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量は質を高める

CHIHARUさんのnoteを読んで、思い出したことがある。

私の高校は、市街地から徒歩で30分ほどの場所にあり、文字通り山に囲まれていた。
裏山にクマが出て、部活が中断になったこともある。

都会で育った人にはなかなか想像できないかもしれないが、そういう高校では、学校がありとあらゆる受験対策を講じてくれる。
周囲に予備校や塾が無い分、学校が対策しないと大学入試で不利になってしまうからだ。

だから私の高校では、予習・復習・課題が山のように課せられていた。
学校で与えられるものをひたすらにこなせば、予備校も通信教育もいらない、といつも先生に言われていた。

私の高校には代々伝わる教えのようなものがあって、それらは今でも私に深く刻み込まれている。
中でも印象に残っているのは、「量は質を高める」という言葉だ。

難しい問題を解けるようになりたければ、まずは手を動かして大量に問題を解き、練習をしなさい、という意味だ。
手間を惜しんでも成果はついてこない。
量を積んだ先にこそ質の向上があるのだと。

私の何年か先輩にあたる卒業生の言葉らしいが、この言葉、なかなか深い。
素直な高校生だった私は、苦手な数学を克服するために学年一怖い先生の言うことを聞き、日々予習・復習を欠かさず、同じ問題を3回解いていた。

数学を得意だと思えたことは一度もなかったが、結局、大学入試の2次試験で一番点数がよかったのは数学だった。
量によって質が高まったのは確かなのだろう。

私は今大学院にいて、いわゆる研究者に会う機会がたくさんある。
彼ら・彼女らは、ぞっとするくらい頭のキレがいい。
それは、生まれつきの賢さもあるけれど、大抵が時間をかけて積んだ鍛錬の賜物だ。

先行研究を読み、考え、データを集め、また考え、そうして自分の考えを練り上げていく。
真理に辿り着くために、研究に多くの労力と時間を費やしている。
天賦の才だけでは、研究は続けられない。
こちらの想像を遥かに超えるほどの努力を、努力とも思わず当然のようにこなしてきた人ばかりだ。

私自身は、研究のために彼ら・彼女らと同じくらいの努力をしているとはとても言えない。
けれど確かに、とにかくたくさんの先行研究を読むようにしたら、自然と自分の考えらしきものが見えるようになってきた。
インプットしなければアウトプットは得られないということだろう。

研究だけでなく、他のことにおいてもそうだ。
フランス語だって、とりあえず触れる時間を増やし、問題をたくさん解いていたら、いつのまにか上達していた。
先日受けたTOEICの結果は思わしくなかったけれど、何度も問題集を解いたらすぐに点数が上がるだろうという確信がある。
量をこなすことを嫌がらないのは、高校で身につけた一番大きな力かもしれない。

これは、疲れても休まないとか、効果的な方法を考えずに思考停止したまま動き続けるとかとは、また別の話だ。
淡々と、やるべきことをやれる、実直さの話。

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと言ったのは、イチローだったか。
良質な問題にチャレンジするとか、自分ではできないことは素直に人に頼るとか、そういう効率の良さは必要だけれども、積み上げること自体を避けていても効率が良いとは言わない。
ひたすらに鍛錬を続け、積み上げていく泥臭さこそが、人を高みへと連れて行ってくれるのかもしれない。

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