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もうすぐ30才。Youtuberにハマる。

昨年末にはちゃめちゃ体調を崩した。
そこを掘り下げたところでオモシロエピソードなんて1個も出てこないから詳細は割愛するが、1カ月ぐらい今と同じような引きこもり生活をしていた。
2年間携わってきたビッグプロジェクトの完結を見ることも出来ず、
取ってきた大型の新規案件も不本意に引継ぎ、決まっていた大きな仕事をすっとばした。
細かな挫折なんて数え切れないが、人生においてここまで落ち込んだのは初めてだった。
他人にも迷惑をかけたし、何よりも自分が費やしてきた5年間に申し訳が立たない。
「今まで何のために?」「何故この位置まで辿り着いたのに私は今、家にいるのだろう」考え始めるとキリがない。
仕事で大きな失敗をしたわけでもないし、むしろ傍目には「最高」の環境にいるはずだ。
それなのに鍵を回しても全然エンジンがかからない感覚。
理由はわからない。焦る。だけど、どうにもならない。
とにかく泥沼だったのだ。

時間があっても何をする気にもならず、テレビもうるさく感じて消したまま。
でも、何も情報に触れていないと余計なことを考えてしまう。
そんな時に開いたのがYouTubeだった。

YouTuberというものが存在するのは知っていた。
携わったイベントのゲストとして有名YouTuberが来たこともある。
事前勉強として何本か動画を見たけど、動画見ても何が面白いのかわからず
危なっかしいな、痛そうだな、無駄遣いだな、もったいないな、ぐらいの感想しかなかった。
これが今流行っている笑いなんだとしたら、わからなくなっちゃった私はもうババアだ。

私はバラエティ番組でよくある、嫌がる人にべらぼうに高いものを買わせることとか、
ドッキリと称して他人や他人の持ち物を傷つけることとか、他人の努力を台無しにして笑うことが大嫌いだ。
「ドッキリなんだから笑えよ」って言われたって、騙された人の気持ちは晴れないし、壊れたものは返ってこない。
時代の影響か、そういうバラエティはテレビから淘汰されていき、見かけることが少なくなった。
その「時代遅れの笑い」がテレビから移行してる場所=YouTube、という偏ったイメージを持っていた。
完全なる偏見だ。

私がその時観たのは脱出ゲームの動画だった。

学校の教室でリアル型脱出ゲームしてみた

「私は何を楽しいと思う人なんだっけ?」と回想した時、友達と行ったリアル脱出ゲームが面白かったことを思い出し、
疑似体験できるものは無いかな、と思って検索したのがきっかけだ。
この動画では破天荒なことは何も起きない。
男性二人組が揉めることもなく、怪我することもなく、協力しながら淡々と手がかりを集めて、
穏やかに謎を解いて、そして脱出する。
たった、それだけ。
でも、それが面白かった。
これが「おるたなchannel」との出会いだった。

尚、この動画のないとーさんは一個もボケず、一切ナルシストでもないただの好青年であり、
故に渋谷さんは一個も突っ込まずにニコニコしているちょっと腕毛濃いめの好青年である。
新規に優しい動画だ。(おるたなとしては珍しい)

脱出ゲームを一通り見た後、そこから派生して隠れんぼシリーズ・鬼ごっこシリーズを見始めた。
YouTuber×鬼ごっこなんて、危険なことしたり、備品を壊したり、派手な画を撮ってナンボだと思っていたけど、
彼らの動画では怪我しそうなほど相手を追い詰めることはない。
体力勝負というよりは長い付き合いの二人だから出来る心理戦がメインだ。
時代に合った企画。
複雑なルールのゲームであっても編集を工夫してわかりやすくなっていて
視聴者の目線に立っているのもすごいなと思った。

余談だが、動画を観ながら編集の時に何を考えているかとか、撮影時のヒト・モノ・バショの手配やスケジューリングなどの裏の動きを推測してしまうのは完全に職業病だ。
おるたなはYoutuberの中でも作業工程が多い方だと思う。
後に、渋谷さんが新卒でイベント会社に就職していたことを知り、納得&親近感を抱いた。

昔の動画全てが面白いわけじゃないけど「こういうことはやらない」と決めている部分が清々しいなと思った。
この辺の動画は結構淡々とゲームをしているので、二人がどういう人かはあまりわからなかったが、
動画によってめちゃくちゃテンションの高低差があることに気づき(動画によってというよりは時期によってだと後に気づく)、
徐々に二人の人間性にも興味が湧いてきた。

そこで出てきたのが「28」という曲だ。

28/ないとー

「28」が名作である理由は、ないとーさんがミュージシャンではないからだ。
音楽を生業としている人は絶対にこんな曲は書かないし、書けない。
次回作のことなんて考えずに一曲入魂だからこそのメッセージの強さ。
「君」と「僕」の話をしているように見せかけて、実はずっと「僕」の話しかしていない。
「君」に問いかけているように見せかけて、実はずっと「僕」は「僕」と向き合い続けている。
ベクトルが自分にしか向いていない。「僕」VS「僕」の歌。
しかもこの曲には解決がない。悩んだまま終わる「僕」の独り言だ。
なんて内向的なんだ。

足りなすぎる自分を
さらけ出せず隠していく
キレイな自分だけを表面に揃え
手にとってくれるならいくらでも並べていた
コンビニの冷蔵に並ぶビールのよう
本当の僕はバックヤードから出られず世界を覗く。

このフレーズが私はとても好きだ。

おるたなの二人と私は同学年だ。大学を卒業して7年が経つ。
私は自分の人生を後悔したことは無かったし、自分なりに頑張ってきたというプライドがあった。
でもその結果「行くはずだった大きな仕事」が無事に終了したというニュースを自宅のベッドから眺めている。
一番踏ん張らないといけない時だったのに、あまりにも惨めなザマだった。

結果は出してきた。他人から認められたし、ぼちぼち出世もした。
昔、漠然と描いてた理想なんかよりも、もっとすごい仕事をしている。
では、自分らしく生きているかと言われたら、答えはNOだった。
っていうか、自分らしさなんて忘れたし、元々持っていたかどうかも定かではない。
だけど、元々の自分がどうしようもない雑魚だったことだけは覚えている。

自分の中での大きな目標を達成した後で、次に進む方向が見えず燃え尽き症候群のような症状になっていた時期でもありました。
なので28歳でYouTuberというあまり前例のない生き方をしていく中での自分のあり方や、これで間違っていないのか?という葛藤、その漠然とした負の気持ちを今回の歌詞のテーマにしました。
この曲によって自分の進む道がこれでいいのか不安や葛藤を抱えている人に、背中を押すことはできないけれど、「僕もそう悩んで迷って生きている仲間の1人」と寄り添えれば嬉しいです。(「28」概要欄より)

概要欄を見た時、「それ、私(当時28)やん」と思った。
その後、ないとーさんの個人チャンネル「ないとーVlog」で28の制作ドキュメントを見て「もはや完全に私やん」と思った。
(それまで自分自身の考えに理解できない部分が沢山あったのだが、思考プロセスがめちゃくちゃ似ているないとーさんを客観的に分析することにより、「もしかして自分、HSS型HSPなんじゃね?」と思い当たり、だいぶ生きやすくなる、というエピソードは長くなるので割愛する)

28の主人公は「何者」かであるか否かということにとても執着している。
何者かになりたい、でも、何者でもない自分を認めなければならない。
20代も後半になってくると虚勢を張ったところで自分の限界が見えてくる。
頑張ったら出来ること、頑張っても出来ないこと。
誰かの目から見たら私は「何者か」なのかもしれないけど、自分にとって自分はただの「雑魚」だ。

朝井リョウの「何者」という小説がある。
ちょうど就活の時期に出版されたこの小説を「無い内定」の大学4年生だった私は最後まで読み切ることが出来ず、今も栞を挟んだまま本棚に並べている。就活生にオススメしない小説No.1だ。
「ゆとり世代」と呼ばれた子供達は知識を詰め込まない代わりに「何者」かになりなさいと強要されて育てられた気がする。
時間ができたからって、誰もが錦織圭や浅田真央や石川遼になれるわけじゃない。
勉強の量を減らされたところで出来る事なんて限られている。
何者にもなれないまま、模索する日々は続く。

闇の28歳を乗り越え、先日無事に30歳になられたないとーさんは現在「地に足の着いたナルシストキャラ」で爆進している。
この1年ぐらいでとてつもなく大人になっていらっしゃる。なんだか私も「30歳」に希望を持ちたくなってしまう。
おるたなchannel自体も一時の不穏な空気やぶっ飛んだクセの強さは落ち着き、2016年の2か国同時配信が終わった頃以上の仲の良さで、カップルチャンネル通り越し、程よいクセのファミリーチャンネルになっている。45秒に1回ぐらい「私は今何を見せられているんだろう?」と思うけど二人が楽しそうなのでOKです。

とにもかくにも。
人間はどこから何にハマるのかわからないし、
おるたなは一周回って今が一番面白い。
今日のnoteはそんな話でした。

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