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読んだことのないグリム童話が心を洗ってくれた(私室の読書感想文)

「何か読みたいのに、じっくり本を読むのがなぜかしんどい…」せっかくの休日に、そんなジレンマに悩まされることがあります。

ふと思い出す。江國香織さんの小説『ホリーガーデン』の登場人物が、次のようなことを言っていまして。

「ときどき不思議に思うの。世の中の、三十歳の独身の女はみんな、休みの日に一体何をしているんだろうって」
「見たい映画がなくて、買物もしたくないときにはどうするのかしらね」

「本当に、みんなどう休みを過ごすんだろう?」と思うことがよくあります。私は独身の女性じゃないけれど、最近ときどき、ぽっかり空いた時間の使い方がわからない。

仕事柄、ビジネス書や雑誌の類はけっこう読むんです。ただ、ぽっかり空いた貴重な休みは仕事と関係ないことをしていたい……。

「そうだ、絵本を読もう」

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5歳の息子も、どちらかというと本か好きな様子。毎晩の読み聞かせは習慣になっていて、これがないと眠りません。

2週間に1度は一緒に図書館へ行きます。ちょっと残念なのは、大人向けの本があるフロアにはついてきてくれないこと。息子が本を選んでいるとき、私も児童書エリアをうろうろしています。

その日たまたま図書館の職員さんおすすめ本のブースへ行くと、哲学的な詩の絵本や文字びっしりの絵本も置いてありました。

「そうだ、絵本を読もう。

じっくり本を読みたくないなら、さらっと読める絵本を読めばいいんだ」

そう思い立ち、とにかく心にうったえるような絵本を探してみることに。『ミリー 天使にであった女の子のお話 』は、こんな風に出会った絵本です。

グリム童話『ミリー 天使にであった女の子のお話』

『ミリー 天使にであった女の子のお話』の原作は、グリム童話を編纂したグリム兄弟の弟、ヴィルヘルムさん。

1816年、ヴィルヘルムさんは母を亡くした女の子ミリーへの手紙にこの物語を添えたんだそうです。

グリム童話といえば『赤ずきんちゃん』や『ヘンゼルとグレーテル』、『小人の靴屋』なんて好きでした。ちょいと調べたところ、グリム童話は1857年に刊行された第7版が最終版なのだそう。

この物語はミリーのご家族がずっと持っていて、1983年に出版社の手にわたったのだとか。グリム童話に編み込まれなかったグリム童話なんですね。

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一番に心を打ったのは、この美麗な絵です。

手がけたのは絵本作家のモーリス・センダックさん。『かいじゅうたちのいるところ』の作者さんですね。

『かいじゅうたちのいるところ』は美麗ながらユーモラスな絵が楽しいのですが、『ミリー』は崇高さがあります。なんと、5年がかりで挿絵を描いたのだそうですよ。

感動のストーリーと、ほんのちょっとの違和感

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『ミリー 天使にであった女の子のお話』のあらすじ
村に暮らす子ども思いの母親と、守護天使に守られるひとり娘の物語。あるとき、おそろしい戦争が村にもやってきてしまった。母は子を守るために「3日経ったらもどっておいで」と伝え、娘をたった1人で森の奥深くへ逃がす……。

ストーリーには守護天使や聖ヨセフ、神への言葉が端々に出てきます。宗教に抵抗がなければサラサラ読めます。ボリューム多めで、幼児への読み聞かせには向かないかもしれません。

息子はなんとか全部聞けましたが、意味は少しわからなかった様子。ただ、さまざまな場所に潜んでいる守護天使を見つけ出すのは楽しかったようです。

(ここからネタバレありです)



物語のなかで聖ヨセフと出会った少女は3日を過ごす。村へ帰ると、なんと30年もの歳月が経過していた。老いた母にとっては、死んでしまったと思っていた娘。その娘が別れの日のままの姿で母の前に現れ、幸せな再会を果たす。その夜、2人は幸せなままで永遠の眠りについた。

この物語の終わり方について、実は

「うーん、よくわからないな」

というのが正直な感想でした。

神宮輝夫先生の翻訳は分かりやすく美しい言葉が続き、センダックの繊細な絵とともに心を打ちます。母の愛と戦争の悲惨さを背景に進む物語は確かに心を動かします。

しかしこれはヴィルヘルムさんが母を亡くした少女ミリーへ贈った物語。「母親を亡くした女の子は心が救われたのだろうか」と違和感があったんです。

(母親との永遠の別れに悲しんでいるのに、物語のなかで再び母がさようならする、さらに自分までこの世を離れるエンディングって、余計辛くない?)

キリスト教徒だったらわかるところがあるのかな…と、文章と絵の美しさにあえて満足しつつ、一旦お茶を濁しました。

再現と再生の物語

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最近、息子が死について非常に興味を持ち始めています。わあわあ泣くことはありませんが「パパとママが死んだら僕はひとりぼっち……」と言って泣くことがあります。

5歳って死をなんとなく意識し始める時期なのかな?そう思い立ち、Webで「死ぬのが恐い期」について調べていたら『ミリー』の物語を想起するお話を見つけました。

子どもの発達段階と悲嘆の表現 3~6歳児
家族の信仰に天国という概念が含まれている場合、この年齢の子どもが自分も「ママと一緒に死んで天国に行きたい」と言うことはよくあることです。(中略)物事を具体的な事象として捉えるため、天国はニューヨークと同じような単なる地名にすぎず、亡くなった人が天国との間を行き来できると想像します。(NPO法人ホープツリー がんになった親を持つ子どもへのサポート情報サイトより引用)

ヴィルヘルムさんが物語を贈ったミリーはいくつなのかわからないけれど、この物語は祈りと死の疑似体験なのかもしれません。「ママと一緒に死んで天国に行きたい」そう考えるミリーの気持ちを満たしたのかなと思う。

そう考えると、物語の向こう側にいた少女がとても身近な女の子のような気がしてきて、心が震えました。

美しい言葉は心を洗うシャワーのようで

『ミリー 天使にであった女の子のお話』は、物語の前にグリム弟さんが
少女へ宛てた手紙文も書かれています。

この手紙が特別美しい。

解説するのが野暮なほど綺麗な言葉たちが並びます。読めば読むほど心が洗われるのを感じました。宗教色に抵抗があっても、この手紙の部分だけはぜひ一度読んでみてほしいな。

美しい言葉は心を洗うシャワーのようです。「何か読みたいけれど、本を読むのがしんどいな」そんなときは、絵本で心の洗濯をするのもいいですね。


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