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「待つ時間」を活かして使う──マインドフルネスの12の練習 WEEK12

photo by Lesly Juarez/unsplash

『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする「マインドフルネス」入門』(ジャン・チョーズン・ベイズ著)から、日常生活の中でできるマインドフルネスの練習を紹介します。WEEK12の今回が最終回。「マインドフルネスを、もっと体感したい!」と思った方は、ぜひ本書で続きをどうぞ。

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(本書PARTⅡ マインドフルネスを日常で実践する53の練習 より)

「待つ時間」を活かして使う

どんな練習?

レジの前に並んでいるとき、遅れている人を待つとき、パソコン画面の砂時計のアイコンが消えるのを待っているときなど、さまざまな待ち時間を利用してマインドフルネスや瞑想や祈りを練習することができます。

待ち時間が利用できるマインドフルネスの練習の1つは、「呼吸」です。2、3回深い呼吸をして、待たされる不快感や、相手が遅れるかもしれないという懸念によって生じる緊張をほぐします。呼吸を感じるのは体のどの部分でしょうか? 鼻孔、胸、あるいはお腹でしょうか? その部分に意識を集中して、それらが常に変化していることを意識します。

また、待ち時間は、音を聴く練習をするいい機会でもあります。聴覚を開放して広げ、部屋全体の音をとらえましょう。

もう1つは、自分の体に向けた「愛と慈悲の瞑想」(練習51)をすることです。息を吐いて体をリラックスさせます。息を吐くたびに目の周り、口もと、肩、お腹など、どこに余分な力や緊張があるか探り、そこの力をゆるめます。待たされることに不快さを感じていると気づいたら、自分にこう語りかけましょう。

「なんてありがたい。思いがけず、マインドフルネスを練習する時間ができた」

取り組むコツ

小さな紙かテープに、Wの文字(wait の頭文字で、「待つ練習」の意味)を書いて、腕時計、車の時計、携帯電話など、ふだん時間をチェックするものに貼っておきます。コンピュータの画面やマウスにも貼っておくといいでしょう。

この練習による気づき

私がこのような練習を知ったのは、瞑想を習い始めたばかりの頃です。忙しい病院の研修医として、週に72時間も働いていて、それこそトイレに行く暇もないほどでした。ある日、2人の禅僧が、病院に私を訪ねてきました。2人をだいぶ待たせたあと、私は急いで待合室に行き、遅くなったことを詫びました。すると、1人が「少しもかまいませんよ」と言いました。さらに、「おかげで、待っているあいだに座禅ができました」と。「ああ、そうなのか!」と私は目が覚める思いでした。

「忙しい人間でも、マインドフルネスを練習する時間がとれるでしょうか?」

そのような質問をされることがよくありますが、これがその答えです。まとまった長い時間を割く必要はないのです(もちろん、そうしてもいいのですが)。「今この瞬間」に意識を集中する練習をする機会は、1日中あらゆるところにあります。

渋滞のために待たされるはめになると、私たちは本能的にその不快感から気をまぎらわそうとして、ラジオをつけたり、携帯でメールをしたりします。そうでなければ、じっと座って怒りが募るのにまかせます。こういう待ち時間にマインドフルネスを練習するようにすれば、1回の時間は少しずつでも、トータルでは多くの練習時間を1日のうちに手にすることになります。そういうときに、日々の暮らしに複雑に織り込まれている糸のなかから「気づき」の糸をたぐり出すことができるのです。

「待たされる」というのは、日常しょっちゅう起こることで、たいていはネガティブな感情を生みますが、それをマインドフルネスの練習のための自由時間という「恵み」に変えることができます。イライラなどのネガティブな感情を消し去るだけでなく、数分間ずつの余分な練習で日々その効果が得られるので、二重の恵みと言えます。

「待つ練習」を最初に教えてくれたのは父です。とても忍耐強い人でした。

日曜の朝、父はスーツとネクタイで身なりを整えて車に乗り込み、新聞を広げます。そのあいだに、母と私を含む3人の娘が1人ずつ車に乗り込むのですが、誰かしらが「手袋を忘れた」「バッグを忘れた」「口紅をつけてない」「靴下に穴が開いてる!」「髪留めをしていない」「お祈りの本がない!」などと、車と家のあいだを行ったり来たりします。ようやく足音や車のドアの音が完全にしなくなると、父は顔を上げておだやかに新聞をたたみ、エンジンをかけるのです。

深い教訓

この練習を始めると、まずネガティブな思考にともなって体に変化が起こることに気づくと思います。待たされているといらだちなどが生じます。レジの列に並んでいると、自分より前の人たちや動作の遅い店員に対する怒りなどが湧いてきます。しかし、そこで踏みとどまって、それらのネガティブな感情に心を占領されないようにしていると、習慣化してしまった不健全な心理のパターンがしだいに消えていきます。

心の車輪がいつも同じ深い轍(わだち)にはまって、いつもの坂を転がり下り、いつもの泥沼にはまり込むパターンを避けることができると、やがてその轍自体が浅くなり、最終的に消滅します。そして、待たされることによって習慣的に感じていたイライラや腹だたしさも、しだいに解消していきます。時間はかかりますが、効果は必ず現れます。あなたがイライラしなくなれば、周りの人たちにも恩恵が及ぶのですから、やるだけの価値はあります。

私たちの多くは、自分の価値を「生産性」ではかろうとする傾向があります。

今日1日何も成し遂げなかったら──つまり執筆もせず、講演もせず、パンも焼かず、お金も稼がず、何も売らず、買い物もせず、テストでいい点を取れず、恋人も見つからなかったなら──その日を無駄にしたような気がして、自分はダメな人間だと思ってしまうのです。

自分という人間が存在して、今このときに生きているということに対して、何の評価も与えません。こういう考え方をしていると、「待つこと」がフラストレーションのもとになります。「こうしているあいだに、あれもできたのに、これもできたのに!」というわけです。

あなたにとって大切な人に、「あなたに一番何を求めるか?」と尋ねてみたら、どんな答えが返ってくると思いますか? おそらく、その答えは「あなたがいてくれること」「私を優しく気にかけてくれること」というものではないでしょうか。「人が存在する価値」というものは、それによって生じるポジティブな感情、支えられている実感、親近感、幸福感などでしかはかれません。

忙しく飛び回って生産的であることをいっとき止めて、ただ静かにそこにいてみてください。自分の周りに意識を向けてみましょう。実際に周りに人がいなくても、自分が人から支えられている実感、親近感、幸福感を感じることができるでしょう。このようなポジティブな感情は、誰もが欲しているものですが、お金では買えません。これこそが、「存在していること」がもたらす自然の果実です。誰もが生まれながらにもっていながら、そのことを忘れている「生得権」なのです。

自分を変える言葉
待たされるはめになっても不快に思ってはいけない。
今このときに「存在する」練習ができる時間を与えられたことを喜ぼう

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