…まあせっかくだしね」

男性はそういって、ぽりぽりと頭をかいた。よく陽に焼けている。農家さんだろうか。ぱっと目が合うと、照れたようにこう言った。

「あのね、あんまり言っちゃダメだと思うんだけど…もうこれが、本当に、本当にすごかったの!」
「あれは、なんて言うんだろうなあ。何かにとりつかれたって感じかね」「動きがさ、もう本当に、すげえんだよな。こうやって、こう、ひゅうって動いて…こんな近くまで来るんだから!」

男性はいつの間にか立ち上がって、その場で昨日見た光景を再現し始めた。

「何て言うんだろうね、動きがさ、もうとにかくすごいのな。観たこともねえよ、あんなの。ふわっと行ったと思ったら、きゅっとすぐに曲がったりしてさ。それで、あっちまで行ったり、ずっと近くまで来たりして。こうやって身体をまげてね…」

その目はかっと見開かれ、らんらんと輝いている。頬は高揚し、興奮していた。その時男性は、完全にあの瞬間に戻っていた。

「観てると、途中から、夢のようだなーと思ってさ。夢みたいに綺麗だったの。そんで俺、本当に観たもの。今朝夢に見たよ、あの踊りを」

男性は空を観たまま、またすとんと椅子に座った。

「こうやって、今日になってもまだ思い出せるもんな」
「踊りってさ、観たことがなかったけど、わかった。俺にもわかったよ。やっぱあの森山っていうのは、すげえな。そんで、踊りって、本当にすごいのな。多分この先、忘れることはできないな」

その言葉を聞いて、私はなんて瞬間に遭遇してしまったんだろうと思った。この山奥で、これまでの長い人生で、ダンスに触れてこなかった人が、初めて間近にダンスを観て、興奮した様子でその時のことを話している。この瞬間、私は、実際に作品を見るよりも大きなものをもらったんじゃないかと思った。男性にこれだけ熱を持って語らせる作品の、どれだけ素晴らしかったことか。

「ありがとうございます、今日来られて、お話し伺えてよかったです」

お礼を言うと、男性は照れたように「いいよいいよ」と言った。
受付の後ろに、紙に包まれたたくさんのブドウが見えた。お客さんがいない時に、二人で食べていたのだろうか。もしかしたらブドウ農家さんなのかもしれない。
この土地でずっと生活している人が、何かのアクシデントのように作品に出合って、「人に伝えたい」と思うほどの何かをもらう。こんな奇跡みたいなことが、現実にあったのだ。

それ以来、「芸術っていったい何なのだろう」と考える時に、必ずあの男性を思い出す。輝く目と、興奮した声。あの瞬間を生み出せるのなら、作品をつくりつづけるのも悪くないな、と毎度励まされている。