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別府旅行記 23時台にお紅茶を飲んでしまうのも、これもまた人生。

3月もいよいよ下旬に突入し、どんどん4月が近づいている。4月から就職する予定の会社の研修の帰りにふと、もう時間を無限に使える日々も少なっている事を認識し、「とにかくどこかに行きたい!!」という思いが強まっていた。
「旅行に行きたい!!」という気持ちだけで、目的地は全く無かった。いつもフラっと旅をするなら金沢とかそのあたりに行くのだが、せっかくならまだ行っていない場所に行きたい。東北?北海道?四国?沖縄?色々と考えたが、最終的に大学院の同級生にオススメの旅行先を伺うことにした。すると別府をオススメされた。その時に「どこでも蒸せる場所があって、地球の力を感じます」と言われた言葉にピンと来て、即決で旅行先を別府に決めたのだ。それからは往復航空券と宿を予約して、いよいよ別府に向かう時が来た。

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飛行機に乗るのは、3年ぶりだろうか。前回飛行機の乗ったのは学部の同級生とイタリアに行った時の事だった。午前中から別府を散策したかった為、朝一番の飛行機を予約し、始発の電車で空港へと向かった。

当初の予定では地獄めぐりと8湯巡りを1泊2日で行おう、と計画していた。しかし、ここは学生らしい金欠という問題が立ち塞がり、そして本当に2日で8湯巡れるのか?という疑問が出てきた。現地に行く前から色々考えても仕方がない。行く場所は行ってから決めよう!と決意した。

最近、私の中で「不確定要素」や「不確実性」がブームになっている。「不確定要素」や「不確実性」とは、私以外の他の人間や動物のような自分の意志で選択できないものの事を指す。
空港に向かうバスの中で不確定なもの、不確実なものに、どれぐらい、いかに、関わっていくのかが、これからの私のキーポイントになるかもしれない、と考えた。

先日の卒業式で、私は大学院の担当教授から「インドとかに滞在制作に行くと良い。今いる場所と同じようなものだって分かるから」と言われた。以前、『謎のアジア納豆』を読んだ時、日本の中で伝統料理的な認識をされている納豆は東南アジアを探すと、それに近しいものが沢山ある、という事を知っていた為、その時の教授の言葉も「確かにそうだよな」と思っていた。

大分空港に到着し、別府に向かうバスに乗りながら、外の景色を見ていた。街の風景にどこか既視感を感じた。温泉地の近くに別荘用の不動産が海辺を中心に分譲される様子は私がすむ地域でも発生している現象であった。教授の言葉を再度思い出した。しかし、その言葉の意味を私はまだ感じきれていない気がした。それを本当に感じた時、たぶんすごく痛いと思うのだ。はぁ〜ってなると思う。私はまだそれを感じるまでの経験がない。なんとなく、これからやることの次が見えたような気がした。

そんな事を考えていたら、気付けば別府に到着していた。到着してまず向かったのは、気になっていた温泉の1つである別府海浜砂湯だ。
砂湯では、砂を掛けてくれるおばちゃん達がテキパキ案内してくれる。そうかと思えば「蒸したてだから、ちょっと熱いよ〜」と言われたり、その延長で「ホカホカだで〜」と笑顔で言われる。私は今回、一人旅だった為、砂に埋まっている最中はお喋りをするでもなく、ただ目の前に映る海をボーッと眺めていた。
砂を掛けてくれるおばちゃん達は、その間「もう3月も後半だってさ、早いねぇ〜」と普通に会話をしていたり、砂湯の前を通りがかったお散歩中の犬を見て「可愛いね〜」と声を掛けたり、すごく良い意味で日常的な時間だった。

私はその後、明礬温泉の湯の花小屋を見学したり、泥湯に入ったりした。夕方頃に訪れた柴石温泉では、丁度地元の人が沢山いて、露天風呂に入っている時におばあちゃんから「蒸し風呂には入らないの?」と聞かれた。あまりサウナが得意ではない私は少し遠慮しておこうかな?と考えていたのだが、「蒸し風呂には入らないの?」と聞かれてしまったからには入るしかない。「入ります!!」と即答していた。

別府では多くの市営温泉が存在している。観光客は100〜300円ほど支払って入るのだが、地元の人は温泉の組合に所属し、組合員として日常的に温泉に入っている。そのためか、毎日顔を合わせる人も自ずと生まれる為、脱衣所に入ってきた時は「こんにちは〜」、帰る時は「お先に〜」と皆、挨拶していた。
露天風呂で「蒸し風呂には入らないの?」と聞いてきたおばあちゃんも、同じ露天風呂に入っていた女性と(恐らく顔見知りなのだろう)今日のお湯は少しぬるいとか、畑に植えるならルッコラが良いとか、他愛ない会話をしていて、すごく素敵だった。

その日、宿泊する予定の宿は鉄輪にあった為、その後、鉄輪に移動した。鉄輪は大半の別府温泉の源泉が集中している所でもあり、至る所で湯けむりが立っている。近くに地獄めぐりや市営温泉が沢山あり、the 温泉街という印象だった。

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湯気の匂いは少しばかり硫黄の匂いがして、火山性温泉であることを認識させられる。とは言え、別府で「地球の力を感じる!!」と意気込み、至る所で湯気が出ている様子を見ながらも私は「おお!これが地球か!!」と感じる事はあまりなかった。しかし、私はこの後、ジワジワと地球を感じることとなる。

夜の町並みはとてもレトロな雰囲気だった。見晴台から見た街の景色はとても美しく、沢山湯気が上がっている姿に感動した。

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私は素敵な夜の街を散歩するついでに、気になっていた足岩盤浴に行った。そこは屋外にあり、無料で解放されている所だった。
ワクワクしながら足岩盤浴に行ってみると、岩盤の上にお兄さんがタバコを吸いながら寝っ転がっていた。幸い、照明もなく少し暗かったので、その光景を見た途端、私は静かにその場を去った。2秒ほど見たお兄さんの様子から、ここは今立ち入るべき場所じゃない、と感じたのだ。
日常と非日常が混在している、というのは一見素敵な体験のように思えるが、このようなディープな経験も付きものである。しかし、それを排除しようとすると一気に観光地化する。このディープさがその土地を自分が今住んでいる場所と同じようなものだ、と認識させる要因の一つになるのかもしれない。一瞬心臓がキュっと引き締まったが、良い体験だったように思える。

翌朝、朝ごはんの前に昨晩行った見晴らし台に行き、同じ景色を見た。朝は朝で光景が変化しており、清々しい気持ちになった。その後、宿の近くにある小さな市営温泉で朝風呂に入り、宿を出た。

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2日目は主に別府駅付近の市営温泉を回ってみようと考え、バスで移動後、早速1つ目の温泉に向かった。

1つ目の温泉では番頭さんから「今日は熱いけど、大丈夫?」と聞かれた。はい!と答えた後、ふと「温泉ってやっぱりその日によって温度が変わるものなんですか?」と番頭さんに聞いた。すると「そうよ、湧いて出てきてるものだから、調整しようがないもの」と言われた。確かに、それはその通りだ。その番頭さんはとても親切で「熱いから、水が出ている蛇口の近くに入り〜」と言い、浴場の中まで一緒に行って案内してくれた。
その後、服を脱いで浴場に入ったら、先に温泉に入っていた地元の人に桶はこれとか、水はここから出るとか、色々と教えてもらった。番頭さんはよほど心配だったのか、その様子を見て地元の人に「説明してくれたのね、ありがとう」と言っていた。

その日のお湯の温度は46.5℃あったそうだ。最早、熱湯の次元ではないようにも感じた。勿論お湯はとても熱くて、何度も掛け湯をして身体を慣らしたつもりでもいざお湯に入ると熱くてピリピリした。地球の力とはまさしくこういう事だったのだ。
前の日に訪れた明礬温泉の泥湯で地面からボコボコ言っている様子に「怖い」と感じた。温泉と聞くと、暖かくてリラックス出来るイメージのほうが強いが、熱すぎて身体がピリピリしたり、実際に湧いてくる様子に怖い、と感じる側面も当たり前のように存在する。普段はそれをあまり感じることが出来ない為、温泉に対して「怖い」と思うことが出来て、個人的にはとても良かったと思った。
大学院の教授は「アーティストというのは太陽みたいなもので、遠くにいると暖かいけど、近づきすぎると目が潰れたり、焼け死んだりしてしまう」とよく口にする。それを思い出し、安直かもしれないけど、自然は一番身近に存在するアーティストなのかもしれないと思えた。

お湯は本当に熱くて、5分ほど入ってすぐに出てしまった。脱衣所で少し湯冷ましをした後、温泉から出ていく時に番頭さんが「お湯大丈夫だった?」と聞かれ、熱かったけどスッキリしました、と答えると「また来てね」と言われた。
番頭さんの「また来てね」という言葉に私は少し驚いた。実際、地元の人達にとって観光客は有り難い存在である反面、自らの日常生活に入り込んでくると少し嫌がられる存在である。そんな事も全部引っくるめて一観光客に「また来てね」と言える番頭さんって凄いな、と感じてしまった。

お昼ごはんに冷麺を食べた。そのお店は近くに百貨店が目と鼻の先にあるのだが、それよりも近い距離にパチンコ屋さんがあり、ちょっと擦れた感じのおじさんたちがタバコを吹かしていた。
開店時間の15分前に到着してしまい、お店の前で待っていたら、通り掛かる人、一人一人から「この人は何でこんな所にいるのだろう?」という視線を感じた。お店の前なので、特別ヤバい場所にいる訳ではないと思っていた。とは言え、場所が場所である。これが正常な反応のように思えた。今まで生きてきた中で一番長く感じた15分だったように思える。
しかし、こんなにも様々な要素が混在しているのは大変面白い。ヒヤっとすることもあるが、こうした日常を垣間見れることが出来て、本当にラッキーだった。

パチンコ屋さんの近くにいたおじさんたちや、岩盤の上で寝そべっていたお兄さんを思い出すと、やっぱり同じ人間である以上、異なる土地にいても同じようなものを生み出すのかもしれない、と思った。
繁華街的な所に行けば、必ずと言って良いほどパチンコ屋さんとか風俗店が集まるようなエリアが存在するのも、きっとそういう事なのだ。『謎のアジア納豆』で言われていたように、納豆という食品が多少形を変えて東南アジアの様々な所で食べられている事にも合点がいく。
そのような事実を知ると、今まで個性とか自分らしさを求められたり、周りとの差異について考えたり、悩んだりしたことは、全部人間のエゴだったのではないか?と考えた。結局、自分とは何かを相手に説明するために必要なものでしかなかったのだ。
説明って人間らしい行為のように思える。私達は存在している時点で何かしらの意味があるはずなのに。

色んな事を知れば知るほど、人生はとにかく楽しんで生きる事がとても重要なのだと思えてくる。私はアーティストという立場上、自らの特異性などを説明する必要があるのも事実である。しかし、私達が人間である以上、複数の人が同じような事やモノを作ったり考えたりすることはあると思う。その中でアーティストとして実際に世の中に出てくるのは環境やタイミングの問題の方が大きいだろう。まさに「不確実性」である。(勿論、不確実なものを掴み取る為の各々の努力もあるだろう)
それと同時に、同じ時期に複数の人が同じような事やモノを作ったり考えたりすることは時代性にも繋がってくる。それが大きな動きとなり、時に変化をもたらすのだ。なるほど、人間とは面白い。

そうやって考えていくと、いかに自らが世界に対して素直に感じたり、発見したり発信する行為が重要なのかが分かってくる。レイチェル・カーソンが『センス・オブ・ワンダー』で「知識よりも重要なことは発見する事や感性である」と言ったように、人々が真っ直ぐに世界を感じて発見をしていくからこそ、大きな変化となるのだ。その行為が一人の偉大なアーティストのものだったとしても、近所の何かやっているおばあちゃんのものだったとしても、1つの大きな流れとしての構成要素であることには変わりない。

だからこそ、素直に実直に人生を楽しめば良いのである。人間は環境を変える力があるのだから、絶滅する時も最早それは運命なのだ。人生100年、されど100年。23時台にお紅茶を飲んでしまうのも、これもまた人生。昨日今日あたりから桜が綺麗に咲いている。今晩はそれを見ながら、素敵な夜を過ごしたい。

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