自民党広報の"進化論”漫画に抗議します

すでに多くの人が批判的に話題にしていますが、この自民党広報のツイッターアカウントから投稿された四コマ漫画には本当に驚きました。

そもそもこの「もやウィン」なるキャラクターが「進化論ではこういわれておる」として語っている、「最も強い者が生き残るのではなく最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である」というフレーズじたいが、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』などの著作にあるものではなく、別の学者が1960年代に自己流で解釈して語ったものだそうです。現代ではむしろ「進化論の誤用例」としてよく知られたフレーズというのですから、まったくお話になりません。

また、「いや、ダーウィンの発言かどうかはさておき、変化が生存競争を勝ち抜く条件なのはたしかだ」と言い張る人がいたとしても、それと四コマ目の「いま憲法改正が必要と考える」との間にはあまりの論理の飛躍があります。誰かがツイッターで「変化がそんなに必要ならまず総理大臣を替えてみてはどうでしょう」と言っていましたが、なぜ憲法だけが変化の対象になっているのか、なんの説明もありません。

そして私は、精神科医としてどうしても、進化論を安易に現実の人間社会を語ったり考えたりすること(「社会ダーウィニズム」と呼ばれる)に、恐怖にも近いほどの強い抵抗を感じるのです。

ダーウィンが『種の起源』を著したのは1859年ですが、その著作に強い影響を受けた従弟のフランシス・ゴルトンは「人間の進化」に思いを馳せ、ついに1883年に「eugenics」なる概念を考え出します。これは日本では「優生学」と訳されていますが、その定義を社会学者・立岩真也氏のホームページから引用させてもらいましょう。

「人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践。eugenicsの語は1883年にイギリスのF・ゴルトン Francis Galton が初めて使った。ギリシャ語で『よいタネ』を意味する。19世紀後半から20世紀にかけて、全世界で大きな動きとなり、強制的な不妊手術なども行われた。施設への隔離収容をこの流れの中に捉えることもできる。現在では遺伝子技術の進展との関連でも問題とされる。」(http://www.arsvi.com/d/eg.htm)

ゴルトンの優生学は母国イギリスではあまり広まらず、アメリカで紹介されて上記の強制断種などとして実践されました。そしてそれから再びヨーロッパのドイツへと“逆輸入”され、1933年のヒットラー政権が樹立されるとすぐに強制断種法が成立されて、知的障害の人たちを中心に強制的に不妊手術が施されていくのです。

しかし、その前、1905年には優生学と人類学が合体して、「民族衛生のためのドイツ協会」が設立されています。また1920年には刑法学者カール・ビンディングと精神科医(!)アルフレート・ボーへが『生きるに値しない生命の根絶の許容』という著作を発表し、「意思表明ができない“不治の痴呆者”(原文の訳のママ)」については「彼らの生命自体が無目的で家族にとっても社会にとっても重荷である」として、家族などの同意での安楽死も許可すべき、と述べています。

ドイツ近現代史が専門の山本秀行氏の『ナチズムの時代』(山川出版社)にはこうあります。

「ドイツ版の優生学である民族衛生学の講座は、1923年にミュンヒェン大学で開設されたばかりの、最先端の科学であった。生殖や生命を科学的にコントロールし、社会問題を、生物学的、医学的に解決しようとする考え方は、多くの知識人や若い学生たちを引きつけたのである。」

日本もこの流れとは無縁ではありませんでした。1930年には日本でも日本民族衛生学会が設立されます。その設立趣旨として「生命の根本を浄化し培養せんとするのが我が民族衛生学会の使命」であり、「政治を浄化し、経済を浄化し、法律を浄化し、宗教を浄化し」と記載されていたそうです。つまり優生学やその発展形としての民族衛生学は、19世紀末から20世紀はじめにかけて世界中である種の“トレンド”だったと考えられるのです。

ただ、やはりそれを爆発的に推し進めたのは、ヒットラーだったということは間違いないでしょう。知的障害者の強制断種だけでは飽き足らず、やがてヒットラーは知的および精神障害者の虐殺にも手を出します。20万人あるいはそれ以上ともいわれる障害者がユダヤ人虐殺に先駆けてガス室で虐殺されたとも言われていますが、ドイツ国内で多くの医学者や精神科医たちも「T4作戦」と呼ばれたこの恐ろしいプランに進んで協力します。

なぜか。理由はひとつではなかったと思いますが、『ホロコーストと科学 ナチの精神科医たち』という本にはこの作戦に加担した医師やその子孫への興味深いインタビューが収載されています。

それを通して著者は言います。「多くの学者は、たとえ時には生命の危険があったとしても、自分たちは科学のために役立ちそして科学を保護していると単純に信じていた。」

彼らは、善良な科学の徒であり、科学を遂行していると信じて(あるいは自分に信じ込ませて)、優生学や民族衛生学に基づいた大量虐殺に手を貸していたというのです。

私はここで、「ダーウィンの進化論は危険だから、いっさいそれに触れてはならぬ」などと言いたいわけではありません。進化論そのものは最近、再評価がさかんに行われるようになり、こういった優生学や民族衛生学につながるような「弱肉強食」「適者生存」や「劣者淘汰」を主張するものではなく、むしろ生物の多様性を説く理論だと言われています。たしかにその通りなのでしょう。

とはいえ、そこから派生した優生学が当時の時流と結びついてしまい、人類最悪の歴史である大量虐殺に結びついたことも否定はできません。また、優生学的な発想(優生思想)はいまも世界のあちこちでくすぶっており、アメリカでは白人至上主義や黒人差別、また日本では「津久井やまゆり園事件」という障害者大量殺人事件という形で、ときどき社会の表面にそのグロテスクな姿を現します。そう考えると、私たちは本当の意味で「進化論→優生学の悪夢」から覚めたとは言い切れないと思います。

このようにたどってくると、今回の自民党広報の漫画が、単なる進化論の誤用にとどまらず、いかに無神経なものであるかがわかってもらえるのではないでしょうか。そこに優生思想といった発想はまったくない、と作り手たちは言うでしょうが、社会的弱者に寄り添っているとはとても言えないいまの政権を見ていると、それもにわかには信じられません。

どうかこの漫画を一刻も早く削除してください。これは、ただの他愛もない間違いから始まった漫画ではなく、とても危険な思想を内に含んだプロパガンダです。