見出し画像

教会嫌いの戸惑い

宇井さんは実は、こんなんでもカトリックのクリスチャンだったりします。
といっても赤ちゃんの頃に親の意志で洗礼を受けた、いわゆるボンクリ=ボーンクリスチャンというやつなんですが。

子どもの頃は、日曜日は教会に行き、でも教会の同年代の子が意地悪であまり親しめず、中高生になって部活が忙しくなってからは全然教会に行かなくなった、わりとありがちなボンクリパターン。

聖書に書いてあることは、わけのわからないところも多かったけれど、わりといいなと思う部分もあって、特に「カネや権力を持ってても全然えらくない」「貧しくたって全然恥ずかしくない」っていうことは、子どもにもわかりやすく書かれていました。
子どものうちにその価値観が植え付けられたのは、自分にとってはとても良いことでした。
おかげでカネや権力のことでコンプレックスを抱いたり、人と比べて焦ったりすることがかなり少なく、今もそれは精神衛生上役立っているなと思います。

大人になってからは、カトリック関係の会社で記事を書く仕事をしてたりもしたのですが、しかし私は時を経るほどに、教会の「お金持ちの中高年を中心としたコミュニティ」の感じが苦手になっていきました。

ところが不思議な縁で、今も私はカトリック関係の職場で働いています。それはカトリック青年労働者連盟(JOC)というグループの、事務の仕事です。
元々私はこのグループの青年メンバーとして参加し、去年まで活動していました。

最初は、記事を書く仕事の方でこのグループとの出会いがあり、前職を辞めた後もグループには関わり続け、今はパートで事務のお手伝いをしているような感じです。

労働という観点で見るキリスト教は、小さい頃から私がキリスト教によって身につけてきた「カネや権力を持ってても全然えらくない」という価値観と合致しました。

JOCっていうグループは、107年前にベルギーでカルデン神父という人が青年労働者のために始めた、実は歴史ある運動です。
カトリックの神父が始めた運動ですが、世界各国で宗教を問わず広がっていて、インドネシアではイスラム教徒の若者ばっかりで運動をやっていたりします。日本でももちろん参加条件に宗教は問いません。

そしてその創始者のカルデン神父さんは、「青年労働者は機械ではない」「一人の青年労働者には世界中の金銀よりも価値がある」という言葉を残しています。

ありきたりな言葉のようにも聞こえますが、よく考えると、世の中ではわりと逆のことが起こっています。
人間の価値がカネよりも低く見積もられ、「人間のためのカネ」ではなく「カネのための人間」になり下がってしまうという事態。
"金もうけのために生まれたんじゃないぜ"って清志郎も歌ってますが、わりと人間をカネより低く見積もってる価値観は、世の中に広がってるように思います。

「役に立つ人間になりましょう」と言う時、人は何を思い浮かべるか。「社会貢献」や「経済への貢献」、つまり「カネを作れる人間であること」が「役に立つ人間であること」になってはいないか。
まあ「一番金持ちが一番えらい」みたいなわかりやすい拝金主義の人はそんなに多くないかもしれないですが、自分でお金を稼げない人を、世間はわりとカジュアルに役立たず扱いしてるんじゃないかと思うんです。

私が労働問題とキリスト教が結びついてる場で学んだことは、キリストはそういう「自分でお金を稼げない人」たちと一緒にいたということ、そういう人たちを搾取する権力に抵抗していたこと、そういう人たちの中で、よく人をご飯に誘って一緒に食べて話していたということ。
それが見えてきた時、これは現代にも通じるコミュニティ作りと運動の形なのではないかと、気づかされたのです。

ところで先月、とあるマイノリティ属性を持つ人たちのためのカトリック信者の集いに参加してみました。
その中で、率直に「ボンクリだけど今まで教会に馴染めず、ここならどうかなと思って来てみた」ということを話しました。
するとある人が、「自分の居場所となる教会を自分で作るんですよ」というコメントをしました。

それを聞いた時に私が思ったことは、「あれ、私はすでにそれ作ってるんじゃないか?」ということだったんです。

というのは、JOCで去年まで青年の会長を務めて卒業した私は、今年からJOCより少し上の世代の人たちに呼びかけて「かたりな」というグループを作り、月に一度「安心して語り合う」ことを目的とした集まりを開いています。(こちらもJOCと同様宗教問わずです)

こちらがその呼びかけの文書です↓

私にとっての教会って、キリストが実践していたこういうコミュニティを受け継ぐことなんじゃないか…とすぐに思い至ってしまったのです。

これまで、カトリック信者でありながら教会との繋がりの希薄さに、どこか煮え切らない思いを抱いてきたのですが、私はもう自分の作るべき教会を作ってるんじゃないか?と。

じゃあ私にはもうカトリック教会は必要ないのかな?と思えてしまい、ちょっと混乱しました。(最近のカトリック権力下における性虐待の問題などを見ていると、もうカトリック解体したらいいとかすぐ思ってしまったりもしますが)

とりあえず私は今、お金を稼げない人たちと一緒にいたいとか、搾取する権力に抵抗したいとか、そういう人たちとご飯を食べて話したい、という気持ちでコミュニティをやってこうとしています。
ご興味ある方は、一度参加してみませんか。
(問合せ→ayano.ui@gmail.com

また、青年主体のJOCの方でも、今、公開講座を行なっています。こちらも年齢問わず誰でも参加可です。

6/1 15時〜開講
場所  : 門前仲町・東京働く人の家(Googleマップ

こういうのが私にとっての教会、私にとってのキリストの道だなあ、と、どこかで答えは出ながらも、じゃあ既存の教会やカトリックは私にはもういらないのか?となるとどこかまだ迷ってしまう心を抱えつつ、でもやっぱり教会嫌いは直らずな、そんな日々です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?