見出し画像

○人間、脱毛、する、なぜ


電車内のつり革広告を1枚ずつ眺めたことはあるだろうか。
最近は不景気も相まって、マナー啓発広告が多くなっている車内だけれども、その中でも異彩を放っている広告がある。
ずばり「脱毛広告」だ。
夏になれば「肌見せの季節!」と銘打って宣伝する。一方冬でも「見えないところこそ気を抜かずに★」という具合に年がら年中脱毛を勧めてくるあの広告である。
パーツだったり回数だったりキャンペーンの種類も多く、手を変えバリエーションを変え頻繁に登場している。

目に入るたびに「へー」と思いながら特に気にも留めず見流していた。
しかし、この間なぜだか急にこの広告が気になってきた。
まるで「毛がないのがマナー」のように言われているが、それってどうしてなんだろう。あった方がいい毛も存在するだろうに…
そう思ってふと扉に目をやると、「脱毛0円」の横に「AGAは進行します」という広告が並んでいた。
体毛は消したい、だけど髪の毛は増やしたい…。
思わず考え込んでしまう。人間に生えている同じ「毛」でも、部位や環境によってこうも願われることが違うなんて。

そもそも脱毛願望って、どういう考え方からきているんだろうか。
一般的に体毛は(言わずもがな)身体の大切な部位を守るために存在していると言われている。脱毛はいわばその防衛を放棄したい、という自然に逆らった考え方だと思うのだ。

これについて友人と話をしたら、いくつか興味深い答えが返ってきた。

「白への憧れじゃない?」とある友人は言う。
日本人は昔から白塗りをしていたり、白人に対して憧れを持ったりすることからも「白」に対する羨望があるという。だから、肌の上に黒や茶色がかった毛が並んでいると具合が悪いのではないか…というのだ。
少しでも美白になりたい気持ちから脱毛する説…なるほど。

またある人は「動物的な感じから脱したいのではないか」と言う。
人間は、ほかの動物ほどではないにしても、放っておいたらそれなりに毛むくじゃらになってしまう生き物だ。それでもいいけれど、やっぱり「文明」を持っている動物として、どこか「自分でコントロールできるねんで」という部分が欲しいのではないか。
自分は動物ではなく人間だ、という深層心理による説…ふむふむ。

そしてもちろん、「異性へのアピール」説も出た。
自分は体毛処理をきちんとできる人だ、ということで清潔さと、管理能力をアッピールできるというのだ。脱毛で果たしてそこまでのメッセージを瞬時に提示できるのかはわからないが、確かに一理あるのかもしれない。

そう納得しかけていた時、「それで自分はどう考えるん?」と聞かれた。

正直それぞれの案に納得して油断していたので、いざ自分に聞かれると考え込んでしまう。
えー?毛がない利点、毛がない利点…。
そして「私の道は、私がひらく。」と力強い目線をこちらに送っているローラのエステ広告を見ながら、ふと思い当たった。
「もしかして…『自分安全やで説』…じゃない?」
ローラ並みに強い「はあ?」という視線を受けながら、必死に言葉を繋ぐ。
「体毛は身体の大切な部位を守るために存在している…って言ったやん?それって、毛が生えていない=大切な部位を守らなあかんくらい危ないところにはいない!…ってことの証明になるんちゃうか…と思って…」
「はあ」とあいまいな返事が返ってくる。
「やから、異性に対して『自分は安全な場所にいる動物やで!』っていう安定感示すアッピールになるみたいな…」
友人は「はあ…なるほどな」と言いつつ、しかし出た説の中でいちばん納得していない感じだった。
でも、考えようによっては意外と一理あると思うのだけれど…。
外気や外敵からは服や防虫剤で身体を守れるいま、体毛は不要だと考えてしまう節もあるのかもしれない。

問いとして意外とおもしろかったので、しばらくは正解を調べずに考えたいと思っている。

みなさんはどう思いますか。

(からだの感覚を取り戻す 44)

1
京都のアーティスト集団 安住の地 所属。http://anju-nochi.com 脚本・演出・企画・編集・たまに役者。 元 広告代理店営業・出版社編集。 好きなウルトラ怪獣はカネゴン。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。