「全部嘘でいいけど、好きだったよ。」
それは、恋人に別れを告げた友達にいきなり届いた、その子の恋人からのメッセージ。
それを聞いた私は、あぁ別れの言葉としてなんて素敵な響きだと感じた。 (これを書くことについて、友達の許可を取っていないので怒られたら謝る)
全部嘘でいい。
例え2人になにがあろうとも、それは嘘として洗い流せばいい。愛があったのだから。
過去形の愛というものは、口に出せば涙が滲みそうなほど脆くて儚い。
終わりを告げるサインが、その愛を肯定する。
それは彼女にとって、なんて残酷な通告だっただろうか。
それならいっそ、嫌ってくれた方が優しいのに。憎くて、もう会いたくないと思われた方が、楽に幸せになれたかもしれないのに。
そして偶然にも同じ頃、とある裁判の記事を読んでいたところ、容疑者の女性が言った言葉が目に入る。
「全部が嘘でも、殺せば本当になると思った。」
あぁ、そうか。勿論残酷で方向は間違えてしまったかもしれないけれど、この人は本当に愛していたんだなあ。
そして、被害者の男性はこの時「できれば罪を償うような形ではなく、普通の生活を送られるようにしてもらいたいです。」と言ったそうだ。
自分がもし当人であったとしたら、どうだっただろう。自分を殺害しようとした人に対してそこまで寛大な対応ができるだろうか。
いろんな愛に触れたそんな日。
人の数だけ、愛の形はあるということを実感した。
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