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顔には何もついてない

  私はどちらかと言えば自分の顔が好きだ。周囲の評価とかは至極どうでも良い。推しと自分の顔が好き過ぎるから結婚できない理由になるくらい好きだ。どちらかと言えばどころではなく、めちゃ好きだ。強いて言えばあと10キロ痩せたらとか思うが、おかゆメンタルでこれ以上容姿だけ綺麗になったら変な人に引っかかってしまうのではないか、というナルシスト丸出しで痩せられない言い訳をしている。

 昔は自分の顔が大嫌いだった。糸目にじゃがいものような輪郭とおちょぼ口。母親がヘビースモーカーにして酒豪でありながら熊田曜子似の美人として君臨していることもあって、親戚中からはブスと言われ、どこへ行っても「お母さんは綺麗なのにね」と言われて育った。母親が買ってくるフリルまみれのワンピースやピンク地にさくらんぼなどをあしらったスカートを身につけることをどう表現すればいいか考えあぐねていた時にたまたまアンビリーバボーで「公開処刑」という言葉を知ってよく使っていた。アトピー性皮膚炎もあったため、丸顔はいつも軟膏でテカテカ、体はいつも傷だらけで「瀕死のアンパンマン」という不名誉なあだ名をつけられた幼少期を過ごした。

 10歳くらいから肥満体型デビューしたこともあり、ますます自分の顔やオシャレが嫌になっていった。人前に出るのが本当に嫌で仕方なかったし、引きこもればその分動かなくなるから余計太るし手入れもしなくなるので余計小汚くなる。悪循環に陥っていた。何度かメイクにトライしたこともあったが、かわいいを作るどころか、徹底破壊をする不器用さで、諦めていた。

 そんな私に転機が訪れたのは19歳で成人式の写真撮影をした時である。1年の海外留学が決まり、成人式に出られないことを喜んでいたところ、当時健在だった父方の祖母から「記念に写真撮ってほしい」と言われ、2か月間にわたる交渉の末、地元の高級焼肉店に3度連れて行くことを引き換えに了承した。

 この頃、アトピーは完治したものの、パン・ドゥ・ナントカみたいなちょっと粉の吹いた固いパンみたいな乾燥肌にジャバザハットと化した体型で過ごしていた。この状態で振袖を着た私は、確実にデビュー13年目の演歌歌手となってまた全員から笑い者にされるに決まっている。こんなものに大枚はたいて一生の記録として残そうとする親の気が知れないぞ、と憂鬱がフルスロットルで私に襲い掛かっていた。

 当日は寝起きで寝癖まみれのドすっぴんにジャージで登場し、普段は容姿について何も言及しない父親も「大人になるんだからもう少ししっかりしなさい」と語気を強めていた。何を言っているんだ。私はこれから肉布団の上にさらに布を羽織りまくって窒息寸前状態で緊張のあまり変な笑いを炸裂してカメラマンを困惑させ、黒歴史を作るんだぞ。元トイザらスキッズ最後の抵抗を否定しないでくれと主張したい思いを堪えて「そうだね」と短く返した。

 撮影スタジオに到着すると、担当者から「着物とドレスをお選びください」と言われ、更に意気消沈した。着物ならまだドラム缶の一言で納まる話だったのに、これでドレスを着たら、3話くらいまでタダで読める漫画の勘違い主人公のようになってしまうではないか。それをも記録に残せと言うのか。儲けのためなら何でもやるのか、この一見野菜はオーガニックしか食べません♪朝起きたらまずは白湯を飲みます♪みたいなこと言いそうな美人担当者も資本主義経済に踊らされる愚民に過ぎないのか!と意味不明な怒りを脳内で展開しつつ地味なものを選ぼうとしていたが、母親からのザ・理不尽発言の1つである「金を出すのは誰だ!」の一言で、真っ赤なドレスを着ることになった。

 赤いドレスを着ることが出荷前のオージービーフと取るか、まぁ薄ピンクじゃなくてよかったよね、ピンクだったらマジで豚だったじゃんと取るか、脳内与野党の無意味なやりとりが続いていた。

 衣装が決まったところで、ヘアメイクをすることになった。大きな鏡にライトアップされた顔の酷さに早くも笑ってはいけない成人式撮影会が始まっていた。私が知っている私のメイク済み顔面と言えば、小梅太夫を彷彿とさせるおてもやんのみである。もしこの時酒が飲める年齢だったらすぐに泡盛を一気飲みしていたと思う。素面でこの状況下に向き合った当時の自分を褒めたたえたい。

 ヘアを最初に整える。寝癖で櫛も通していない非常識な客の髪を丁寧に梳かして手際よくまとめ、エッグスンシングスのホイップハーフサイズのようなエアリー感のある髪型になった。この時点で、私は笑いをこらえられず、ニヤニヤしながら左手の甲をつねっていた。こんな髪型であの顔面がついて着物を着るなら、撮影前にチキショー!の一言くらいかましている動画を撮ろうかな、そんな自虐で頭がいっぱいだった。

 メイクさんは手際よく化粧水や下地を塗って、ファンデーションを取り出す。1色ではなく、肌と首色に合わせて2色を混ぜて全体に乗せていく。乗せながら「肌綺麗ですね」と言われ、秒速で「いいえいえいえいえ」と否定するいつもの返答をしてしまう。生まれつき産毛程度しか生えない眉毛は少し整えてくれてペンシルとパウダーを用い、撮影で飛ばないようにかなりしっかり書き、アイシャドウとアイラインを引かれる。メイクさんから「瞳が大きいくて羨ましいです~」と再び言われて、やはり否定してしまう。相手はプロだ。クーポン使いまくってケチった撮影プランを使っている私へのリップサービスはそろそろやめていいですよ、と言ってしまいそうなくらい性悪が暴れていた。

 この時点で笑いの波は消え失せていたので、鏡を見た。チンドン屋がこちらを見つめているはずだ!と思っていたのだが、実際は自分の顔とは思えない、透明感と清潔感のある人間の顔が映し出されていた。あれ?チキショー!って言ってないぞ。老け顔であることに変わりはないが「本日はお日柄もよく」くらいは言いだしそうだぞ?

 続いてビューラーでまつげをあげる。自分では何度やってもL字に曲がるか、1分ほどで閉店する頑固職人の暖簾のようなまつげが、根元から自然なカールをして初めて天を仰いでいる。「まつげを上げると自然と二重になるタイプですね」と言われたあたりで「あーたしかに」と否定の言葉が消え、自分ちょっと美人さんじゃないか?と錯覚するようになった。

 ここで着付けをすることとなり、ほぼパンイチ状態の肉布団は何枚もの布を着こんで締め上げられ、うげぇと声を出してしまうと担当者から「あなたみたいな体型の人の方が着物はすごく映えるのよ」という言葉をエールだと捉えられる程前向きになっていた。

 最後に口紅をつけてもらうと、メイクさんから「すごくきれいですよ~」と言われ、すぐに鏡を見る。そこにいたのは、アトピーだらけでボロボロの顔をしたへの字口ののっぺらぼうではなかった。19と言ったら職質されそうではある老け顔だが、着物を着た肥満体型のちょっと清潔感のあるキレイ系の卵肌をした人間の女性~デビュー2年目ドサ回りに慣れてきた演歌歌手風~だった。

 え、私結構かわいくないか?

 下駄を履き、恐る恐る衣装室を出る。離婚してから会うたびに金のことで喧嘩していた両親はこの日もひっそり言い合いをしていたが、私を見るなり二人とも口をぽかんと開けてこちらを見ていた。そして、「アンタ…」と言って母は目に涙をためていた。父はすっぴんの私がニヤついた時とまったく同じ顔をして「ほぉ~」と言い出す。

 すぐそばにあった全身鏡を見ると、やはり今にもこぶしを利かせて最近引っかかった男について涼しく語りそうな演歌歌手感は否めない。しかし、この時初めて自分のことを、美人だと思えたと同時に、かつて嫌がる私を連れて数々の病院を回り、いくつもの薬を塗りこんで必死にアトピーと格闘してくれた両親に心の底から感謝した。

 この後、撮影に臨んだのだが、顔のデカさが気になって両頬をかんで細く見せようとしたところ、カメラマンから「普通にしてください」と言われ、悪行は即座に見破られた。「そのままが一番いいですよ~」とうまいこと乗せられ、緊張すると吹き出す私は、久々に万遍の笑みを浮かべた写真を撮った。例の真っ赤なドレスにお色直しをしたところ、1番大きなサイズだったはずなのに背中のファスナーは1ミリも上がらず、あて布をして正面のみを上手いこと撮影し、小学校のトーテムポールくらいあるぶっとい腕は上手いこと隠れるようにして人並みのサイズにしてもらったり、ブーケを顔の横に添えて苦肉の策な小顔演出もしてもらった。撮影後、顔の修正はどうするか聞かれたが「このままでいいです」と言って、何もしなかった。

 これ以降、以前のように自分の容姿を含め自分自身を全否定することは減っていったのと、この肉布団をはぎ取りたい、痩せたいという気持ちを強くした。「デブ!」と言われても「ブスとは呼ばれてないから美人であることに変わりはないさ!」という良くも悪くもとんだ勘違いもするようになった。

 はずだったのだが、この後過ごしたカナダの田舎町で20㎏の増量を達成し、本気でダイエットして垢ぬけるまでに5年程かかったことは、最近筋トレサボり気味の自分に戒めの意味を込めて早めに書きたいと思う。

 あの時担当してくれたヘアメイクさんと衣装さんカメラマンさん修正担当さんマジでありがと~。今の私ならあて布なしであのドレス着れるだろうけど、どうせ着るなら自分の好きな青のドレスがいいな~。10キロ痩せたらまた撮ってもらおうかな~。っていうかあのスタジオアリスはまだ健在なのだろうか。ぜひ健在であってほしいし、たくさんの人が美男美女になってキャッキャッしてたらいいな~。

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