教師と生徒の(あるいは教師と教師の)デジタル世代観

こんにちは。
今日は教師の世代観と生徒の世代観のギャップについて思うことがありましたので、取り上げようと思います。

デジタルネイティブとアナログ世代

デジタルネイティブ [Digital Native]
生まれながらにしてパソコン環境で育ち、とりわけインターネットや携帯電話などのネットツールを使いこなし、それにともなったものの考え方をする年代や世代のことを指す言葉。
 ( 時事用語辞典, https://imidas.jp/hotkeyword/detail/K-00-409-08-11-H002.html)

今の学生はこのデジタルネイティブに当たります。
定義の通り普段からスマートフォンやパソコンなどのデジタル機器に接し、インターネットカルチャーを土台に人格形成がされた世代のことを言います。
80年代〜90年代後半ぐらいまでに生まれた世代をミレニアム世代、それ以降に生まれた世代をZ世代と呼ぶこともあります。

そしてデジタルネイティブと呼ばれるのはこのミレニアム世代以降のことを指し、私もここに含まれます。
そしてそれより上の世代は社会に出られてから仕事などで必要に迫られて、あるいは環境に適応するようにデジタル機器やインターネットに触れた世代です。
つまり人格形成されたのちにインターネットに触れた世代です。
この世代のことをここでは便宜上アナログ世代と呼びたいと思います。

(先に断っておきますが、あくまで生まれ育った世代の話であり個々人で慣れ不慣れの度合いは全く違いますし、デジタルネイティブとアナログ世代に優劣をつけるという意図は全くもってありません。もちろん40代以上でも巧みに使いこなす方もいれば、30代以下でも全然使いこなせないという人もいます)

そして単純な社会の構成比率で見てもほとんどがアナログ世代に当たります。
これはもちろん教育現場にも当てはまり、教員の大部分はアナログ世代で構成されており、デジタルネイティヴの教員はまだまだ少数に過ぎません。

他方で教員が相手にしているのはデジタルネイティブです。
純度100%です笑

ここで問題になりうるのが、デジタルネイティブに対してアナログ世代がそのままの価値観で教育をしてしまうということです。

e-sportsはスポーツか?

少し話は変わりますが、e-sportsという言葉をご存知でしょうか?
最近ではテレビでも取り上げられることも多く、少しずつ定着してきたのではないのかと思います。

興味がある方は「中田敦彦のYouTube大学」にて非常に面白くわかりやすく説明してくれていましたので、ぜひともご覧いただけたらと思います!

要はレースゲームや格闘ゲーム、パズルゲームなどの対戦型のゲームをスポーツとして成立させようというものです。
そしてまだまだ日本では多くの人がこう思っているのではないでしょうか。

「ゲームがスポーツになる訳ないだろ!」

この意見の是非はみなさんの判断に委ねますが、ではその市場規模や競技人数はご存知でしょうか?
アメリカなどではすでに賞金総額が100億円以上の規模にまで成長し、それを支えるだけのスポンサーがついています。
(参考URL: http://jp.gamesindustry.biz/article/1907/19071702/ )

また日本国内でも数百万円規模の大会が行われるようになり始め、10月の初めにも全国大会が開催されるなど、いよいよ本格的に盛り上がりを見せつつあります。
(参考URL: https://esports-world.jp/column/44 )

つまりゲームがスポーツとして認められるかどうかという議論に関係なく、市場は拡大しプロの選手が賞金を獲得するようになってきているのです。
またYoutTubeやニコニコ動画などでは「ゲーム実況」というカテゴリが10年以上前から存在し、他人がゲームをしているところを観て楽しむという文化がすでに成立しています。

20年先の社会を見据えて

ここで話を戻すと「ゲームがスポーツになる訳ないだろ!」という価値観のままデジタルネイティブに教育を行うことが、彼らが将来社会の一員となる際にどれだけの影響を与えてしまうのかということです。

先述のe-sportsは例の1つに過ぎず、キャッシュレス決済や暗号資産(仮想通貨)、ドローンなども同様です。確実にこれからの社会でスタンダードになっていく技術になります。

このように急速に変化し多様化していく社会が当たり前のデジタルネイティブに対して20~30年前に価値観を取り残された人間が教育してしまうと、どうしても理解し合えない部分や教員に対する反発が起こってしまうことが危惧されます。

それだけでなく彼らが学業を全うし、いざ社会人として働き始めるときには今現在の常識すら通じない社会になっていることが考えられます。
20年前から今に至る変化の速度と、これから20年で変化する速度は明らかに違います。

教育とは教科の知識を教えることでなく、むしろこのような社会や価値観の変化についていけるような精神性や多様性を磨くことではないかと思いますし、そうであって欲しいと願います。
そのための知恵として各教科の知識や経験を教えることが教育なのだと思います。

学校という閉鎖的な環境が故に実社会との隔たりを感じることは多々あります。
ICTとは言われるものの、その言葉の意味や実用性をいまいち理解できていない年配の教員も多いのではないのでしょうか。

教員は特殊な職業であるが故に、社会の動きに疎いと言われがちです。
ですので一層アンテナを敏感にして変化についていかなければなりません。
時には生徒から教えを乞うこともあると思います。
それこそ生徒の方が新しいものに関しては先生になるのですから笑

彼らは「今を生きる子ども」であると同時に「20年後の未来を作る財産」であることを忘れないように仕事に励みたいと思います。

終わりに

散々偉そうに色々書きましたが、私もまだまだ社会人一年目の若造です。
植えられたばかりの種であり、芽すら出ていません笑

新しいものばかりを礼讃せずに経験豊富な先達に多くのことを学んでいかなければならない立場です。

私のような若輩者に優しく教えてくださる先生方に感謝するとともに、私たちのような世代の価値観を理解してもらうことで子どもたちに少しでも価値のある教育が実現できるのであれば本望です。

お互いに土台となっている世代観によって分断ではなく折衷した価値観が学年や学校で共有できれば、生徒や保護者にとってもより魅力的な学校になるのではないかと思います。

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