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身の丈の学び

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勉強。学習。研究。

呼び方や定義は、人によって、文化によって様々かと思うが、何らかの情報の複雑化をともなう知的活動を学びと定義することに、それほど反対はないだろう。

外部から情報をどんどん入力することで蓄積量を増やすことは学びである。

既に蓄積された情報を整理して内部で構造化することも学びである。

そして、学びの機会とは、作り出すものでも見つけ出すものでもない。

よく話していることなのだが、本来は、生きていること自体が丸ごと学びである。

それを学びと認識しているかどうかだけである。

毎日ただひたすら寝て過ごしているだけでも、自分の睡眠をモニタリングする意識があれば、それは学びである。

これもよく言うのだが、僕は自分の人生の残り時間を計算してやるべきことを割り当ててタスクをこなすような人生を生きようとは思わない。学者肌の人はよく人生の時間が足りないと不満を言う。人生の残り時間を計算して、できることを積み上げて、何事かの研究成果を達成しようとする。

でも、どうせ死ねば全て終わりなのだ。研究成果を自分の手柄にして何になるのだろう。

言っている意味がわかるだろうか。

研究の成果をあげることは素晴らしいことだ。僕はそれがダメだと言っているのではない。研究の成果を自分の手柄としてあげることに執着することに、本質的にどれほどの意味があるかということを言っている。

つまり、ノーベル賞を目指して研究するなど、僕には愚の骨頂に思える。これは、僕がアカデミックに生きることを放棄したことによる僻み妬み嫉みではない。それが愚の骨頂と思ったからこそ、僕はその場を目指さなかったとも言える。以前に話したような気もするが、僕は小学生の頃から「ノーベル賞なんか取りたくもない」と公言していたようなクソガキだった。小学生の頃、とあるくだらないインタビューを受けて「ノーベル賞などくれると言われても要らない」と答えたことをはっきり覚えている。

僕にとって大切なことは、その学びが自分の身の丈に合っているかどうかだけだ。ノーベル賞は墓場には持っていけない。そもそも死後にわざわざ墓穴に入るつもりもないが、余計な荷物は持たずこの身一つで堂々と入滅したい。

学びとは目先を生きることそのものである。僕は自らの好奇心に基づいて、遥か遠い未来を見据えて思索に耽ることが多いが、だからと言って目先をないがしろにしているわけではない。遠くを見つめることが、僕にとって目先を生きることと同値なだけである。未来のために今を犠牲にしようという気持ちになったことは、ない。

たとえば、受験のために浪人という期間を過ごしたこともあるが、そこにも人生の時間を犠牲にしているという感覚はなかった。浪人という日本の教育制度上の極めて無為な空白の時間を過ごすこと、それもまた人生であり、人生とはそもそも全てが無駄な時間で構成されているという感覚をこそ、強く持っていた。だから、「上昇志向で中学生時代に起業して現在は会社のCEOを務めている慶應大学生」みたいなタイプとは、まるで価値観を共有できない。

これは負け犬の思考ではない。負け犬の思考は、無駄な時間を過ごしていることを後悔することだ。僕は、後悔など微塵もしていない。「人生そのものが丸ごと無駄である」という真実を受け入れているだけだ。勝ちも負けも無い「野生」の思考である。

人は、「大きな」ことを目指す。子供も大人も、皆、「大きな」ことを目指す。「大きな」プロジェクトは小さなプロジェクトよりスゴイ。それが資本主義である。数値で価値を固定すると、質が無視される。正確には質の価値が量で評価される、質と量の交換というとても等形のまま変換できそうもないものが変換される。そういう幻想が現実を支配する。質的に結びつかないものを無理矢理交換するというのは、きっと脳の機能の投影だろう。

1,000億円稼いだ人はスゴイ。

では、一体その何がスゴイのか。

ほとんどの皆さんは、その本質もわからぬまま死んでゆく。

そして、死んだ瞬間、本質が立ち現れる。

何もスゴくない。

死んだら終わりである。

世界平和について考える。

素晴らしい。

人類の未来について考える。

素晴らしい。

でも、それらは、目の前の、目先の、身の丈の生活を犠牲にしてはならない。あるいは、犠牲にしているという意識を持ってはならない。

より正確には、我々はそもそも身の丈の生活しかしていない。

「大きな」目標、夢、それらは全て、「幻」だ。

我々には、身の丈しかない。

「大きな」荷物を自慢する人の身の丈をよく見てみて欲しい。

きっと、その人の丈は、とても短い。

荷物を持つために、その丈のほとんどを使ってしまっているから。

この文章を読んでおられる方は、きっと勉強家だと思う。

皆さんは、何のために勉強しているのだろう。

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