エッセイ 荒牧小百合さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2014年4月号-5月号より日本声楽アカデミー会員のソプラノ歌手、荒牧小百合さんのエッセイを掲載いたします。


荒牧小百合


「想いを歌声にのせて」

荒牧小百合 ソプラノ

小さい頃から歌が大好きだったにも関わらず、合唱をやりたいと思ったことは残念ながらありませんでした。それは学校の合唱クラブ(部)があまり魅力的に映らなかったからです。何故か「静か」で「暗く」て「つまらなそう」というイメージがあったのです。
そんな私のイメージを変えたのが、大学の授業でした。声楽科の必修科目、合唱の授業にはじめて出席した日を境に、それまで抱いていた合唱感は変わりました。指導者は痩せて小柄な体躯には少々大きめの頭部に、カッと見開かれた大きな目で眼鏡の奥からギョロリと鋭い視線を送ってくる田中信昭先生。失礼ながら、宇宙人みたいな先生だな、というのが最初の印象でした。ところが授業が始まってからは、先生の溢れるエネルギーと、音楽のためには妥協を許さない姿勢、音楽への情熱にすっかり惹きつけられ、新鮮な驚きと共に深い感銘を受けました。野口三千三先生が発案されたという、「こんにゃく体操」には面食らいましたが、上級生はもとより、ピアニストの先生までもが真剣に取り組む姿に、ただ事ではないものを感じ、発声→曲へと進むにつれて、もしかしたら合唱ってすごいんじゃない!と思いはじめたのです。まさか、合唱がこんなに面白く感動的なものだったとは!合唱の神様から洗礼を受けた気分でした。
このように、大学で素晴らしい合唱の世界に出会い、豊かな経験を積むことができたのは本当にしあわせでした。
当時は想像もしませんでしたが、今は毎年のように合唱を指導する機会をいただいています。そして、指導する中でも多くを学びながら、合唱の難しさと面白さを同時に感じています。合唱に参加される方々は押し並べてやる気にあふれ、歌うのが大好きで前向きな方が多いので、100人も集まるとそれはそれは大変な迫力です。音取りの段階から本番までの道のりを一緒に歩みますが、譜読みが難しくて途中で挫折しそうになっても、何とかがんばって練習に参加されるうちにだんだん歌えるようになり、表情も明るく生き生きとしてきます。指揮をしながら、そのような変化を見るたびに嬉しくなります。どんなに人数が多くても、一人一人が大切で、それぞれが同じ目標を目指して想いを乗せて歌うことで、より素晴らしい演奏へとなっていきます。何かの本で読みましたが、指揮者トスカニーニは高熱があっても「セーターを3枚着てオーケストラを一回振れば熱は下がる」と言っていたそうですが、私も体調が悪かったり熱が多少あっても、合唱指導に熱中しているうちに、練習が終わる頃には具合が良くなっているという経験を度々します。音楽の力に加えて皆さんのエネルギーをいただいて治ってしまうのかもしれません。そして、それほど夢中になれることなのです。

(追記)
昨年の海の日は、奏楽堂に響き渡る祝祭合唱団のカルメンの歌声に心躍らせていました。春から練習を重ね、いくつものハードルを共に乗り越えて迎えた本番は感動的でした。

そしてあたりまえのように「今年は第九!」とワクワクしていましたが…歌ってはいけないという事態になるとは思いもよりませんでした。
まるで映画の世界のようで戸惑うばかりですが、音楽がいかに私たちにとって大切で、生きる力になっているかということを日々実感する機会にもなりました。
自由に歌えるしあわせな日々があたりまえのように再び訪れることを心待ちにしています。