見出し画像

金ヶ崎城跡

敦賀を旅行した際に、まず初めに足を運んだのが、金ヶ崎城跡でした。


写真は、月見御伝からの眺めです。海抜86m。

かつてこの地から、戦国武将たちが月見を愉しんだそうです。



『金ヶ崎の退き口』は、あまりにも有名なので、ここでは詳しい説明は割愛させて頂きます。


2023年の大河ドラマ『どうする家康』で、お市の方の意を受け、家康の元にひた走った、阿月(ドラマオリジナルの登場人物)のことを懐かしく想い出しました。


織田軍が命からがら、京に逃げ帰った撤退戦から、233年前の南北朝時代にも、重要な戦いがあったことを知りました。

金ヶ崎城跡

延元2年/建武5年(1337年)1月、尊良(たかよし)親王が拠った金ヶ崎城に、高師泰と足利高経(斯波高経)を主将とする足利軍が攻めて来る。尊良親王は新田義貞の子・義顕と共に懸命に防戦したが、敵軍の兵糧攻めにあって遂に力尽き、3月6日に自害、義顕や他の将兵100余人もまた戦死した(ウィキペディアより)。


尊良親王御陵墓見込地

尊良親王は後醍醐天皇の第一皇子です。そして新田義貞もこの後、残念な最期を迎えます。

歴史好きの私も、南北朝時代のことはすっかり忘れてしまっており、また学び直す機会を得たと考えています。


特に新田義貞には何か心惹かれるものを感じました。1991年の大河ドラマでは、根津甚八さんが演じられていたようです(萩原健一さんがお病気のため、途中交代)。この大河ドラマは観ておりませんでした。



旅先では時間の制約もあり、当地の説明文書を写真に残しておくことで『旅の続き』を愉しむことが出来ます。


そこから学びを深めることも味わい深いものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?