見出し画像

枠の中で生きる/枠を超える

今日は、ある本に出会った。
「てきちゃん漂流日記」という日記だ。
内容をかなりざっくりとまとめると、躁うつ病で仕事をやめてからリトルプレスを作ったり、古本市を開催している男性の日々の記録だった。(今日聞くところによると、最近就職されたのだそうだ)
ざっくりと読ませていただいて気づいたのは、時折「めまい」のワードが出てくること。
あれ、わたしもその症状あるぞ、、、というところから、いろんなことが湧いてきた。

今まで、うつっぽいことはあったが、時が過ぎ去ればどうにかなる、とかそんな感じで過ごしてきた。
いろんな病院に行っても、「自律神経が整ってない」という回答をもらう。
規則正しい生活してみたり、運動してみたりといろいろトライしているが、回復!まではいってないのが現状だ。

朝が来れば、暗い影みたいなものが襲ってくる。これは消せない。
まるで地獄のような暗い中に落とされた気持ちになり、起き上がることができず、アラームを7時に鳴らすも再び眠る日々だ。
めまいで一日ベッドに横たわることもあったが、最近それはなくて助かっている。
それでもいつ起こるかわからない。軽く頭が揺れる感覚はたまに出てくる。

最近はその朝の地獄に慣れてきた。
ああきたな、と思い、自分がいいように寝かせてやっている。

いつになったらこれがどうにか消え去るのだろうか、
いつかまた前のように戻れる時がくるんじゃないか、という期待。
その日はくるかもしれないし、こないかもしれない。
一時は凹んだのだが、次第に(というか今日)、ああ、このまま生きよう、と思えた。
この症状とともに、友達になって生きよう、と思った。

いろんな不安要素は常に付きまとうが、もうそれはしょうがない。制作に集中したり、不安要素を調べたりするエネルギーに転換しよう。

ある意味枠が見え始めた、と思った。
昔はどこまでも広がっていると思っていた枠が。

その枠の存在は、最初ショックだった。
どこまでも自由に行けると思っていたのに。
しかしながら、半強制的に枠は作られてしまった。
それならば、しょうがない。
枠の中でたのしみ切ってやろうという気持ちになってきた。
無尽蔵な自由を、(だいぶ抵抗しつつ)ある意味でちゃんと諦められた。
この中で、どう楽しむか、今はそれにフォーカスできている。
理想より6割の感じで。
6割かよ、ではなく、6割もできた、へ。
誰かと比べる、のではなく、自分に集中する、へ。

日々今までやっていた普通を、今はチャレンジと思っている。
「できる」が、「チャレンジする」に変わった。
多分他の人ができるどうってことないことでも(比べられないけれど)、わたしにとってはチャレンジだ。

今回計画している旅も、ものすごく大きなチャレンジに思える。
旅慣れている人なら、何も思わないかもしれないが、今のわたしにはいろんなハードルを感じる。
でも、遂行させたい。

枠の中で生きることと、たまに超えること。
その配分を間違えれば、わたしの体を持ってしてダメを言い渡される。
詩的に書いたらそんな感じだが、自分の体の調子をみながらやろうと思っていることを遂行しよう、ということだ。

(つづく)

※過程とか、具体性とか書くことはわたしにとってかなりハードだが、今回トライしてみます。
これもわたしのチャレンジのひとつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?