[ショートショート]はじめてのニュー
眠れない夜、決まって思い出すことがある。
あれは短い秋の終わり、冬の初めの、少しだけ息が白くなる日のことだ。
翌日はいよいよ狩りのデビューだという、10歳になる前日の夜の出来事だ。
俺たちの仕事は言うまでもなく、あの忌々しくも凶悪な魔物を狩ることだ。街や村などの傭兵として雇われ、狩りの対価として金銭や物品を受け取る。そのために特殊な訓練を受け継いだ一族である。
だが、簡単な仕事ではない。命を賭ける仕事である。
俺の兄貴は15歳にして、魔物に殺された。母も兄を追うように、その次の仕事で命を落とした。
だからと言って、俺を狩りに出させないという理由は、父にとっても俺にとってもありえない選択だった。
俺の一族は男女関係なく仕事に当たる。なので、家族としてではなく一族全体で子供を育てる習わしになっている。
だからだろう。母を失ったときも兄がいなくなったときも、そういうものだと割り切っていた。
つまり、齢十になれば、俺も必然的に狩りに出ることになり、命を落とすやもしれないということだ。
初狩り前日の宴が終わった。
宴では、豪華な食事が振る舞われる。表向きは明日の活躍を祝してということではあるが、真実としては明日にも亡くなるかもしれない命に対し後悔をしないようにという意味がある。
宴が終わり布団に潜るも、気持ちが高揚して眠れない。
そう、俺は明日には死ぬかもしれないのだ。
窓の外を覗けば、月が顔を出している。
煌々と光り、闇夜を照らしている。
隣では幼馴染の女が一人、裸で寝ている。
狩りの前日には命を残す営みを行うことが通例になっている。
だが、弱虫の俺は事を成すことができなかった。
彼女はそんな俺のことをそっと抱きしめながら眠った。
ゴロンと寝返りを打つと、彼女が言う。
「眠れないの?」
返事はしなかったが、深く息を吐いた。
「私も、初めての時はそうだったんだ」
彼女は俺よりも先に10歳になった。
だから、俺よりも先に狩りに出ている。
だが、この「初めて」が何を意味するのかは、俺には未だにわからない。
「そういう時はね——」
彼女は少しだけ体を起こす。
月明かりに照らされた彼女のシルエットは、命の全てを模していた。
「特別なおまじない」
彼女は俺の頬にそっとキスをした。
「……キスをしたのは君が初めてなんだ。はじめてのニュー、なんちゃって」
照れるくらいならば、言わなければいいだろうと思った。
そのおかげだ、などというつもりはないが、俺は30を超えた今もこうして生きている。
だが、一族で残っているものは、俺と最愛の幼馴染の二人だけだ。
俺は結局、一度も狩りを経験することがなかった。
あの夜、俺は彼女を奪って逃げたからだ。
自らの命が消えることを恐れてはいない。
それは今になっても恐るるに足りない。
ただ、彼女が消えることを怖いと思った。
彼女が消えた世界で生きることを怖いと思った。
彼女は俺に呪いをかけた。
あの日まで、怖いものなどなかった俺に呪いをかけた。
世界で一番、臆病になるまじないを。
魔物はこの世から消え去り、命を賭けた大仕事をする必要も無くなった。
我が子たちには、一族の教えを伝えることはない。
俺の代で我が一族の秘伝は廃れていく。
だが、俺はそれで良いと思っている。自らの命を懸けてまで守るものは、秘伝などではないと、俺はあの日、彼女に教えてもらったのだ。
「あしたのしあい、かてるかなぁ……」
明日は7つの息子がサッカーの初陣を飾る。
「トーナメントだから、かたないといけないんだよ。まけたらしんじゃうんだ」
「そうか。負けたら死んじゃうのか」
そうなんだよ、と息子が口を尖らせる。
「じゃあ、パパが一つ、勝つためのおまじないをしてあげよう」
俺は息子の額にキスをした。
「はじめてのニュー」
「なにそれ、へんなの」
ケラケラと笑う息子の笑顔は、とても美しかった。
俺は我が子に魔法をかける。
誰よりも勇敢で、優しい人物になるための魔法を。
<リスペクト>
『はじめてのチュウ』あんしんパパ
カバー『MY FIRST KISS』Hi-STANDARD
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