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【番外編&お知らせ】自信ってなに

このコラムを始めたのは、ある一言がきっかけだった。

「あんたの文章、オチがおもんないねん」
前の職場の出版社で、上司に言われた言葉。それを聞いて、私は正直なところ「ぐっ」と思った。図星だったからだ。
文章に関わる仕事は楽しい。人の文章を校正するのはもちろん、何より自分なりに書き進めるのはまた格別だ。しかし、もちろん苦手な部分もある。問題を見つけたり、話を展開するときはすらすらと文字が続くが、いざ文章を締めくくろうとすると途端に悩む。そして、何となくやんわりとした最後で終わらせてしまう。
こうした弱点に気づきながら、それでもだましだましやっていたのが当時の自分だった。

しかし、ある時とうとう「これではダメだ」と確信した。それは、編集の仕事を辞めて今後の生き方を考えている時だった。
当時、他の人にだいぶん遅れて、私はぼんやりと「自分はこの先文章で手に職つけていくしかないのかもしれないなあ」と思い始めていた。
そんな時、先の言葉を思い出した。そう、自分の文章は弱点まみれなのだ。しかも自分でもまだ気付いていない悪点がもっと潜んでいる可能性がある。

文章の弱点は、自分ひとりで書きながら克服していくしかない。
でも、弱点は人に指摘されなければ気づけない。
そこにジレンマがあった。それまでの私にはずっと妙なこだわりがあったからだ。
文章は、人に読まれるものだ。その段階には、完璧なものしか出したくない。きちんと書けたものしか世間の目に触れさせたくない、というようなもの。つまり、ちっさいプライドだった。
そういう呪縛から、一人で細々と書いていた文章をブログに投稿することもなかったし、Twitterにだって決して手を出さなかった。世間の人がどうして中途半端な文章を流せるのかがわからなかった。そんなものを書いて、愛想をつかされないのか。ダメなところを見せて、笑われるのは怖くないのか。

しかし、もうそんなしょうもない考えにとらわれている場合じゃないと思った。
それくらい、どうしようもなく納得できる文章が書けるようになりたかったのだ。
そんな思いから、毎週水曜日に、誰に頼まれたわけでもないのに週1でコラムを書くことに決めた。
それが、今読んでもらっているこの連載だ。

自分で決めたことながら、1週間に1本はなかなかいいペースだった。比較的余裕を持ってクリアできた週もあったが、もちろん、仕事帰りに喫茶
店に寄り、夜遅くまでうんうん唸りながら書くこともあった。
そうしてペースが身についてくると、だんだんと「読者のために」とか「いい表現のために」とかではなく「先週までの自分を裏切らないために」書くようになっていた。
もはや周りにどう思われるとか、そういうことを考えずに書けるようになった(もちろん表現上でどう思われるか等は考えているけれど)。
そうしているうちに、「書いて」と声をかけてもらえることも増えてきた。そういう時、この連載で知った、自分の書く速さ、文量が正確に見積もれるというのはかなりよい指針になる。
ある時、これが世に言う「自信」というものか…!?とハッとした。
「自信」と言うのは、自分を信じる、というよりも「自分を知る」ことに近いんだと思う。

そんなことを思いながら、もう少しだけ、もう少しだけと今日もぽつぽつと文章を書いている。


………お知らせ
【書籍化決定・文学フリマ出展】

こうして続けてきた「からだの感覚を取り戻す」を、この度1冊にまとめる運びとなりました。
本にするにあたり、今までのコラムを何度も読み直し、その誤字の多さや、表現の数の少なさ、そして「言い回しもっとあるやろ!」という許せない部分の多さに赤面しながら編集を進めました。
これまでのコラム46本の中から大幅加筆・修正を行った選抜33本に加え、また、特別コラム『産んでいない現状での出産』を書き下ろし掲載しました。(「Web上で公開するのはちょっとなあ…」と思った個人的感想が入ったコラムなので、こういう形でお披露目する次第です)

また、この本を(順調にいけば)1月19日(日)の文学フリマ京都@みやこめっせで販売します。また詳しい情報はお知らせしたいと思います。もしお時間ありましたら、会いに来ていただけると嬉しいです。

(からだの感覚を取り戻す 47)