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こうなって欲しくないんだが

某noteに対する反論(怖いからurlは引用しない)。ぱっと見はいいこと書いているように思うのだが、これは違うだろうということで。引用はちょっと順番を入れ替えている。

☆声を上げる自由 恐れることなく不正に声を上げられる自由
☆説明責任、歴史を修正せず、政治が何をしたのか、記録し、記録を消去、改ざんしない、検証可能な健全な政治
☆委縮から自由な、本当の報道の自由
☆不正は正されなければならないという当たり前のこと
☆消費税5%以下 
☆弱者(誰もがなりうる)へのやさしさやいたわりを大切にする社会
☆憲法に基づく政治
☆本当にリラックスして日々を過ごし、夜も眠れる日常。
☆平和な国であること
☆国際社会に開かれたゆとりのある社会

まず、「☆声を上げる自由 恐れることなく不正に声を上げられる自由」であるが、次の「☆説明責任、歴史を修正せず、政治が何をしたのか、記録し、記録を消去、改ざんしない、検証可能な健全な政治」にぶつかるのである。どこかというともちろん「歴史を修正せず」である。誰か知らないけれど、左翼のえらーい学者様が決めた「歴史」には愚民どもは有無を言わずに従わなければならないというのが「歴史を修正せず」の意味である。歴史についてだけは声をあげる自由はない。当然、左派が日本人どもにありもしない罪や濡れ衣を着せることは推奨される。「日本人ども、永久に偉大なる朝鮮民族に謝罪と賠償を続けろ!何、戦後生まれだから戦争のことなど知らない?そんなこと言い訳になるか、祖先の罪はお前の罪だ!」という自由だけは認められる。それに反対する自由はない。日本人のくせに声をあげてはいけない。

☆委縮から自由な、本当の報道の自由ー報道の自由が失われたのは安倍政権の時ではない。

左派は自民党を誹謗中傷することが「報道の自由」であると認識しているかもしれないが、それは「自由」に含めない方がよいのである。

他にも

こういう事件があったときに某放送局が取材のテープを抗議に負けて放映中止し、その当事者に見せたことで犯罪が行われたという経緯がある。こういう「報道の自由」もよくない。「☆不正は正されなければならないという当たり前のこと」という時の「不正」を恣意的に決められると困るわけである。せめて「不正」の判断は報道機関ではなくて裁判所にお願いしたいのである。

次に

「☆消費税5%以下 」

であるが、これをやるなら、「☆弱者(誰もがなりうる)へのやさしさやいたわりを大切にする社会」は困難であろう。直間比率をシャウプ勧告の当時に戻せばいいと言ったところで、お金はどんどんタックスヘイブンに流れ込むだけになりそうである。少なくとも、高齢世代を「弱者」認定してしまうと、現役世代は税金取られて年金とられて介護の勤労奉仕ということで日本から逃げ出したくなるに違いない。消費減税は小さな政府を目指す話になるので、やるなら高齢者福祉の削減とセットで行って欲しいものである。

税金を減らす話は福祉の削減、つまり小さな政府とセットでお願いしたいし、福祉を手厚くするなら大きな政府=増税で宜しくお願いしたいのである。

まあ、大きな反論はこの辺りである。残りは小さなことである。

「☆憲法に基づく政治」は本来なら特に取り上げる必要はないのだけれど、問題は護憲である。憲法改正反対、憲法は一字一句変更するなと叫ばれると困るであろう。もう70余年前に作られた憲法である。世界はどんどん進んでいるのに古色蒼然たる憲法を維持する必要性がどこにあるのか。適切に変更して時代に合わせる必要があるだろう。つまり、改憲である。ヒステリックに改憲反対を叫び、解釈改憲で好き勝手に変更することを諒とするならば、そもそも成文の憲法など不要ではないか。英国のように最高裁の判例の集積を憲法にすればよいのである。

次は

「☆本当にリラックスして日々を過ごし、夜も眠れる日常。」と「☆平和な国であること」であるが、先日、中華が中距離弾道弾の発射実験を行ったわけである。

北朝鮮の核開発もそうだけれど、中華の軍事費も驚異的に増大している。日本の周囲は米露中に囲まれていて、その3国が世界の軍事力トップ3なのである。左派は「日米同盟を解消して非武装中立にすればいい」とこともなげにいうかもしれないが、その場合、米中露の3国がトーキョーに核ミサイルの照準を合わせることになるわけである。そんな中で「本当にリラックスする」というのは燃え盛る火の上で「心頭滅却すれば火もまた涼し」と叫ぶみたいなものである。まあ、叫んだっていいけれど、炎が燃え上がって引火して火ダルマになっても責任は取れないのである。「憲法9条さえ奉じておけば日本は平和な国、安心していられる」というのも同様である。

最後に「☆国際社会に開かれたゆとりのある社会」についてはこういう日本であるからゆとりなどないわけである。国民をきちんと助けられていないのに外国人を助けられるわけなどなかろう。そりゃ左派なら「日本人などゴミのようだ。外国人さえ助けることができれば、日本人は特攻隊として名誉の戦死を遂げればよい。特にネトウヨやサイレントマジョリティの無名戦士どもなら喜んで死ぬんじゃないか」くらいのことは言いそうである。「Japanese live does not matter」である。



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