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【読書感想文】凍りのくじら/辻村深月

あらすじ

高校2年生の理帆子が主人公。

物語は理帆子が写真家であった父の名前芦沢光と名乗り写真家としてインタビューを受けている場面から始まる。

写真の中で光が際立つのは、その中を覆う闇が強いからかもしれない。

インタビューではそんな質問を受ける。理帆子、そして、父と母が大好きだったドラえもんの道具を引用しながらその理由(過去)を探る物語。

写真家だった父親は昔に家族を遺して家を出て行った。母は余命数年と医者から宣告された病気で入院中。高校生の彼女は家で一人暮らし。過去に父にお世話になった松永という音楽家が間接的に彼女と母の面倒を見ている。

物語はドラえもんの道具を引用したサブタイトルで構成される。ドラえもんが好きだった父との思い出。ドラえもんのSFは、少し不思議。そんな父の言葉が理帆子には残っていて、彼女は世の中を、そこに生きる人たちをSFに例える。理帆子自身は、少し不在。

どこにいても誰と遊んでいても、理帆子はそこに、少しいない。進学校に通うが学校の友人の真面目さとは合わず、遊んでばかりいる他校の生徒と連む。大学生や社会人との飲み会に参加し夜遅くまで遊ぶがそれも表面的な居場所に過ぎない。本を読む自分を高尚な人間だと思い込み、それとは違う周囲の人間を下に見て、他人と違う高尚な自分を確認して安心する。自分は特別な存在なんだ、と。

そんな理帆子の元彼の若尾。大学生。理帆子と似ていて、周囲は愚かで自分は特別な存在だと思い込む人間。弁護士を目指し勉強している自分は特別な存在。勉強できないやつは逃げている人間だと思い込み、下に見る。自分は高尚な夢を持っていてそれに向かって努力ができる人間。なんとなく生きている他の奴らとは違う。

そんな若尾は次第に勉強から逃げ始めるようになる。自分の愚かさから目を背けるために偏った形で周囲を下に見る。それは次第にイタさに変化してくるが、自分の正当性を通すための言動なので自分は気づかない。傷つくのが怖くて、何もできない自分を認めたくなくて。だって自分はこんなに素晴らしい人間なのに、何も考えずに生きてる人間が楽しそうに生活を送る世の中なんて間違ってる。イタい。

若尾とはまだ彼が健全な状態の時に別れてはいたが、若尾がおかしくなり始めるにつれ、理帆子に再び近づいて来る。理帆子はそんな彼と離れずにいる。若尾は自分と似ているから。

変わって、シーンは夏。図書室で一人で読書をしていた理帆子に話しかけてくる男子生徒が現れる。「写真のモデルになってくれないか」。名は別所あきら。3年生。面識はない。

断る理帆子だが、別所と話していると不思議と、友人と話しているようなうんざりした気持ちにはならない。他の人にはない頭の良さを彼から感じる。諦めない別所はまたお願いしに来ると言葉を残して理帆子の前から去り、この後何度か彼と会って話をすることになる。

偶然にも母親の病院でも別所と出会う。別所は祖母が入院中。母と祖母の二人家族。残された子どもという点では、二人は共通している。

次第に理帆子は別所に心を開き、自分の性格、秘密を別所に話すようになる。他の誰にも言ってこなかった自分の姿。ついに理帆子は別所のモデルになることを約束する。

病院では松永郁也という少年とも出会う。別所の知り合い。彼は話すことができない小学生。多恵子という家政婦と二人暮らし。音楽家の松永の今の家族ではない子どもらしい。話し方教室に通う郁也と病院のバス停で偶然出会った理帆子は、多恵子から郁也の誕生日パーティに誘われ、彼らの家に行くことになる。

思いもよらない真実。多恵子も理帆子のことを間接的に知っており、別所もまた彼らの家族と関わり合いを持っている。不思議な構図。あまり心を開かない郁也は理帆子には心を開いていく。

しばらく経ったのち、母親が亡くなる。葬儀が行われる。大切な人をまた一人失った理帆子。

そんな矢先、若尾から久しぶりの電話がかかって来る。場所はショッピングセンター。もう腐敗しきった彼は郁也をどこかにつれて行ったことを間接的に理帆子に伝えた後、ショッピングセンターの2階から飛び降りる。死ねない中途半端な高さ。構って欲しいだけの勇気。

負傷した若尾に駆け寄り、理帆子は郁也の居場所を詰問する。その時の理帆子はもう不在ではない。自らの動物的な意思に従って考えるよりも行動が先に来る。若尾と星空を見たかつての場所。森の中。タクシーでその地に着くと必死に郁也を探す。ゴミ捨て場の冷蔵庫の中に郁也を発見し、必死で森から出ようとしたところで別所に出会う。

感想

他の人を下に見る。見下すことによって自分を周囲とは違う特別な存在で、頭のいい人物だと思い込み一種の安心感、快楽を得る。天才は表裏なくそれを周囲にもわからせるが、僕たちにはそんな勇気はない。

寂しがりやで臆病だから他人の中に生息して居場所を見つけて安心して、仮の住処を探す。居心地は悪いのにどこにもいけない。そんな自分を憂いつつも気に入ってたりするから厄介だ。

人は変わらない。僕が理帆子に共感するのはそう言った彼女の気持ちがわかるからだろう。若いうちから読書をするとそういう傾向に陥りやすくなるのだろうか。本を読まない周囲とのギャップ。流行りの映画や歌なんかに興味はないけど、なんとなくなぞる。本気でそれを好きな人たちをどこか下に見る。そうやって、他人との関係を求めながらも、本当に自分がそれを必要としていることは認めない。

どこか不在。自分をどこに置いてきてしまったのだろうか。

自分の本当に好きなものこそ、他人と共有できない。だってきっとわかってもらえないから。わかってもらえなかった時を想像する。傷つきたくない。自分の好きなものを好きだということには勇気がいる。変なやつだと思われるかもしれない。そんなリスクを背負うくらいなら、そんな話は自らすべきではなくて、周りが好きそうなものに適当に合わせておけばいい。そうやっても自分の居場所は確保できるのだから。

わざわざ自分から居場所を無くすようなことをしなくてもいい。それが本当に必要な居場所かどうかは置いといて、人には居場所が必要なんだ。

美也は、まっすぐで正直だ。裏表がない。そんな美也を馬鹿にしていた理帆子だったが、美也は素直に自分のことを信じて心配してくれていたことを知り心が動かされる。馬鹿にしていたコミュニティ、集団に救われる。本意ではないかもしれないが、人に、誰かに必要とされていることを感じる。

どこか不在の正体は、自分は人に必要とされていないかもしれないという、疑念だ。誰かに必要とされていたいのに、自分が相手を必要としている事実は認めない。自尊心。プライド。

父母に置いていかれた自分。その寂しさを認められなかった自分。不在。

理帆子は郁也、多恵子と出会い、不恰好ながら人を必要とする気持ちに触れる。傍観者として羨ましくも感じる。

突如目の前に現れた別所あきら。彼はそんな不在な理帆子を取り戻すために彼女の目の前に現れた。父と母の本当の想いに気づくのはもう少し後になるが、彼女は人から必要にされることを持って自身を取り戻す。父の娘を想うメッセージ。

他の方の感想を見ていると、周囲を見下す理帆子の描写に対して「気分が環悪い」「嫌だった」などのコメントがあったが、僕は全くそんなことなく、共感しかなかった。

今でも僕はまだまだどこか不在だ。適当に周囲に合わせてしまう癖が抜けない。それは根本的に、別にどうでもいいと思っているからだ、たぶん。いやどうでもいいとは思っていないけど、僕のことを本当に理解して欲しいなんて思っていない。

いや、これも違うな。本当は理解してもらいたいんだけど、やっぱり怖いのかな、自分を否定されたりするのが。臆病者。もちろん不在じゃない場所だって持ってるけど、まだまだ不在のときの方が多い。

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