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「スポーツ」note

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スポーツに関するnoteをまとめています。 (原則的には私が書いた記事) スポーツは「体現」という意味でもクリエイトと共通部分があると考えます。様々な場面でも応用できるでしょう… もっと読む
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2017年11月の記事一覧

スタンダード

「スタンダード」 標準。規準。また、標準的であるさま。 出典:デジタル大辞泉 こちらの記事をご一読ください。 「教育現場に広がる「標準」とは? 〝30秒で泣ける漫画〟の作者が描く」 吉谷光平 この記事では上手く"混乱"を描き、表し、意見は特に開陳されていません。読者が読み取る、如何様に解釈するかに委ねている感じがします。 この記事を吉谷さんが書く元ネタは朝日新聞のこの記事から。 「授業・生活指導…「一律に」 学校現場で広がるスタンダード:朝日新聞デジタル」 ただ、私

"私たち"にとって重要な意味を持つ"月"

"月"は年月の"月"です。 卑近な例で行くと、関東の大学長距離関係者にとって大きな意味を持つのが「箱根駅伝」。そして、その開催時期である1月2日、3日はとても存在感が大きく、チームとしてのサイクルはどうしてもそこを中心に回っていきます。 12月くらいから箱根駅伝に向かって様々な動きもありますし、メディアを始め、取材やファンの方々が書く予測や応援など、一色に染まっていく雰囲気の下、年末も年始も関係なく"箱根"に向かってひた走るようになります。 同じ様に、学生三大駅伝なら、

流れを生み出すものと、その影響

このエントリー「"私たち"にとって重要な意味を持つ"月"」から。 ここで書いた"流れ"や"意識"というのは"業界"のようなものを形成し、同じ流れに身を置く、大きな奔流が出来上がります。好む、好まないを関わらず、どうしても巻き込まれることも多い。 大学で長距離選手をやっていると「箱根目指してる?」と聞かれることも多いでしょう。高校生なら「高校駅伝」。体育会系でもインハイなど。野球なら甲子園? 他の競技は解らないですが、この"競技"という言葉についても「区別は難しい」です。

この瞬間に賭ける!

日頃、学生たちを"指導する"機会が多いので、心がけていることを一つ。 もちろん、自分の人生においても、こうやって書くことも同じものが根底にあります。 "この瞬間"というのは二度と戻ってはこない。 ありきたりなようですが、自分が競技者→指導者としてキャリアを重ねるうえで一番感じるのは、「中高大社」全ての期間において、1年ごとに卒業生や新入生、退部や移籍が生じるので、チームというのは一定の形を保たず、一人の影響は微細なようで、しかし大きな影響を持っていて、「同じ形のチーム」「

神屋が思い描く「オンラインサロン」とメール相談

現在、フリーランスとして活動開始した2014年1月より、「メール相談」という形でサービスを行っております。基本的にはlineなどを活用し、マンツーマンでご相談に乗ります。という形です。 これに練習会や、パーソナルレッスンなどを組み合わせて頂く方も居られ、よりランニングライフの一助になると思っています。 クラブチームや、中高の部活、大学・社会人で集団では行わず、専門家の指導や意見をあまり受ける環境ではなくて、でもそういった指導、相談を受けたい!という人にお勧めです。 特に

把握する

競技力を向上させていく為には先ず"自己"を把握することからはじめる。 現在のレベルや立ち位置はどうか? 技術や経験、長所短所は? 陸上、駅伝は数値にし易いし戦力把握もし易い。ただ陥穽に陥るとすれば、数値化し易い部分に注目し過ぎて、他の部分を軽視、把握を怠ること。 また、マネジメントでも同じように、構成員のレベルはどうか?求める水準に追い付いているか?これも数値化出来るものはしておいた方が良い。 "自己"の把握が済めば"他"へと目を向け分析していく。彼我の差を理解せねば

"コミュニティ論"を考える助けになるように

以下のnoteで「コミュニティ」について考えよう!と書きました。 考えるためにはその材料があった方が考えやすいと思います。もちろん、共感したり、同意したり、流されたり、もう頭の中がぐちゃぐちゃしてきたりは起き得ます。それはそれで良いと思います。 そのカオスな状態がある意味、柔軟性や多様性を生み出す第一歩かなと思います。参考資料として幾つかnoteを辿ってみましょう! 先ずはさきほどのエントリーでも出てきたこちら。 そして、そこでも参考に掲げられていたのでが最所あさみさ

"私"だから出来ること

「岩政大樹さんの「書く理由」から」受けて、更に書き連ねたいと思います。 "私"がやることは、基本的には全部"私"にしか出来ないことが多いでしょう。もちろん、これを「"神屋"にしか出来ないこと」と置き換えてみたい。 こうやって書くことも、指導者としても、フリーランスとして様々な依頼やご相談、創り出すものも、"神屋"ならではの視点や事業等になります。 たとえ、同じような視点や考え、仕事内容になったとしても、誰かのパクリでなければ、それはあくまで「神屋的なもの」が他の誰かと似

チーム

チームというのを思い浮かべると、大抵の人は「複数の人が寄り集まった」状態を思い浮かべるでしょう。 さて、本稿ではそれを「自分の中」にあるイメージをしていきたい。 この投稿でも触れた「インプット」の偏りですが、これを「現実の」みなさんがイメージされたチームに置き換えてみましょう。 現実のチームでは、仲良しで、協調性があって、みんなが同じ方向を向いているのが確かに居心地がよく、「理想的」かもしれません。 しかし、例えば箱根駅伝でも、全国高校駅伝でも、皆が同じ区間を目指し、

「部活問題」

「部活問題」は教員の生徒の、保護者の負担もそうだし、志向差も相当ある。 そして、私のような立場は非常にデリケートな問題でもある。 「部活」の中でも「趣味志向」と「競技志向」があって、アスリート育成の観点(大学の指導者のキャリアから見た場合)から見ると、「競技志向」の行く先が気になる。 利害関係も相当あって色々考えると結論は出ないし、難しいのは確か。 そして、新たなビジネスチャンスと捉える人も居れば、金銭負担増や施設の問題など、新たに生じることに因る「変化」を嫌がる人も居

カルチャー作りと優先順位

私は「カルチャー派」です。 成熟したチームならある程度カルチャーも出来上がっているので、少しずつ変化していく組織であれば良い。なので、スキルも手順も、To Doも優先順位を同じにしても良いかもしれない。 しかし、新興していく、停滞している組織はまず「結果を出せるカルチャー」がない、もしくは「結果が出せない理由」を再生産し続けている為、短期的な結果を目指すより、中長期的視野に立って「結果を出していけるカルチャー作り」を最も大切にして行った方が良いと考えます。 もちろん、優先

高レベルとその他の違いと学び

今回はアスリート目線で書かれているものを参考にします。 以前にも引用した岩政さんの記事からです。 「サッカーのレベルの違いはどこで生まれるのか。「鹿島」と「鹿島以降」に学んだもの」文:岩政大樹 日本では最高峰にあったところでプレイ、過ごした経験のある人にとって、そうではないチームや環境は色々な「違い」を感じていたそうです。 これは私にとっても同じ様なことを感じます。 自分が出てきた中学は駅伝中心でしたが、毎年全中に行くのは当たり前でしたし、2年次は全国駅伝を狙うべく取り

「スポーツの拡大」への取り組み

スポーツは巨大で、ある程度は身近にあるものだと思います。 しかし、競技ごとに垣根が大きかったり、 身近なようでいて、でもテレビや音楽ほど浸透していない感じもあります。 私はスポーツが空気のような感じでいつも身近にあるようになって欲しい。 と思っています。 例えば囲碁だとやる人が少ないので寂しいです。 気楽に打てればいいな、と思うことがしばしば。 現在はそこそこブームになっているマラソンや駅伝ですが、やはりまだまだ開拓余地(楽しむ余地)はあると思います。 参加するのも

マイペースと疲労感

人は何時も通りのペース:マイペースを貫いている限りでは、疲労もダメージも予測できるし、先も読める。 つまり、ある程度楽に事を進めていけるであろう。 それに比べ、何時もよりちょっとハイペースで行ったり、予期せぬアクシデント、ハプニングなどは疲労感を余分に生み出していく。 大抵の人が変化を嫌うのはこのマイペースが崩されるからだろう。 もちろん、進学や引っ越し、その他、必ずマイペースが崩れ、新たな外的要因に自分を合わせる必要に迫られることもあるだろう。そこには予期できること