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〇自炊がうまいと思いたい

「料理がものすごくうまくなってさあ」

そういう声を、最近よく聞くようになった。おそらく自粛期間で家にいる時間が増えて、必然的に自炊する人が増えたからだと思う。メニューも、家庭料理だったり、世界の名物料理だったりと様々で、難易度もちゃっと作れるものから凝りまくったものまで幅広い。私は、時に写真付きで友人から送られてくるそれらに、「おいしそう!!」とか「お店みたい!」と言う。すると、喜んだ相手からたまにこういう言葉が返ってくる。
「ものすごくおいしいから、一回食べに来てほしい!」。
それを見て、内心はっとする。そして、何だかいたたまれないような、気恥ずかしいような気持ちになって返事に困る。
「一回食べに来て、か……」
私は記憶の渦の中から、ある出来事を引っ張り出す。


学生の頃、実家を出て初めての一人暮らしを始めた。
実家でたまに料理を作ることはあっても、自炊なんて、しかも1人分の計画的な自炊なんてやったことがない。最初は、野菜を使い切れずに腐らせてしまったり、数日持たせようと思っていたカレーを初夏に置いたままにして1日でダメにしたりと失敗も多かった。どちらかと言うと「楽しむために」よりも「とりあえず食べなきゃいけないから」という感じで料理をしていた。しかし、そんな私も、数か月経てば要領をつかめるようになり、段々と料理がおもしろくなってきた。
なんてことはない普通のメニューでも、自分の手で一から作ってみることで「ああ、これはこうやって旨味を出していたのか!」と逐一感動する。出来上がった料理に慣れきっている身からすれば、「どうやって作っているのか」を知ることは完成形を解きほぐす作業であり、まるで推理小説を読んでいるような快感があった。そして、出来上がったものはもちろんおいしい(レシピ通りに作っているのだから当たり前なのだが)。
「料理を作る」というのは「作品を作る」といった創作とはまた違う楽しみがあって、それは直接的に身体を満足させられる点だ。作ることで自信になって、しかも直接的に身になる。自己肯定感を上げるには、料理というのはこれ大変適切な手段だったのだ。


そして変に自己肯定感が上がってしまった私は、あろうことか友人にこう言った。
「料理うまくなったから、一回食べに来てほしい!」
心優しい友人は「行く行く~!」と言って遊びに来てくれた。
人に料理をふるまうのは始めてだったけれど、仲の良い友人と言うことで特に気負わず作った。特別なものではなくいつも食べているようなメニューだったと思う。彼女は「うわ~すごい!」と言って、パクパク食べてくれた。「よかった~」と思って内心満足し、お酒を飲みながら他愛もない話をした。すると、ふとした会話の流れで彼女のお父さんが料理人だということが判明した。小さなレストランでシェフをしているという。
「え、まじか…」
私は内心ものすごく焦った。こんな普通のメニューで「食べてほしい」とか言ってしまって、失礼だったのではないかと思ったのだ。
私は「ごめんね、大したものじゃなくて」と謝った。すると、彼女は「全然!」と笑った後、「まあ、でもあえて言うなら…」と少し付け加えた。
「豆腐を焼く時は、水切りしたら炒め物が水っぽくならないよ」
「野菜は、野菜室で保存しておくともっとシャキッとするかもね」
顔から火が出るかと思った。そうか、そんな風に思いながら食べてくれたのか...。私が得意そうに呼んでしまった手前、友人は気を使って、思ったことがあっても指摘せずににこにこと平らげてくれたのだった。
自分がいい気になって料理をふるまったせいで、友人に変な気を使わせてしまった。恥ずかしい。そして申し訳ない…。


私は思った。
一人暮らしの状況下の自炊と言うのは、自分で作って自分が食べるものだ。自分しか評価する人がいないのだから、採点は甘くなって当然だ。おそらく「自分で作った」という満足感込みでおいしく感じるようになっているのだと思う。
それは校正していない文章のようなものなのだから、人にいきなり食べさせてはいけない。文章に直しが必ず必要なように、料理にも段階があるのだ。


自分の料理に自信を持つのはいい。ただ、それを必要以上に人に求め始めるとなるとまた話が違ってくる。決してあなたの作る料理がおいしくないとは言わない。しかし、覚えておいてほしい。
「おいしいから食べに来て」は、思っている以上に怖い言葉だということを...。
痛い目見た私からの、せめてもの忠告です(余計なお世話ですが…)。


(食欲をさがして 15)