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○パン狂い

人生も30年近くになると、自分の適性体重というのがだんだんと体感でわかってくる。あ、自分はこれぐらいが一番動きやすい。あれ、なんだか最近身体が重くなった…等々。気付けるようになったら、そこで人類がほぼそうするように、食事を整えたり運動を挟んだりする。自分で自分の身体を管理できると気分がいい。

しかし、今でこそこういう風に言えているが、人生で一番身体が重かった時期は、今よりだいたい5キロくらい重かった。
それは、イギリスに留学していた時のことだ。そういうと「イギリスのご飯って…云々」と言われることがある。そうなのだ。イギリスは「=ご飯がおいしくない」というイメージがある。にもかかわらず、自分があの国で人生最大に太ってしまったのはなぜか。

理由は実に単純だ。
パンのおいしさに目覚めたからである。

留学中はホストファミリーの家に住んでいたのだけど、食べ物、特に朝食は自分で用意して食べることになっていた。
貧乏学生だったので、食料タンクみたいに大きいスーパーマーケットで、20枚切りとかの食パンと、サンドイッチを作る用のペースト(ツナオニオン味)を買って、毎日それを食べることにした。まあ味は普通だ。生で食べる食パンはもさもさしているし、ツナオニオンもオニオンの風味がきつくてすぐ飽きてしまった。でも20枚切りとかなので、食べても食べても全然なくならない。気付けば毎日、修行のように昼食も朝食もそれを食べるようになっていた。
ある朝、その家の長男と朝の時間が同じになるときがあった。彼は私がもさもさパンを食べる姿を見てこう言った。「トースター使えば?」
そして、「いうの忘れててごめん、これも自由に使っていいよ」と冷蔵庫からバターやマーマレード、ヌテラを出してくれたのである。
「やったー!」
これでもう少しマシにパンを食べられるー!みたいな気持ちでお礼を言った。
彼は「一緒に焼こうか?」言ってパンをこんがり焼いてくれた。いい匂いが立ち込めてくる。
そして淹れたての紅茶をマグカップなみなみについだものと、カリカリに焼けた食パンをテーブルに運んだ(ホストマザーに初日に「紅茶は砂糖を入れるものではない」と宣言されてから実際そうしていた)。
食パンが薄切りだったので、両面にこんがり焼き色が付くのが早く、1分も焼いたら丁度よかった。そこに、出してもらったバターを塗って早速かぶりつく。
「!?」
サクっとした食感のあとに、濃いい味があらわれた。
何だこれ、と思った。
それは、今まで自分が「トースト」と思っていたものではなかった。

さく、と歯が当たった直後、ふわあ~と小麦とバターのまろやかさが口いっぱいに広がる。
パンが薄切りだからだろうか。舌がパンとバターの味をキャッチするのが異様に早い。そのおかげで、どちらの味をまんべんなく堪能することができる。
パン、香ばしい。バター、芳醇…。
そこには、「どちらが主役」みたいな主張が一切なかった。それぞれがめちゃくちゃいい仕事している、それだけがわかった。

パン、めちゃくちゃ旨い食べ物やないか……。

私は生まれて初めてパンを食べる幸福を知った。それまで、人気のパン屋に長蛇の列を作る人たちを理解できなかった自分を反省した。パン、旨いですね。パンにしかもたらすことのできない幸せっていうのが、あるんですね…。

そうして私は留学中、毎朝飽きもせず食パンを2~3枚平らげるようになっていた。
そして前述の体である。
しかし、日本に戻ったら米食に負けたものもあって、あんなに盛り上がったパンへの情熱をいつの間にかすっかり忘れてしまっていた。

自分がパン狂いだったことを思い出したのはつい先日のことである。
職場の数人で、自家製パンの美味しいお店にランチに行った。先輩ライターによると、「自家製パン」と銘打っているお店は大概OLに人気で、その店も例外ではないらしい。

そうして「なんでOLはパンが好きなんですかねえ」と言いながら、ちぎったパンを口に放り込んだ。
その瞬間、ぶわっとイギリスでのパン狂いの記憶が押し寄せてきたのである。

ごく、とパンを飲み込んだあとに、うわくちびるの先に残ったバターの香りが、ふと鼻をかすめる。
そのにおいはずっと昔に覚えがあるようななつかしさで、いつの間にか心も満たしていくのだった。


(食欲をさがして 7)