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ささやかな暮らし

ラップが、無くなった。

びーっと引っぱった時の感触から、そろそろ無くなりそうなことはわかっていた。
新しいのを買ってきて、最後に使い切ろうと引っぱったら、見事にちょうどお魚一切れ分を包めそうな大きさを残して無くなった。

3月に東京に来る前、地元のイオンで母が買ってくれたラップだ。
シェアハウスって自分の物はどれくらい準備しておけばいいんだろうね、と2人で話しながら買い物をしていて、とりあえずラップくらいはあってもいいんじゃない、と言われて買った。

結局、シェアハウスには最初から共用品としてラップが用意されていて、母が買ってくれたラップはほとんど出番が無かった。
だから今日まで無くならなかった。
8月にひとり暮らしを始めるまで使っていなかったから。

あの時、母はどんな気持ちでラップを買ってくれたのかな。
シェアハウスに住むことにしたと聞いて、最初は「ほんとにそれでいいの?」と驚いていた母も、最後には「初期費用は安いし、誰かと一緒に住むってのも安全そうだし、いいかもね」と言ってくれた。

結局、シェアハウスはあんまり楽しくなくて、6月の終わりにはひとり暮らしに向けて動き出すことになってしまった。
いや、もう正直に書いてしまうけど、あんまり、どころか、全然、楽しくなかった。
楽しいと思ったこともたまにはあったけれど、基本的にはとてもストレスフルだった。

退去に向けて動き出していた頃、きょうだいが母と話す機会があった。
わたしがシェアハウスを出ることにしたと聞いて、「そらそうでしょう」と言っていたらしい。
「あのこがシェアハウスなんて、そりゃあ、ねえ」と。

自分ではシェアハウスだって住んでみれば意外といけるかもしれないと思っていたけれど、やっぱり傍から見ればなかなか無茶な試みだったのかもしれない。
それでもわたしがやると言ったのだから、止めなかったのだろう。
単にわたしが、他人に反対されてもあんまり聞き入れない性格だから、ほっておいただけかもしれないけれど。

もしイオンで買い物をしていた時、母が「シェアハウス、楽しいといいね」とでも思ってくれていたら、その想いには応えられなかったことになる。
しかもあの後、「挨拶はちゃんとした方がいいから」とシェアメイトと大家さん向けのお菓子まで買ってくれたんだった。
たった4ヵ月で退去するなら、あんなにきちんとしなくてよかったかもな、と思う。

起きてしまったことはどうしようもないし、我慢しないでひとり暮らしを始めて本当によかったと思っているから、「もうちょっとシェアハウスでうまく振る舞えなかったかな」なんて微塵も思わない。
あの家とわたしは決定的に合わなかった、ただそれだけのことだ。

ただ、新生活をそっと応援してくれた母には、ちょっと申し訳ないと思う。あの時の母の想いに応えるとするなら、それはこれからひとり暮らしをきちんと営んでいくことだろう。
ご飯を食べ、お風呂に入り、洗濯をし、夜はきちんと寝る。
休みの日も顔を洗って髪を梳かして、着替えて掃除をする。
ごみは分別して回収日に出す。

そうして、ひとりきりのささやかな暮らしを、健やかに楽しく作っていく。
しんどい時も、自分の足で立って歩けるように。

ラップひとつで、なんでここまで感傷的になっているんだろう。
きっと疲れていて、天気がどんよりしているせいだ。

4連休も折り返し、明日からもきちんと休もう。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。