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働いていることがそんなに偉いのか?

わたしは普段、働いている人や働きたい人を支援したり、みながゴキゲンに働ける組織づくりのための仕事をしている。
そんな人間がなんてこと言うんだ、と思われてしまうかもしれないが、わたしは常々「働いていることがそんなに偉いのか?」と思っている。「働かない・働けない人が罪悪感を感じてしまうのはおかしい」という観点で。

専業主婦やパートで短時間だけ働いている友人たちと話していると、彼女たちのほとんどは「働いていない状態」「経済的に自立していない状態」に、必要以上に引け目を感じている人が多い。

本人が希望したのならまだしも、育児や介護など、本人の意思に反してそのような立場にならざるを得ない人は、本当にたくさんいる。彼女たちの毎日の無償のケア労働があるからこそ、働き手の方(パートナー)は働ける環境を得ているにも関わらず、なぜこんなにも自己効力感が下がってしまうのか。

一方で、「仕事があるから○○(子供の面倒をみる、親戚の集まりに行くなど)はできない」など、悪気が一ミリもなく仕事を免罪符のように使われている場面にもよく遭遇する(男女問わず)。
え、なんで仕事が優先される前提なんだっけ?

資本主義の社会の中では、やはり「仕事の立場」が強くなる。昔々「24時間働けますか?」という今だったら完全にアウトなCMがあったが、もちろん令和の今はそんな露骨なメッセージは発せられない。でも、「一般職」や「寿退社」など過去は選べたはずの選択肢がどんどん廃れ、女性も総合職としてバリバリ働く前提のフォーマットが主流になってしまったことにより、働く&働き続けることの価値がより高く設定されてしまった気がする。昨今、働き方や制度はとても多様になったけれど、それとはまた別の問題で。

海外の専業主婦は堂々としている、と聞いたことがある(確か、のもきょうさんのVoicyだった)専業主婦であることに罪悪感を感じていないし、今この時の生活を楽しんでいる、と言う内容だった。
社会からのメッセージをうっすら感じながら苦しんで、自分の可能性を狭めてしまう、日本の女性(もちろん男性も)は多いのではないかな。

働ける状況で、稼げる力はあることは良いとは思うが、今それがないから自分の価値は低い、なんてことは絶対にない。
仕事や稼ぎは、その人の、その時のアイデンティティの一つに過ぎない。社会全体がそんな感覚でいられれば、みんながもっと楽に生きられるのになと思う。


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