エッセイ 土崎譲さん
日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、 毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。 この note では「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。 今回は 2019 年 6 月号-7 月号より 日本声楽アカデミー会員のテノール歌手、土崎譲さんのエッセイを掲載いたします。
「音楽家的“フィールドワーク”のススメ」
土崎譲 テノール
今年 2019 年は日本とオーストリアの修好 150 周年にあたり、各地で多くの文化イベントが開かれています。 上野公園の中にある東京都美術館では現在「クリムト展 ウィーンと日本 1900」が開催され、ウィーンのベルヴ ェデーレ宮殿美術館からも収蔵品の多くが来日しています。 留学中には日本から旅行で来た友人・知人を案内してベルヴェデーレに 十数回も入場したものでした。 ある日、館内で手持ち無沙汰で待っていたところ、学芸員から声をかけられました。
学芸員「よく見かけるけど美術の学生?」
土崎 「いえ、留学中の声楽家なんですが、友人を案内してよく来ています」
学.「 そう!じゃあ、あの絵の画家は知ってる?ココシュカっていうんだけど?」
土.「 いえ、詳しくは知りません…」
その学芸員は画家・ココシュカの、とあるエピソードを紹介してくれました。 作曲家マーラーの妻アルマは、夫と死別し未亡人となった後、ココシュカと付き合いましたがほどなくして別れ ます。 しかし別れた後も未練の残るココシュカは、ある人形作家に依頼してアルマの等身大人形を作ってもらい、自宅 で密かに愛でていたそうです。 ある晩、酔っ払った彼は酒場にその人形を持ち出し、大勢の前で怒りにまかせて人形の首を落とした…とのこと。 奔放だったと言われるアルマのエピソードの1つなのか、ココシュカの狂気のエピソードなのか、受け取り方は 様々ですが、 音楽家と画家、2つのジャンルの芸術家どうしの距離がとても近く、共にその時代の文化を築いていたというこ となのかもしれません。 ウィーンのカフェ・ムゼウムで当時の芸術家たちがジャンルの垣根を超えて交友を結んだり、議論したりしたこ とも今は昔、 現代の芸術家はそれぞれのジャンルで接点は少なく、お互いに興味を持ちつつも別々に活動、発展させている印 象は拭えません。 旅先ではなるべく時間を見つけて、その地にある美術館・博物館を訪れるようにしています。 録音技術がなかった昔の音楽は楽譜以外に形として残っていませんが、同時代を生きた芸術家たちの作品は絵画 であったり、彫刻であったり、 あるいは建物であったりして今もそこに存在しています。
イタリアの北部に「南チロル」と呼ばれる地域があり、第二次世界大戦以前 はオーストリア領だったため、現 在でもイタリア語、ドイツ語両方が通用して います。 そこにドッビアーコ(伊 Dobbiaco)あるいはトブラッハ(独 Toblach)と呼ばれる小さな田舎町があり、アルト・ アディジェ音楽祭に出演するために訪れたことがありました。 そこにはかつてマーラーが晩年の夏の避暑地として過ごし、交響曲第 9 番、《大地の歌》、未完成となった交響曲 第 10 番などを書いた作曲小屋があります。 マーラーはこの粗末な小屋に籠もって作曲に打ち込み、アルマはそこからほど近い宿屋で多くの人々と日毎夜毎、 宴会を続けたと言われています。 小屋と宿屋の間には木の生い茂った斜面があり、 直接その喧騒が作曲作業を妨げることはなかったのかもしれ ません。 後に《大地の歌》に挑戦した際には、このときの 南チロルの風景や作曲小屋の様子を思い浮かべ ることがとて も役立ったものです。
音楽家は想像力を最大限に活用して情景やその物を伝える音楽を作ったり、演奏したりしますので、実物を見な くても豊かに表現する音楽家はたくさんいます。 ビゼーもスペインに行ったことがないのに《カルメン》を作曲し、プッチーニももちろん日本に来ることなく 《蝶々夫人》を作曲したわけです。 ただ、実際に見たものを表現することもまた一つのアプローチだと考えます。生の存在感や質感は目の当たりに して初めてリアルに感じられたりもします。 ナポリ近郊にある小さな港を訪れてから、カンツォーネ「サンタ・ルチア」や「帰れソレントへ」の歌のイメー ジは豊かになりましたし、 ロンドンの大英博物館でエジプトの遺物を見ることでオペラ《アイーダ》の世界はよりリアルになりました。 もっと身近な存在である日本歌曲でも、山田耕筰《雨情民謡集》「波浮の港」を歌う前に伊豆大島へ渡って最南 端の港を見てきたり、 別宮貞雄《淡彩抄》「春近き日に」の歌詞に“あんずの小枝 ゆれやまず”という一節が出てきたときには、 イメージが全く湧かなかったので長野県千曲市にある『あんずの里』までそれを見に行ったことなどもありまし た。
インターネットでなんでも調べられ、すぐに答えを知ることができる時代ですが、実際に足を運び、実物を目に 焼き付け、 後々まで豊かなイメージを喚起しつつ歌い、表現すること、そうした声楽家としての “フィールドワーク”を 今後も可能な限り続けていきたいと考えています。