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陶芸について3 現代陶芸とは

工芸的表現、陶芸的表現について私の考えを書いていこうと思います。

陶芸・工芸の定義とは何でしょうか?
「用の美」「産業と芸術のワクの重なったところ」などと考える人が多いのではないでしょうか?
生活に寄り添った物(器作家クラフト作家)、伝統工芸として継承している物(○○焼きなどの伝統工芸品)、茶道具、華道の器などはこの定義で良いと思います。
しかし、いわゆる現代陶芸と言われるジャンルで陶芸家が焼き物を素材にしてオブジェを作っていると、この定義の仕方だと矛盾が生まれてきます。

陶芸家が焼き物でオブジェを作った時、「用の美」は何処にあるのでしょうか?
彫刻家や現代アートの作家が素材として陶磁器を選び作ったものは工芸的・陶芸的な現代表現になるのでしょうか?
この2点で私は矛盾が生まれると考えています。
オブジェも鑑賞すると言う用途が有ると考える方がいるかもしれませんが、それでは絵画などの純粋美術や映画なども工芸だという言事になってしまいます。
陶芸家がオブジェを作る事と、彫刻家や現代アート作家が焼き物を素材として選びオブジェを作ることには明確な違いがあります。
下記にその事について書いていきます。

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私が思う工芸の立ち位置は、「産業と芸術の枠の重なったところ」ではなく、芸術の枠の中で一ジャンルとして絵画・彫刻・デザイン・建築・映画などと横並びにある物だと考えています。

陶芸論・工芸論
陶芸とは技術とプロセスによっておこなわれる素材表現です。
技術(伝統的技術、製作工程)の特性を生かした表現を行うことが工芸であると考えます。
素材の魅力を引き出し素材を表現する事が工芸であると考えます。
自己やコンセプト(社会的メッセージなど)を第一に考え、それを表現する事を考える純粋美術や現代アートとはその点で差があると考えています。
素材や技法がまずあり、そこに自己の表現を載せて制作することが工芸、陶芸の表現です。工芸。陶芸の表現と現代アートの表現は、思考のプロセスが逆だと考えています。

工芸的表現として陶芸家がオブジェを創るのと、彫刻家、現代アーティスト(ピカソ、奈良美智など)が陶を素材としてオブジェを創る事とには違いがあり、それが素材とプロセスによる工芸的表現かどうかという点です。


工芸とは「用と美」と言う考えは、表現として工芸をする際には自己矛盾におちいってしまいます。
窯元などの産業としての陶磁器の制作、クラフト作家(器作家)の制作の上では「用と美」の考えの中でも矛盾は発生しませんが、作品として表現をしていく中で「用と美」の考えは、行き詰まりをます。工芸を美術の一段階下の物にしてしまいます。
「用と美」の考えではオフジェなどの用途のない物は工芸ではなくり、陶磁器を素材とした立体造形、彫刻になってします。
陶芸家が用途の無いオブジェを作った時、鑑賞する事も用途だと言ってしまうと絵画も「用と美」があり工芸になってしまいます。

工芸の立ち位置は産業と芸術の重なった物と考えるのも「用と美」と同じことが起こります。
芸術の中の一ジャンルとして工芸を考えるべきです。油絵、水彩、彫刻、日本画、工芸と横並びに芸術の中にあると考えます。

工芸という概念が出来てまだ150年ほどです。産業革命の後、それまでの手工業的な物か廃れずに残った物が工芸の始まり。それまでは産業だった物がウイリアムモリスのアーツ&クラフト運動、柳宗理の民芸運動などを経て現在の工芸になる概念が作られてきました。産業からの派生であるがゆえに「用と美」という考えが始まり、一般に浸透してきています。その当時(民芸運動のころ)はそれでよかったし、その考え自体が間違いとは思いません。しかし現在はより表現としての要素を強くした工芸の在り方があります。

陶芸・工芸を考える際に時代性はとても重要な要素になってきます。千利休の時代のわびさび、アーツ&クラフト運動、民芸運動、戦後の陶芸ブームや物が無かった時代、伝統工芸展、日展、時代の中で概念の進化を遂げて現在に至っています。

参考文献 金子賢治著 「現代陶芸の造形思想」


この下8行ほど有料記事です。大した事は書いていません。ちょっと聞く人が聞くと語弊があるかもしれないので有料にしてます。読まなくでも大丈夫です。

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