エッセイ 武田正雄さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、
毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。
このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2017年12月号-2018年1月号より
日本声楽アカデミー会員のテノール歌手、武田正雄さんのエッセイを掲載いたします。

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「“Richesse”『豊かさ』ということ」

武田正雄 テノール

秋の初め、久しぶりに立ち寄った古賀書店のウィンドウにあった額を見てcoup de foudre、一目惚れして買ってしまったのがこれ。

武田先生 エッセイ用

フランス歌曲の中でも最もポピュラーな曲の一つ、レイナルド・アーンReynaldo HAHN(1874-1947)の『Si mes vers avaient des ailes!(もし私の詩に翼があれば)』1917年初版の妹尾楽譜版、その表紙が竹久夢二による石版画で、かなり状態のよいものが額に入れて売られていた。
他にほしい本もあったのでその日はそれを入手して帰ったのだが、さてその晩この絵がどうしても頭から離れず、翌日自宅の現金をかき集め?書店に駆けつけて手に入れてしまった。額には付録として内容…つまり歌曲の楽譜がコピーして添えられていたが、読みやすい楽譜で、レイナルド・アーンの簡潔な紹介が書かれており、当時この作曲家がまだ30代前半だった(しかも現代でもメジャーな作曲家とは考えられていない)ことを考えると、この作曲家・この歌曲を日本に紹介した妹尾その他の明治人の慧眼に感嘆するばかりである。
これ以降、どういう事情があるのか、この作曲家の作品は一切日本版の楽譜が出ていないことを考えるとなおさらである。
さらに考える。近年は合理化、出版社の合併などで、例外はあるものの、楽譜の判型、装丁などは全て画一化されたものになってしまっている。
もちろん楽譜は楽譜であって、演奏家がそれを音楽にできればよい…のだが、このように一曲の楽譜にその詩・曲のイメージにふさわしい美しい絵が描かれていれば、想像力豊かな演奏者であればどれほど触発され、表情豊かな演奏ができることだろうか。
渡航はこの時代より遙かに楽になり、それどころかインターネットで簡単に世界中の情報が得られ、全てを「知った」「判った」と思える時代にはなったが、私には何か違うことのように思える。
もう一つ思いを馳せるのは、二期会創立者世代の先生方のことである。現代の我々に比べ、発声技術や声楽家としての読譜のあり方など一から考え、留学も難しかった世代の方々だが、同時にこうした楽譜が物心ついた頃から周りにあった世代でもある。むしろ現代の我々にはない「豊かさ」をお持ちだったのではないか、と、個々に意見の差異はあってもどこか「同志」の気概を持っておられた方々のことを思うのである。