書評「信頼の構造」(山岸孝男)

人はどのような時に、他人を信頼するのでしょうか。

東日本大震災以降「信頼」という言葉をよく聞くようになったが、何を基準として相手を信頼しているのか、または相手を信頼しなくなるのか。その定義を明確に決めて日々を過ごしている人は、ほとんどいないと思います。山岸孝男さんの著書「信頼の構造」は、そんな曖昧に使われている「信頼」という言葉について、とことん調べた結果をまとめた1冊です。

集団主義社会は安心を生み出すが、信頼を破壊する

本書は以下の言葉で始まります。

集団主義社会は安心を生み出すが、信頼を破壊する

つまり、よく同じような意味で使われる「安心」という言葉と「信頼」という言葉は、意味が異なるというわけです。本書の中では、「安心」と「信頼」については、以下のように語られています。

安心が提供されやすいのは信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では、安心が提供されにくい。

どういうことかというと、共同体に代表される集団主義社会では、集団の中では枠に守られているので安心して生活できるが、逆に集団の外の枠組みに属する人や組織に対する信頼は生まれないというわけです。具体的に言うと、お隣の人の牧場でとれたしぼりたての牛乳は飲むけれど、○○会社が作った会社の牛乳は飲まない、ということなのです。

逆に、○○会社の商品は美味しいと知っているから食べるけど、マンションの隣の人がつくったトマトは、どんな味がするかわからないから食べない、といったように信頼が必要とされる状況というのは、安心が提供されにくいというわけです。

正直者は馬鹿をみない

「正直者は馬鹿をみる」という言葉があります。「正直に人を信用し過ぎると、痛い目を見る。」という意味で使われる言葉ですが、本書では本当にそうなのか様々な実験を行って解析しています。

実験で最も良い結果を残したのが、「はじめての相手は信頼して協力行動をとって、そのとき協力してくれた相手には次回も信頼して協力関係を持続し、協力してくれなかった相手には、こちらも次回は協力しない」という方法をとった人だったそうです。

つまり、相手の行動を信頼し、相手の行動にあわせて行動した人が、最も良い結果を得たわけです。したがって、「正直者は馬鹿をみる」のではなく、「正直者は得をする」というのです。

日本人よりアメリカ人のほうが人を信頼する

本書には、他にも興味深い実験の結果が紹介されています。それは、アメリカ人のほうが日本人より人を信頼する傾向があるというのです。

この言葉だけを聞くと疑問に思うかもしれませんが、紹介した「安心が提供されやすいのは信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では、安心が提供されにくい」という言葉をアメリカと日本の社会に当てはめれば、アメリカの方が信頼を必要とされる社会なので、人を信頼する傾向が高いことがわかります。

つまり、日本人は「今まで信頼を必要としない社会」で生きていると言えます。

グローバルな人材に必要なのは、信頼する力

最近、「グローバルな人材に必要なことは」といった記事をよく見かけます。「英語力」「会計の知識」「IT」など様々な具体的なスキルの名前が飛び交いますが、日本という国の社会的な背景を忘れ、表面的な技術のことばかり取り上げられているんじゃないか、と本書を読んでいると感じます。

日本人は、集団主義社会で生きてきたので、信頼を必要としない社会にいたのですが、これからの日本人がグローバル社会で生きていくのであれば、信頼を必要とされる社会で生きていく事になります。長年集団主義社会に慣れ親しんでいた日本人が、人や物を信頼する力を身につけていると言えるのでしょうか。本当に必要なのは、「信頼する力」なのではないのでしょうか。

「信頼する力」を身につけることは、簡単ではありません。最後に、本書に掲載されている以下の言葉を紹介します。

信頼は情報処理の単純化によってもたらされるのではなく、逆に、より複雑な情報処理によってもたらされる


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