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シン・エヴァンゲリオンの感想と考察

エヴァを観たので、感想と考察の覚え書き。

【注意】
・平然とネタバレする
・なんの裏付けもない妄想垂れ流しの考察(断定している部分は根拠なし)
・劇中の時系列ガン無視

【感想/考察】
・マイナス宇宙について
ゲンドウが13号機と初号機とともに向かう地獄の門の先に広がる空間。
空間内には"ゴルゴダオブジェクト"なるもの?建造物?があり世界を思いのままに作り替える力がある。
エヴァの世界を思いのままに作り替えるとは、エヴァの世界を創造する、ないしは影響を与えるということ。
この空間の正体はエヴァに関わる全ての者たち(制作、ファン、二次創作者すべてを含む)の頭の中である。
想像と妄想と考案と考察が混沌と集合している場所がマイナス宇宙と定義する。
現実世界のエヴァに対する意識が実体のない神となり、空間としてエヴァ世界からの観測で虚構空間として顕現した。
"ゴルゴダオブジェクト"とはえんぴつやシャーペンと考える。
監督、原画マン、同人作家が鉛筆を通し、エヴァの世界を絵コンテや原画、同人誌として創造する。
マイナス宇宙(神の頭の中)でアニメ側のゲンドウが干渉すれば、現実世界で創作がなされ、結果的にユイのいる世界が作り直されたことになる。
なんちゅうメタ構造!
頭がこんがらがってくる。
地獄の門の向こう側なのだからマイナス宇宙は地獄なのだろう。
過酷な労働と創作活動に苦しむスタジオカラーの面々、もっとよこせよこせと求めるファン、エヴァで金儲けを画策する連中。
うん。地獄だ。
エヴァの世界で我々は単一の神として補完されているのはなんとも皮肉だなと思う。

考察は上記を前提に進める。

・エヴァの呪縛について
たしかQでエヴァに乗り続けると身体的成長が止まり、14歳で固定されるとアスカの台詞があったと思う。
エヴァがパイロットを縛ると捉えていたが、何者かがエヴァを縛っている。
エヴァを縛る者たちはもちろん神たる我々である。
「大人がエヴァに搭乗できるとか今更改悪すんなよ!絶対、すんなよ!」
「シンジやアスカたちがロボットを駆けて戦うところをずっと見ていたい!」
我々の願望がエヴァを呪縛し、少年と少女は14歳のまま消費され続ける運命を仕組まれた。

・アヤナミタイプナンバー6について
黒レイが生き残った人類が暮らす村で生活し、"生"を知る。
黒レイは"死"に対しても無頓着だったが、生を知ってしまったせいで逆説的に死を理解する。
Qでは鎌振り回して死神だったのに。
最後は白いプラグスーツ姿でシンジに「もっと一緒にいたかった」と告げる。
白プラグスーツが死装束とも捉えられるがこの場面で旧劇レイの心残りを解消したのだと思う。
海辺のアスカとシンジとの語らいも同様に、シンエヴァは過去の作品さえ網羅して終焉を告げる。
あのとき言えなかったことがやっと言えた。
これで心残りはないと旧劇のレイは成仏する。
アスカが黒レイを「初期ロット」と言うのも、テレビ版、旧劇=初期を意味しているのかと。

・海辺でのアスカとシンジについて
旧劇で最も有名なシーンをなぞる。
シンジはアスカの首を絞めずに「僕も君が好きだった」と告げる。
あのとき言えなかったこと、言ってほしかったことをやり直し旧劇アスカは成仏した。
アスカがやたらと艶っぽく描かれているのはシンジのイメージゆえ。
シンジが大人になったと思うアスカを観測しているのでやたらと艶っぽく見えている。
ゲンドウが説明した「見る者によって見える形が変わる」空間だから。
今時のアニメでキャラ設定を無視した作画なんて許されない。

・DSSチョーカーについて
シンジが暴走したとき爆死させるためのチョーカー。
このチョーカーはシンジを過酷な運命に縛り付ける首輪であり、また今までのやらかしを示す罪の象徴。
Qではカヲルが、シンの途中までアスカがチョーカーを首に取りつけ、シンジの運命と罪を肩代わりしてくれていた。
シンジは地獄の門突貫の際、自らチューカーを装着する。
運命と対峙する覚悟を決め、罪を認めた瞬間にシンジは真の大人に成長した。
戦いの後、マリがシンジのチョーカーを外す。
運命を覆し、罪が償われ、シンジはマリとともに新たな人生を歩みはじめる。
チョーカーを外すのがレイでもアスカでもミサトでもなくマリっていうのがよき。
運命の解放を母親役ではなく新たに出会ったパートナーなのが、本当の自由をシンジが得たと感じたから。
しかし、チョーカーを所有したマリがいつでもシンジの自由を縛り付ける権利を得たと考えるとやや戦慄もする。
女性はしたたかに強く、男は鈍感で弱い。

・マリエンドについて
観賞しているときはまさかのマリエンドに「荒れそうだなぁ」、「アスカかレイかカヲルくんじゃだめやったん?」と思った。
しかし、冷静に考えてみるとマリしかいなかったと行きつく。
テレビ版からアスカやレイ、ミサトはシンジを叱咤し、守護し、許してきた。
それは母親の役割で、複数の母親役がシンジを導き、成長を促してきた。
しかし、今回のシンジは大人まで成長しなければならない。
母親が息子にできるのは道徳や社会常識の獲得といった精神の土台までであり、今までのシンジの成長は少年の域を越えていない。
思春期を越え、大人になる男に母親が引率しているのは滑稽すぎる。
乳離れの時がきた。
それにアスカ、レイとの決別は喪失の経験なのだと思う。
人は成長していく過程でいくつもの喪失と別れを経験する。
いくつもの喪失と別れを経験するからこそ、人は強くなり大人になる。
そう考えるとやっぱりアスカやレイを過去の女にするのは必然だったと思う。
未知の世界に飛び出していく男の隣りにはおっぱいの大きいかわいい女性でないと(真顔)

・海岸から駅のホームまで
みんなを物語から解放したシンジは海岸でマリが迎えにくるのを待つ。
この海岸はマイナス宇宙の中だろう。
シンジの生存本能が生命の発端となる原初の海をイメージさせた。
この場面で背景が原図になり、シンジ自身も配色前の動画になり、海は動画→2原→1原作監修正と制作過程を遡っていく。
(作監修正の用紙はだいたい黄緑か黄色で"よろしくお願いします!"との記載が確認できたので2原戻し前の1原での修正だと思う)
(海作画の遡りの順番はやや曖昧…)
制作過程の遡りはシンジがマイナス宇宙に取りこまれつつあることの表現だと思う。
遡り続けたらシンジは神の頭の中のぼんやりとしたイメージまで還元されていたのだろう。
マリが間一髪間に合い、シンジは自身と海のイメージを復元できた。
(シンジが自ら復元したのではなく、マリがシンジをシンジとして観測したことで復元された)
場面は一転して駅のホームになる。
テレビ版から乗車し続けてきた電車の終着駅ははじまりの地である庵野監督の頭の中。(駅が庵野監督の地元らしい)
反対側のホームにはレイ、カヲル、アスカが電車を待っている。
彼らはシンジとは違う行先の電車に乗って誰にも捕まらない地で暮らすのだろう。
シンジとマリは電車を乗り換えず、駅から出ていく。
駅の外は実写で現実の世界に飛び出したふたりを、我々はおろか、庵野監督でさえ探し出すことは叶わない。
ふたりが幸せに暮らすのを願うばかりである。

・少年よ神話になれについて
神話とは更新がなく、新刊も出ずに繰り返し語られる円環の物語だ。
シンジは続きも終わりもない神話の中で何度も七転八倒してきた。
しかし今回で神話は書き換えられた。
いや、神話から脱却した。
シンジはもう神話に登場しない。
神の子の活躍が描写されない聖書は信仰の対象にはなりえない。
エヴァは終わったのだ。

・二次創作禁止について
マイナス宇宙という超メタ構造を公式設定にしたので、もちろん二次創作も公式のエヴァ世界ということになる。
さらば、すべてのエヴァンゲリオン
上記は二次創作も内包し、エヴァンゲリオンは完結ですっていう意味だろう。
二次創作が出てしまうとマイナス宇宙からエヴァの世界が創造されてしまう。
二次創作が世に出ないことでエヴァンゲリオンは真の完結を迎えるのだ。
モグ波さんも公式だった。
マイナス宇宙通って現実にきてくれないかな。

【全然わからんちんなこと】
・加地はどうやってサードインパクトを止めた?
・ユイがフルアーマー天使みたいになってたのはなぜ?(機械仕掛けの神ってこと?)

マリがシンジを思いやるのがいまいち釈然としないので、妄想考察で補完したが、その記載は後日更新する。(疲れた)

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