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単純なポーズほど描くのが難しいという話

9月8日の大阪文学フリマに出る予定にしている。
その時に出そうと思っているのが、去年妹と行った北海道の旅行記。絵をふんだんに使った絵日記みたいなものだ。
9月末には絵本のグループ展があり、そちらにも新しい本を出す予定なので、まずはこの旅行記を終わらせようと躍起になっている。
本当は先月終わらせる予定だったのだが、大幅に遅れている状態。でもようやくイラストの方はほぼ終わり、あとは表紙となった。
文章や構成についてはもう少し推敲を重ねていこうと思っている。今はそんな状況である。

あとは表紙ということで、今日はアルバイトもないし、仕上げる予定であった。
表紙とはいわず、構成についてもいくつか修正もしようと思っていた。
ところがである…簡単だと思っていた表紙が、夜の8時半現在もまだ終わっていないのだ!
特に凝ったものにする予定もなく、ただ旅行記の登場人物、つまり妹と私が歩いているシーンのみのイメージだった。だからこそすぐに終わる、遅くても今日の3時くらいに終わる予定だった。

だが描いてみて気付いたのが、ただ歩くというポーズ、なかなか難しい。
色んなことに触れながら「わ~~~」と喜んでいる雰囲気を出したいのだが、どういうポーズにしたら良いのか。下描きを描いては消し、描いては消しと繰り返した。
カメラを持っているのはどうか。いやカメラ持っているとミーハー感が出てしまうのでは。カメラを持っていないとどんな格好になるのか。リュックに手をかけているのはどうか。果たしてそんな恰好で歩くか。
考えると尽きない。
やっとこさポーズは落ち着いたので、後は仕上げる段階なのだが、それにたどり着いた時には日が暮れていた。

ただ歩くという簡単なポーズではあるが難しいと思った一件だった。
思えば、日本舞踊でもただ歩くという振りが非常に難しい。
「変に考えないで普通に歩いて」と注意されることも多々あるのだが、やっているうちに「普通に歩くとは?」とわけが分からなくなるのだ。
本当に普通に歩いている姿は、日本舞踊においても、絵画においても様にはなっていない。だからある程度脚色が必要なのだが、そのちょっとした脚色―大げさすぎず、不自然ではない―のが本当に難しいのだ。

とりあえず今はこんな絵にしたものの、一晩経って見たら違うポーズが良いと思うかもしれない。
それくらい”歩く"という基本的なポーズが難しいと実感したのであった。

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