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古流柔術の学びの二重構造:兵法二天一流・体術解題

以前の投稿で、兵法二天一流・体術の創出について一般的な概要を述べた。

兵法二天一流・武道剣術を土台とし、格闘技での経験を踏まえ、一撃必殺的な「無刀で遣う二刀剣技」としての、戦場から日常生活まで使える護身格闘のための技術体系として兵法二天一流・体術を創出したいということであった。

その一環として、実際の徒手空拳の技そのものを全くの無から創出するのは難しいため、振武館・黒田流、そして南郷先生の流派の在り方を論理的に参照して、別途古流柔術を学ぶことにしている。

その際に、どのようにして体術を創出していくかの過程、その二重性について概観してみたい。

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まず、選定した古流柔術は盛岡に伝わる諸賞流和(やわら)である。

技としてはだいたいこのような感じである。

最初の動画が古武道演武大会での型の演武、次が日常での稽古と思われる風景である。

ご覧のとおり、兵法二天一流・武道剣術の術技とは当然ながら直接的には全く何の連関もない。

しかしそれは振武館・黒田流における駒川改心流剣術・民弥流居合と四心多久間流柔術との関係も同じであり、南郷先生の学んだ空手流派(流派名は不明)と南郷先生が若き日に学んだ合気道も同様である(居合はおそらく空手をベースにして独自に創出したのではないかと考えられる)。

逆に術技が似ていると、それぞれの技が干渉し合って技の上達が阻害されることが多いので、むしろ全く縁もゆかりもない方が、それぞれの術技を全く別のものとして学べるため(たとえていうなら野球とバスケットボールくらいの違いがあるため)技の干渉が起こらず、併学するには都合が良いともいえる。

では肝心の学ぶ過程であるが、これはどのように捉えて行けばいいのか?

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この過程は大きく二重性が存在する。

すなわち、それぞれの術技をそれぞれ個別のものとして独立完結的に学びきること。

そしてその流れと並行しながら「二天一流の目で他流派の術技を見て取り、二天一流の立場から再構成すること」

この二重構造である。

なので、ここの構造は振武館・黒田流とは大きく異なる。

どういうことかと言えば、振武館・黒田流では、剣術、柔術、棒術の全てを同じ立ち位置で併学して相伝することが主眼であった(結果として実体技はいわば「黒田流」といえる一つの体系に収斂していった)のに対し、兵法二天一流・体術は兵法二天一流・武道剣術そのものとしての「無刀で遣う二刀剣技」としての技であり、現象的には柔術ベースの徒手空拳の技であっても構造的には兵法二天一流・武道剣術の二刀そのものの技としての体術である。

なので、振武館・黒田流では駒川改心流剣術、民弥流居合術、四心多久間流柔術、椿木小天狗流棒術がそれぞれ相互浸透を起こしながらこれら四種類の個別武術全てが「黒田流」として一体化していく形で(奇跡的に技の質を落とさずに)変化していったのに対し、私が行おうとしていることは、あくまでも兵法二天一流・武道剣術から派生した兵法二天一流・体術の創出であり、兵法二天一流・武道剣術に古流柔術などからの相互浸透的な影響を与えないということが大前提としてある(他流派の技を直接的に相互浸透させてしまえば技の質が落ちるため)。

より卑近な例で例えれば、兵法二天一流・体術における諸賞流和の術技の位置付けは、化学変化における触媒としての役割であって、化合物を形成する物質ではないということ。
(触媒とは化学反応を促進するための物質であり、化学反応を構成する物質と化学反応を起こすわけではない)

これは、現在学んでいる格闘技も、そして古流柔術と並行して学ぶ軍隊格闘術も同様の位置付けである。

すなわち化学反応の式としては、兵法二天一流・武道剣術からの「無刀で遣う二刀剣技」としての兵法二天一流・体術の直接的創出であって、その化学反応の式における化学反応を促進させる触媒としての諸賞流和であり、軍隊格闘術であり、修斗などの格闘技である。

つまり、兵法二天一流・体術として生きるのは、私の学んだ経験であって、他流派の直接的な術技そのものではない。

しかし、兵法二天一流・武道剣術からの兵法二天一流・体術の直接的な創出には非常な困難が伴い、直線的には進むことができないため、否定の否定として古流柔術などの徒手空拳の技を二天一流とは独立的に学ぶという回り道を通っての「直線的な」創出という、弁証法的な発展過程をたどる必要が出てくるということ。

なので、おそらくは南郷先生の流派での武道合気も、同じ合気と称していても一般的な合気道そのものとはもはや似ても似つかぬものであるだろうし、それが正解であるというのと同じと言えよう。

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最後に、私の学ぶ兵法二天一流玄信派において、論理的には同一のことを成し遂げた先人について述べて締めたい。

それは、現在、兵法二天一流玄信派の体系の一つとなった抜刀術の原基形態である木剣術操法と、それが生み出された経緯である。

現在の二天一流抜刀術の原基形態は、木剣術操法というものであり、これは九代目継承者であった宮川伊三郎先生が、兵法二天一流の剣術と、兵法二天一流山東派の流れで歴史的経緯から同時に学ばれていた関口流抜刀術(宮川先生も関口流を学んでいた)があり、これらを二天一流の剣技の鍛錬に役立てられないか?と苦心して編み出したものである。

つまり、宮川先生が関口流抜刀術を学んだ経験を基に、兵法二天一流の剣技を修練するための抜刀術の技として新しく創出したものが木剣術操法という形にまとめられたものである。

なお、抜刀術なのに木剣術操法と称するのは、これが創出されたのは昭和20年代であり、アメリカとその走狗に成り下がった日本政府による日本文化抹殺政策(文化的ホロコースト)が行われていたという時代背景があり、当時は物理的弾圧を伴っていたアメリカによる日本文化大虐殺を回避するために名称を木剣術操法とし、実際の技も真剣ではなく木刀を用いていたことによる。

それが十一代目の宮田先生の手によって、二天一流の剣技からなる抜刀術となるように改良され、現在は真剣ないし居合刀を用いて、全ての形を納刀状態からの抜刀という技に改良がなされた。

このような歴史的経緯を持っていることから、抜刀術を創出したのと同様の論理で、兵法二天一流玄信派独自の体術「無刀で遣う二刀剣技」の体系を創出したい、それも日常生活での護身から現代の戦場における格闘戦に至るまでの領域で直接役に立てられるということに加えて、二天一流抜刀術の修練が二天一流の剣技の修練にも役立っているように(そして振武館・黒田流での四心多久間流柔術の稽古が剣術をより精妙化させたと黒田鉄山氏が述べているように)、二天一流の剣技をより深めながらも、二天一流の可能性をさらに広げるものとしての兵法二天一流・体術を創出したいと考えた次第である。

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