15歳少年、香港を燃やす〜〜半歩遅れの現地ルポ(5)

蹴り倒される中高年女性

 広場には工事現場が隣接しており、その仮囲いの白い壁が、即席のレノンウォールとなっていた。参加者たちがポストイットを使ってメッセージを書いたり、張り紙を貼ったりしていた。

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 その仮囲いのあたりが、急に騒がしくなった。少年が足早に近づいて行ったのでついて行くと、中年女性が4〜5人のデモ参加者たちから、何か罵声を浴びせられている。

「あの女、撕紙狗(=紙を剥がす犬)だよ」

 デモ活動を良いと思わない人のなかには、レノンウォールの紙を剥がしていく人々もいる。そのためデモ隊たちは「撕一貼百(一枚剥がされたら百枚貼ろう)」をスローガンに、いくら剥がされても貼り直してやるという姿勢を見せている。が、実際には口論になったり、さらには小競り合いや暴力沙汰に発展することもある。

 少年は罵声の輪に加わると、黒いカラースプレーを女性の背後から噴き付け、服を汚した。さらに前のほうに回り込んで強力ライトを顔に照らしつけると、髪の毛や顔面に向けて再びスプレーを噴射した。少年は相手をあざ笑うような表情をしている。女性は毅然とした様子で耐え、無言のままツカツカと早足で歩き続けたが、その後ろをなおも数人が追跡した。異様な光景だ。

 女性がレノンウォールの角を曲がったところで、少年は背後から蹴りを入れた。女性はたまらず転倒し、地面に手をついた。どう見てもやり過ぎだ。さすがに女性がかわいそうになってくる。女性はちょっと勇敢すぎたかもしれないが、まさか蹴り飛ばされるとは思っていなかったに違いない。集団で取り囲まれて、救いようのない恐怖を感じているだろう。

 さすがに止めるべきだろうか。でも、日本人の私が安易にデモ参加者の行為を止めたり、逆に加勢したりするのは、何か違う気もする。曲がりなりにも”取材”をしているのであれば、なおさらだろう。そもそも、この群衆のなかで女性をかばう行為は、リスクが大きすぎる。怒りの矛先が、私のほうにも向かいかねない。どうか早く逃げてくれと、祈るような思いで観察を続けた。

 だが、少年は相手を蹴り倒すだけでは飽き足らず、コンクリートの地面に横たわる女性女性の元に駆け寄ると、バンプスを脱がせて奪おうとした。無抵抗の相手に対して、容赦がない。もはやリンチ的色彩を帯びている。見ている私も、思わず身体がこわばった。が、さすがに別の参加者たちが「おい、やめろ!」などと声をかけて制止に入った。ようやく暴力行為が止み、ホッとした。

 女性は何とか立ち上がって前に進んだが、この頃には騒ぎを聞きつけた報道陣も加わり、女性を取り囲む群衆は数十人に膨らんでいた。わあわあと罵声やわめき声でごった返すなか、少年はなおも女性の前に近づき、顔面に向けてスプレーを噴きつける。周囲のデモ隊は、少年のような血気盛んな連中から女性を隔離しようと輪を作って守ろうとしている。少年は腕を引っ張られて攻撃を止めるよう指示されたが、聞き入れようとしない。しつこく女性のもとへと近づき、今度は何発か殴りつけたようだ。私はもみくちゃになりながらも少年の動きを目で追いかけたが、このままでははぐれてしまいそうだ。少年は興奮した様子だが、笑みを浮かべているようにも見える。

 その時、別の男性参加者が少年の腕を思い切りつかんで引っ張り、ものすごい剣幕で怒鳴りつけた。広東語なので分からないが、状況から考えて、

「お前、やめろって言ってるだろうが! やり過ぎなんだよ! いい加減にしろ!」

 とでも言われているのだろう。少年は苦笑いして、人混みの外へと移動した。

「ああ気持ちよかった!」

 まったく悪びれる様子がない。こいつ、勇武派というより、勇武派のフリをしたただのヤンキーではないか。本来の勇武派たちがこの少年の姿を見たら、「こんなのと一緒にしないでくれ!」と言うかもしれない。

「俺があの女殴っているとこ見た? 大人と同じぐらい強かったでしょ?」

「ああ、でもちょっとかわいそうだと思ったよ」

「そんなことないよ。剥がすほうが悪いんだから」

 さらに、少年はこんなことも言った。

「今は男女平等の時代だからね。女性だからって手加減せずに、男と同じように殴ってやったよ」

 “うそぶく”とは、まさにこういうことだろう。その証拠に、「男女平等」と言いながら、少年はずっとニヤニヤしている。詭弁を弄していることは、自分でも分かって言っているのだ。

 反論するのもバカバカしいし、相手の思うツボになりそうだったので、「ああそう。僕はやり過ぎだったと思うけど」とだけ伝えた。

電車賃を”ボイコット”

 その後、近くの階段に腰掛け、少年はデモ参加者2〜3人としばらく雑談をしていた。時刻は23時を回り、だんだんと人の数も減ってきた。トイレに行くというので一緒に行こうとしたら、少年はゴミ箱の脇で立ちションを始めた。2〜3分歩けば、公衆トイレがあるのに。こいつ、ゴミもそこらじゅうにポイ捨てするし、素行が極めて悪い。中国人は嫌いだと言っていたが、この素行の悪さは非常に中国人的なのだが。

 少年は地下鉄に乗って帰るというので、ついて行った。帰り道に地下道をくぐると、張り紙が大量に張られていた。そのなかに、平和的なデモが徐々に暴力的な姿へと変容していく姿を描いたイラストがあった。サルが二足歩行を始めて徐々に人間へと進化した姿になぞらえて、最初は「民主」と書かれたボードを手にしたか弱い女性がしゃがみこんでいるが、黄色い傘を持って立ち上がり、それが暴風でおちょこになると、黒服にヘルメットをかぶってバリケードを設置。さらにゴーグルや盾を持つようになり、最終形態ではフルフェイスのヘルメットと防具に身を包んだ忍者のような女性が、勇ましいポーズで燃え盛る火炎瓶を放とうとしていた。香港デモの進化論、といったところか。「私たちは平和的にデモ活動を行っていたのに、政府が聞く耳を持たないから、やむを得ず実力行使をするようになったのだ」という勇武派の主張を、イラストで表現していた。

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「ほら見て、この最前線にいるのが俺たちなんだ」

 少年は、誇らしそうに火炎瓶を持つ女性を指差した。お前がやっていることと、イラストのなかの女性のやっていることは、似ているけれど、全然違うはずだ。ただ、その境界線はグレーであり、私にはうまく説明できないと思い何も言わなかった。

 駅に着くと、彼は臆面もなく言った。

「電車賃、ボイコットしようと思うんだ」

 要するに、改札を飛び越えてタダ乗りをするつもりなのだ。他のデモ参加者のなかにも「ボイコット」と称してタダ乗りをする連中がいたが、傍目には単にキセルを正当化しているようにしか聞こえず、得策とは思えない。が、少年にそんなことを言ってもムダだろう。デモ参加者から見れば、香港政府の側に立ってデモと対立している香港鉄道は、“悪”なのだ。

 私は面倒なことはしたくなかったので、少年が改札を飛び越えたところを後ろからちゃんとICカードでお金を払って、通るつもりだった。が、この頃は地下鉄側も改札に監視スタッフを増員しており、そう簡単に飛び越えられそうにない。どうするつもりだろうかと思いながら、後ろをついていった。すると、改札から少し離れてスタッフの目が届かなくなったタイミングを見計らい、突然通路脇の柵をひらりと飛び越え、改札のなかに入った。そうか、その手があったか。

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 あっけに取られてどうしようかと考えたが、近くに改札はない。少年のほうを見ると、バイバイと手を振って向こうのほうへと駆け出している。まずい、このままでは逃がしてしまう。仕方がない、この年になってこんなことしたくないけど……。

 少年の姿を目で追いかけながら、夢中で柵を乗り越え、走った。周囲の目が気になって、後ろを振り返ることができなかった。

 なんとか少年のもとに追いつき、一緒に地下鉄に乗った。空港近くの青衣(チンイー)という駅で降りるという。ようやく落ち着いて会話ができそうだ。

釣り場の友人

「暇なときは、釣り以外に何してるの?」

「中学時代の友達と酒飲みに行ったりとか。セントラル(香港の繁華街)に知り合いのバーがあって、そこなら酒出してくれるんだよね」

 タバコもそうだが、香港社会は未成年の飲酒と喫煙に対する規範意識が、かなりユルいようだ。コンビニや売店で少年がタバコを買い求めても、誰も何も咎めないし、デモ現場などでは、少年がもらいタバコをしても気にするそぶりがなかった。

「中学卒業後は、広州に行ったの?」

「いや、あれは中学1年のとき。フェイスブックで求人募集を見つけて、広州までの往復交通費が無料だったから、夏休みに1カ月働いたんだよね。まかないのメシに全然肉が入ってなくて、辛かったなあ」

 なんだ、短期バイトみたいなことをしていたのか。13歳でバイトなど法的に問題がありそうだが、中国大陸なら、そのあたりもユルいのだろう。

「今は漁師をやってるの? どうやって?」

「一人で魚釣って、欲しい人に売ってるんだ。釣ったらその場で売ることもあるし、予約を受けて釣ることもあるよ」

「誰が買ってくれるの? レストランの人とか?」

「うん、あと近所の人とか」

 実際に売り買いしている場面がどうも想像つかなかったが、そんなことあるのだろうか。

「荃湾の埠頭で、だいたい夜の7時から12時ぐらいまで釣ってる」

 釣りをしているのは本当みたいだが、漁師というのは、どうもピンと来ない。

「今日持ってる懐中電灯は、デモ現場でもらったの?」

「そう、もらった。ドイツから送られてきた軍事用品で、3000ドル(4万2000円)ぐらいするらしい」

 列車は15分少々で青衣駅に到着。駅にはショッピングモールが隣接していて、駅とモールを結ぶ歩道橋には、壁や床にデモ関係のチラシがびっしりと貼られていた。レノンウォールになっているのだ。

 20〜30分ほど、ぶらぶらとウォールを眺めた。張り紙は歩道橋の外壁にまで達していたが、本来は入ってはいけないような足場に登って貼ったのだろう。

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「あのへんの張り紙、俺が貼ったんだよ」

 少年は外壁の高いところ指差し、満足そうに眺めた。デモに乗じて、スリリングなことをしたいのだろう。

 駅の近くを歩いていると、両腕と首元にまでびっしりとタトゥーの入った20代男性とすれ違い、少年は挨拶した。首まであるタトゥーは“半グレ”の気配を感じさせ、少年の交友関係が少々心配になった。

 駅からは海岸沿いに幅広の歩道が整備されていて、潮風が心地よい。時刻は24時を回っていたが、こんな時間でも夜釣りを楽しむ人の姿がチラホラと見える。護岸には柵が整備されていたものの、高さは大人の胸程度で、非常に簡易的なもの。柵が開いている部分もあり、その近くで60代ぐらいの初老男性が釣り糸を垂れていた。

 少年は男性に近づき、何やら声を掛ける。顔見知りなのだろう。男性の隣にしゃがみこんで、しばらく一緒に海を眺めていた。夜更けの時間だが、なかなか家に帰ろうとしない。

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 男性が何かを釣り上げた。海蛇のような細長い生き物だ。コンクリートの岸壁に上に乗せて釣り針を外す。クネクネと動き回るので男性は足で押さえつけ、首を挟みでちょん切った。ちょっと残酷……、でも、仕方あるまい。男性は少年に、その海蛇らしき生き物をあげた。

「これ、タウナギだよ」

 と少年は言っていたが、後日検索したら、タウナギは淡水魚。ちょっと違うかもしれない。

「写真撮ってよ。俺が釣り上げたみたいに見えるでしょ。もし記事に使うなら、モザイク入れてよね」

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 今日一日一緒に過ごして、だいぶ心を開いてくれたみたいだ。高層マンションや大きな橋を背景に、少年が海蛇らしきものを持つ姿を撮影した。柔和な表情に浮かべており、とても数時間前に通行人の中年女性に容赦ないリンチを加えようとしていたとは思えない。あのときの少年と、今目の前にいる少年は、別人のように見えた。

 海岸沿いの歩道を延々と歩く。駅からちょっと遠いようだ。合計30分ほど歩いて疲れてきたところで、団地のようなコンクリートの建物が見えてきた。が、団地といっても高さが30階ほどあり、タワーマンションのように見上げてしまう。日本には似たような建物がないので表現しづらいが、“タワー団地”といったところか。

「ちょっと座って休もう」

 と言われて、団地の敷地内の一角にある段差に腰掛けた。敷地内にはコンビニがあり、ペットボトルのお茶を2本買った。少年が持っていた懐中電灯を見せてもらい、ネットで型番を入力して検索すると、確かに「軍用規格準拠」とあったが、値段は日本円で1万2000円ほど。少年の言っていた4万2000円は、ちょっと盛りすぎだろう。

何を得たら勝利と言えるのか?

「音楽聴きたいから、スマホ貸して。俺のは速度が遅くて」

 速度制限がかかっているのだろう。私のスマホは香港でSIMカードを買って使っていたため、データ通信量は7日間で3ギガほど。あまり浪費したくなかったが、少年がどんな音楽が好きなのか、興味もあった。

 スマホを手渡すと、少年はユーチューブを開き「攀登(=よじ登る、登攀)」というタイトルの曲を検索した。

「この曲、一番好きなんだよね。歌詞がいいんだよ」

 曲が再生されると、男性の声でつぶやくようにしっとりと歌い始めた。スマホを二人の間に置き、画面をのぞき込んだ。字幕の歌詞を追うと、こんな内容だった。

♫ときどき自分で自分に問う

なんのために頑張っているのか

何を得たら勝利と言えるのか

あなたもそう思ったことあるでしょう♫

 そこから先はラップのような早口になり、意味を追いきれなかったが、明るいポジティブソングというよりは、人生の悲哀をしみじみと歌った歌のようだった。

「まさに今の俺たちの気持ち、今のデモ参加者の気持ちを表しているんだよなあ……」

 条例改正案撤回後も、デモ側は「五大要求」の主張を続けており、当初の目的から少し外れていったようにも見えた。“何のために頑張っているのか”“何を得たら勝利と言えるのか”は、デモ参加者の間で自問自答する部分もあったに違いない。が、少年にとってこの歌詞は、デモの状況以前に、自分自身の人生とも重なっているはずだ。社会からドロップアウトしかけているこの少年は、それでも生きることや仕事を探すこと、親と付き合っていくことを余儀なくされている。出口の見えないなかで抵抗を続けるデモ活動や、人生の悲哀を歌ったこの歌詞に、シンパシーを感じているのだろう。

 この曲に続いて、ほかにも3〜4曲ほど聴いたが、少年はやはり最初に選んだ「攀登」が一番好きだと言っていた。思い入れの強い曲なのだろう。

「俺、こういう電子音楽が好きなんだよね。テクノっていうのかな。日本のこういう曲、聞かせてよ」

 これまでに再生していた曲の雰囲気は、電子音楽のなかでもクラブで流れているEDMと呼ばれるジャンルのものと思われた。是非聴かせてやりたいと思って「日本語 EDM」などと検索したのだが、どうもヒットしない。中国語や韓国語のEDMはあるのに、日本語はあまり存在しないようだ。そういえば、ゼロ年代半ばまでは、GLAYや浜崎あゆみといった日本の曲がアジア圏でも人気だったが、今はその座はすっかり中韓に奪われてしまったようだ。日本の音楽関係者よ、頑張ってくれ……!

将来の目標を聞いてみると…

 時刻は深夜の3時を回り、さすがに眠くなってきた。でも、少年はまったく眠そうな気配がない。今日は何時に起きたのかと聞いたら、「午後4時」とのこと。それならまだ眠くならないだろう。完全に昼夜逆転の不健康な生活を送っていうるようだ。

「家にいるときは何してるの?」

「音楽聴いたり、AV見てオナニーしたり、寝て起きたらまたオナニーしたり」

 うーむ、怠惰だ。生産的なことを何ひとつしてないではないか。少年に質問されて、結婚していないことや彼女もいないことなどを答えたら、

「そうなんだ。女とやったことある?」

 と聞かれた。あるよ、と苦笑いして答えた。自分はあるの? と聞くと、あると答えた。

「去年、バーで出会ったコとやっちゃった。俺は完全に酔っ払ってたけど、向こうはシラフだったから、俺に気があったんだと思うよ。今は彼女は4人いる」

「4人? それは彼女じゃなくて、ただの友達なのでは?」

「いや、彼女だね」

 少年の言う“彼女”の基準がよく分からない。性交渉をした相手なのか、それとも単に仲が良い関係なのか。少なくとも、これまで彼女の話など一切しておらず、少年の近辺には母親以外に女性の気配はない。ちょっと仲の良い異性を、彼女と呼んでいるだけかもしれない。

 会話の途中で、タバコをもらったりもした。

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「夢とか目標はないの?」

「前は医者になるのが夢だったけど、今は漁師になりたいと思ってる。俺、勉強嫌いだから」

 医者はかっこいいけど、確かに漁師のほうが現実的に思えた。

「日本では、香港のデモはどう思われているの?」

 とも聞かれた。

「平和的なデモにはほとんどの人が賛同しているけど、暴力的なデモについては、反対意見も多いかな」

 と答えておいた。少年の家族についても聞いてみると、10歳の弟と、2歳の妹がいるという。両親の仕事については、

「知らないよ。お互い干渉しないことにしているから」

と言っていたが、あまり言いたくないのかもしれない。

 気づくと、時刻は午前3時半を回っていた。家に帰るタイミングで、部屋を見せてくれないかと頼んだが、母親がまだ起きているからダメとのこと。

「明日の昼だったら、母さん出かけてるかもしれないから、大丈夫かなあ」

「分かった。何時ぐらいだったらいい?」

「午後の2時か、3時過ぎとかか。また連絡してよ」

「分かった、3時ぐらいね。また連絡する」

 そう言って、少年の背中を見送った。少年は鉄格子の入り口を開き、団地タワーのなかへと消えていった。

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