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仮初の安全と声色の呪縛_4

(前話はこちらから)

 中学2年生、隆太と僕の某日。
「これが、レッチリだよ。かっこいいだろ」
 隆太は自分が演奏しているかのように誇らしげな表情をしている。僕が初めて『Red Hot Chili Peppers』を聴いたは、14歳。隆太の部屋にあったライブビデオだ。上半身は裸で全身タトゥーだらけ。ステージで飛び跳ね観客を煽り続ける。その姿に観客は発狂し、我を忘れる。この異様な光景とパワフルなライブパフォマーンスは、隆太の部屋にある音響が微妙で画面も小さなテレビでも、充分過ぎる衝撃を僕にあたえた。
「めちゃくちゃかっこいい。これ弾けるようになりたい。今日からレッチリしか聴かない」
 興奮した僕は自分自身に妙な制約かけていたが、実際14歳から16歳まで、僕は本当に『Red Hot Chili Peppers』しか聴いていなかった。
「じゃあベースやってよ。俺はギターの練習しているから一緒にやろうぜ」
 当時ベースがどんな楽器かも知らず、どれだけ偉大なベーシストが弾いているかも分かっておらずに、僕はこうしてベースを始めることになった。
 ベース練習はとても楽しかった。最初は指の皮が柔らかく、長く練習ができなかったが、皮が固くなるにつれて練習量も増やすことができた。それに比例して使える技術も増えていった。初心者が弾くようなアーティストではなかったのだが、そんなのはどうでもよかった。ひたすら練習して、ひたすらCDを聴き続けた。

 ある時、気づいたことがあり隆太に質問した。
「最初に見せてもらったライブビデオと借りているCDで微妙に音が違うところがあるんだよな。これってどっちを弾いたら良いのだろう」
 隆太は感心した顔で頷きながら返答をくれた。
「回答としては、どっちでも良いになるね。どちらも正しいから、慶太が好きな方で弾けば良いよ。人間なんだから、その時の気分によってアレンジとかは加えたいでしょ。特に海外のアーティストは同じ曲でも昨日と今日で全然違うものを弾くことがあるんだよね。同じものを聴きたいならCDだけ聴いていれば良いだろ。仕事として、同じ曲を人生で1,000回以上演奏する人の気持ちになってみろよ。ライブくらい原曲から変えたくなっちゃうのが普通だと思うけどな」
 僕は感心しながら頷いた。それを聞いてからは一段と集中して音を聴くようになった。意識を研ぎ澄まし、ベースラインを追いかける。通常盤のCDはもちろんだが、ライブ盤も見つければ積極的に買うようにした。そして一つひとつの音を丁寧に追いかけて、再現できるように練習をしていった。

 気がつくと僕の聴力は異様に発達していた。日常の会話でも微妙なトーンの違いに気がつくことができるようになり、声と表情を合わせればその人の感情をほぼ捉えることができるようになっていた。喜んでいる時は一緒に喜び、怒っている時はなだめ、哀しんでいる時は無言でそばにいて、楽しい時は一緒に楽しんだ。そんな僕の行動や発言に人は安心した表情を見せてくれるし、安定したトーンの声を出してくれる。それを見たり聞いたいすることで、僕自身も安心するようになっていった。
 もともと争いが好きでない僕にとって、この能力はとても便利なものになった。どんなに気をつけていても、人を怒らせてしまったり、傷つけてしまうことがあったが、聴力の発達によりその事故を起こす確率が大幅に下がったのだ。こうして僕は、自分から何かを発言することを極力減らし、無難で安定した回答を出し続けることを意識するようになった。つまり自分自身の感情や感覚を、自分自身から遠ざけることにしたのだ。もしかしたらあまりにも遠くに行きすぎて、もはやそれが、僕のものであったことを思い出せなくなってしまっているかもしれない。

 この能力の副次的な効果は、日々多くの感情に敏感になったので現代文の読解能力を飛躍的に高めた。さらに、解釈したものに対して正しい発言をするために、会話の構造を意識するようになったので、数学の回答アプローチの鋭さも格段に上がり、学校での成績も右肩で上がっていったのだ。
「音楽を真剣に始めると国語と数学ができるようになるなんて話、聞いたこないよ。でも実際成績が上がっているから不思議だよな」
 隆太は興味深い声色を出しながら僕のことをじっくりと観察している。ベースを練習をしている指や能力の上がった耳、そして成績が上がった頭。視線を何回か同じように動かす。聴力の異常な発達は隆太にも伝えないようにしていたから、話が飛躍して聞こえているのだろう。
「とにかく成績が上がって良かったな。これで同じ高校行けるかもしれないな」
 と隆太が笑顔になる。僕も笑顔を返す。実際、この予言は当たることになる訳だが、当時の僕らは知るすべを持ち合わせていない。
「僕にこだわりはないけど、隆太と同じ学校に行けたら高校生活は楽しくなりそうだよ」
「そうだな。まあこのまま勉強も頑張りたまえ。もちろんベースもよろしくな。くれぐれも慶太だけが受かって、俺が落ちるなどは想像しないように」
 少しだけ声色が変わった。おそらく本当に不安なのだろう。ネガティブな陽キャが表出している。
「それはないでしょ。逆はあるかもしれないけど」
「慶太は本当に欲しい言葉をいつも言ってくれるよな。安心する。ただ、俺にはあまり気を使わなくていいからな」
 僕は14歳の時に『Red Hot Chili Peppers』を聴くことで人より少しだけ耳が良くなり、人の表情と声色を確認することができるようになった。そして、親友にも気にされるくらいに空気を読む人になったのだ。

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