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【新自由主義と個の時代そしてコミュニティー】

新自由主義と個の時代そしてコミュニティー。この3つについて考えていきたい。新自由主義により競争は激化し、格差が広がった。一部が富みその他多数の敗者がわずかな富を分け合う。そんな社会システムのなか、時代は集団や組織から個の時代へと移行しようとしている。そのほか大勢に埋もれない”尖った個”それが直近のテーマなのかもしれない。ただ個の時代になっても社会システム自体は変わらない。むしろ、より競争は激化し敗者はより敗北を身に染みるようになる。計り知れない自由に押しつぶされてしまうかもしれない。

ではそんな脆く儚い個を何が支えてくれるのか。それがコミュニティーである。コミュニティーは経済活動やメンタルヘルスにおいて必要不可欠である。今までは経済活動をするコミュニティーと、自らの居場所であるコミュニティーと個という3つが重なりあうことは難しいことであった。しかしながら、個の台頭で多様化がすすむことで、それらが重なることが大いにあり得る。つまり、みずからお金を稼ぐ場所が自らの居場所であり、自らの居場所がお金を稼ぐ場所になっていく。これを具現化させたのがYoutuberやブロガーといった個であるのだ。

また、価値提供と個もより近づいていく。今までは、個人の価値観や考え方、趣味嗜好と、社会でお金を得るための価値提供手段は隔離されていることが大半であった。けれどもこれからは、個人の価値観や考え方、趣味嗜好が価値になりえる。なぜなら、価値を提供する先が、システマチックな社会から、人の体温を感じるコミュニティーに変化していくからだ。かれらは利便性や効率性だけを価値基準としない。その価値は多様であるのだ。

このように個が台頭し、コミュニティーをもつことでよりその価値を提供していくことがしやすくなっていく。それでもシステムが張り巡らされた社会で、やはり競争による格差はついてくる。システムvs個・コミュニティーという対立構造が見えてきた。いかにして競争を避け、多くの個が自らを愛しながら経済活動を成立させていくか。それがしばらくのテーマになりそうだ。

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