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〇100週目 何が変わった?


このエッセイが、今回で更新100週目を迎えるらしい。
手帳を開くと、今日の日付のところに「100週目!」と書いてあった。
その「!」を見ながら、私はなんだか不思議な気持ちになった。手帳にこう書いた1年前は、きっと100週更新したら、「!」みたいな感情になると思っていたんだろう。
なるほど…と思いつつ、本来あると思っていた満足感とか自分をねぎらう気持ちがまったくないことに気付いた。なんたることか。


2019年の2月から、毎週水曜日にコラムを更新することに決めた。
その理由は前にも一度書いたけれど、以前勤めていた出版社で上司から「文章のオチが全然おもしろくない」と指摘されたことがキッカケだった。
それ以来、文章の欠点を直したい、おもしろい文章を作れるようになりたいと思って週一で書くことに決めた。


1年目は「からだの感覚を取り戻す」というタイトルで、肌とか歯だとか眼、毛など、身体の色々な部分の役割や感覚を考えるエッセイを書いた。
2年目の今年は、「食欲をさがして」というタイトルで食にまつわるエッセイを書いている。


正直「これ誰が読んでるんだろう…」と思いながら毎週更新しているのだけれど、たまに友人から感想が送られてきたり、何年も会っていない恩師から「読んだよ」と突然連絡が来たりすることがある。その度に何だか背筋がしゅっとなる。

こういうことがあると、「おもしろいもの書かなきゃ」「読んでよかったと思ってもらえるように頑張らなきゃ」と思うようになっていく。
そのために、最初の方はあらかじめコラムをいくつか書いてストックしておき、納得できるまで推敲して更新したり、「お昼の時間にアップした方がどうやら読まれやすいぞ」と思っていた時には、必ずその時間に更新するように心がけていたこともあった。


しかし、今はどれも驚くほど全然できていない。


最近は時間配分がうまくいかず、更新日に書き始めることがほとんどだし、アップも深夜になってしまい「何とかギリギリ水曜日に間に合わせたぞ…」みたいなことも多い。内容だって後から「もう少しうまく書けたはずなのに…」と思うこともたくさんある。


これで本当にいいのか。
100週もやって、この盛り上がらなさでいいのか。どうせ書くのなら、回を重ねるごとに、もっといろんな人に読んでもらえるように、たくさんの「いいね」をもらえるように頑張っていくべきじゃないのか。過去の自分にそう言われている気がするが、しかし今はびっくりするくらいそういった欲がないのだ。


なぜか。
それは、こうやって書くことに「動じなくなった」のが大きいと思っている。


今年の秋口、羽黒山に行った。
羽黒山は日本遺産になっており、山伏修行の場としても知られる厳格な山だ。五重塔が有名で、国宝の石段の両脇にずらりと並んでいる杉並木同様、特別天然記念物に指定されている。

一歩足を踏み入れて、その空気の厳格さに息をのむ。
人間よりも遥かに背が高く、何百年も生きている杉に囲まれると、あっという間に自分の存在が小さくなるのを感じる。
「すごいなあ、すごいなあ」と言いながら参道を歩いていたが、その時、私はまだ本当のすごさを知らなかった。身体の底から圧倒されたのは、そこからひたすら歩いた先にひっそりと立っている一本の杉の木を前にした時だった。


「え………」


その木を視界にとらえた瞬間、私はそう言ったっきり何も言葉が出なくなった。
そこには、一目で全体を捉えられない程巨大な、木肌がぼろぼろになった一本が静かに立っていた。


その木は、何も言わないのにすべてを語っていた。


遥か前からそこにただじっと立っていたこと。幾度も風や雨、陽の光にさらされてきたこと。たくさんの生き物の生と死を、ただ静かに見届けてきたこと。
近くの看板に、「爺杉」というその木の名と、数千年という樹齢が記されていた。


数千年‥‥


その木はこんなに長い間、「ただ立つ」という己の仕事を、ここでひっそりと実行していたのだった。
私は、その姿を見て、自分の一生のことを思った。
そして、この木のように、ただじっくりと仕事をしていくしかないと悟ったのだ。


精神がしんどい時はそういう文章しか書けないし、時間を十分に取れない時は実力不足の文章をそのまま出すしかない。なかなか文章はうまくならないし、書かない方がいい理由ならいくらでもある。
それでも、書き続けること。
そうすることしか自分にはできないのだ。


そう思うと、なんだか書くことや、それに対する反応に逐一動じることがなくなった。
ある1本がたまたま喜ばれても、ひどい出来栄えだったとしても、それは単に大きな流れのひとつでしかない。


これから先、このコラムという形でいつまで続けるのかはわからないけれど、きっと書くことはやめないんだろうと思う。
たった100週間だけれど、現時点でわかったのは、そういう仕事に対する心の持ち様だった。




(食欲をさがして ㊽)