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#026 電車を作ってみた話(その1)

出会い

それは突然に訪れた。「これ、作ってみない?
普段から一般人とは思えない発想の刃を常に研ぎ澄まし続ける我が母に勝るものはおそらく地上に存在しない。時折狂気とも思える発想をバグったパトリオットミサイルみたいに連投し、正面火力で私を沈黙させる。なんなら沈黙しても攻撃はやまない。私はそんな母の事をひそかに”逸般人”と呼んでいる。この前は夢の中で父が浮気していたのを口実に、起きた瞬間父を殴ったらしい(無実の父はなぜか謝罪し、弁護人不在のまま有罪判決)。

母はYouTubeの動画を示しながら言った。
その動画とは、公園を駆ける蒸気機関車と電車、そして楽しそうに運転するおじちゃんたちと、乗せられたはいいものの何が起こっているのかまったくわかっていなさそうなちびっこ、および超エンジョイする親であった。

何を隠そう、私は鉄道オタクである。ガキの頃から電車が好きだった。
ガキの頃は純粋だった。車で踏切を渡るとき、何度遮断棒が目の前で降りてくれと願ったことか

大きくなった私には無駄な知識がついてしまった。ディーゼルカーのことを電車と呼ぶ人に、口にしないながらももやもやとした気分を抱え、小さい模型を手に入れると、ここが違うだのああだこうだと文句を垂れる、面倒くさい大人になるところだった。(ちなみに日常生活で一般人に「それは電車じゃないよ、ディーゼルカーだよ」というと嫌われます。当然。)

もっと過激になった鉄オタは本当にキツい。車庫の一般公開日に、聞いてもいない知識をひけらかしてマウントをとってくるおじさん、模型屋さんで自分の模型を走らせていたら、後ろからここが違うとか時代設定があってないとか文句を垂れるにいちゃん。鉄オタ界隈、世も末と言われるのはこういうことである。(ちなみに前者は相手を圧倒する知識を出してねじ伏せ、後者は「そうなんですね~僕知らなくて~~」と言いながら大井川鐡道トーマス号フル編成を並べて処理落ちに追い込み、撃沈しました。)

大井川鐡道トーマス号 フル編成の図。(かわいい。あと日本は資本主義社会なので、超長い)

しかし、件の動画を見るに、そういった不快な、面倒くさい感情はまったく湧いてこなかった。新幹線と在来線の線路幅の違いなんて関係ない。ディーゼルカーだろうが電車だろうが蒸気機関車だろうが知ったことではない。少なくともそう思ったし、写っている人物全員が楽しんでいることに感動した。こんなに幸せなことはないと感じた。微笑ましいものである。

だが、同時に作れっこないとも思った。私は大学受験に失敗し、滑り止めを全く考えていなかったため理科も数学も苦手なのに手違いで電気科に入ってしまっている。つまるところ、一応理系で機械もちょっとは知っている人間だった。車輪の精度はどうする、軸受けの平行はどう保つんだ…。

こういう時に色々聞けるのが教授である。教授とはチャットでよくやりとりをしていて、日本の次期戦闘機についての話もしたし、ポカリスエットを鼻から飲むと痛いかどうかとかいう話も真面目に議論した(ちなみに教授の見解は、「ここ10年ぐらいで戦闘機は無人化されるんじゃないか」「水よりは痛くないと思うけど、結局痛そう」であった)。

教授の新年の挨拶。つまり…こういう人である。

教授にチャットで聞いてみたところ、「なるほど、しかしあんなの自作できるんですかね。」という反応だったが、「制御方式と絡めたら面白そう」という発想の転がり方をし、面談をセッティングしてもらえた。

面談(と称したオタトーク)は大いに盛り上がり、夜の8時まで続いた。

教授の結論はこうだった。

「やっちゃいましょう、にしのまるくん。僕が研究費で落としてみせます。研究室に入ってください。



老兵への挨拶

教授によって早くも公的機関の投入が宣言されてしまった私の鉄道計画であったが、本格的に研究として扱われ、晴れて車輪を購入してもらえることになった。

さて、通常の鉄道車両には、2本の車軸が1セットにまとめられたもの(2軸台車)を2つ用意し、その上に車体を載せる方式が多い(つまり車軸は4本)。

台車の一例。これを二組用意し、上に車体を載せる方式が主流。

しかし、車輪付きの車軸は完成品で1本約1万円もしてしまう。あまりに高価な部品をいち学部生である私が大量に用意してもらうなんてことがあらばそれは烏滸がましい限りである。ひとまずは車軸2本、最低限走行可能かどうかを実証するために購入してもらうことにした。

車軸2本の車両というのは、日本の鉄道創生期にイギリスから輸入された車両がそうであったように、鉄道としては初期の車両形態になる。高速走行を必要としない当時の鉄道で、構造が簡単であったことから重宝された。鉄道が高速化した現在において、この構造を見るためには、鉄道博物館に行くか、日本の鉄道創生期あたりにいるような機関車もいまだに活躍するきかんしゃトーマスのアニメを見るしかない(極端)。

きかんしゃトーマス。客車に注目。どうでもいいのだがこのトーマスの顔、キモい。

どうせ車両製作をするのであれば、地元を走っていた車両をフルスケールで製作して、地域のイベントに出展することで社会貢献できたらな、とか考えていたが、一発めの車両でそれができないのは残念である…。

と思っていたが、よく考えたらそんなこともなかった。

静岡鉄道の長老、デワ1。少し見づらいが、車軸は2本である。(Wikipediaより)

私の家から自転車で行ける距離に存在する長沼車庫のヌシ、静岡鉄道デワ1である。もともと静岡鉄道は路面電車然とした鉄道で、実際に路面電車の路線も有していた。その当時の、高速化を知らない路面電車の生き残りがこれである。大正時代生まれというのが納得できるスタイルである。

ちなみにアメリカの会社の超大ヒット商品である台車を日本の会社が無許可でまるまるパクったものを装着し、そのまま現存しているのはもちろん秘密である。

長沼車庫には年に一度、一般客が立ち入っていいイベントがあった。ガキの頃の私も受付で保険料の100円を支払い、入ってすぐのところのうす茶糖(関西風に言うとグリーンティー)でのどを潤し、車庫内を見て回ったものである。

車庫の奥に佇む、黒い車両に私は並々ならぬオーラを感じた記憶がある。

その車両こそ、デワ1であった。

静岡のお茶問屋が密集する地域の路面を走り、今の静鉄線を通り、そこからまた路面へ降りて清水港までお茶を輸送していた車両である。地域の特産品に絡んでいて、かつて存在した路線を走ったこの車両に触れることで、地域の歴史を知るきっかけにもなりそうである。

そしてなにより車軸は2本で済むし、小さくてかわいいので子供たちからも人気を得られそうな気がした。
ちなみに子供たちから人気が得られるということは、乗車率が高まり、負荷を増やした走行試験が可能になるということである(ゲス顔)。一見研究と関係ないと思わせながら、実は大事な部分だったりする。

車輪が届いた。さあ、製作開始だ。と思ったが、よく考えたら道具の一つも持っていない。鉄道好きなのに、見切り発車とは情けない。思えば昔から計画性もクソもない人間だった。

私自身は何をできるというわけではない。しかし、自分では何もできないということを認め、人の力を惜しみなく借りられるという能力には長けていると思う。プライドを捨て、人に頭を下げることだけはできる。なんかダサい侍みたい

そういうわけで、隣町に住んでいて道具とスペースをもつ祖父に頼み込むことにした。

その2へ続く。

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